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第39話 灰かぶり姫は実の父をバーベルのように担ぐ

リチャード・ブラックウッド公爵がルーカス伯爵邸の門をくぐった時、応対した執事のハンスは、どこか機械の油が切れたように動きがぎこちなかった。

数日前、エドワード王子が「黄金の下半身」を抱えて寝室まで不法侵入した際の精神的ダメージが、いまだに色濃く尾を引いているのは明白だった。


「公爵閣下……ようこそ、お越しくださいました。主人に、お取次ぎしてまいりますので……応接間でお待ち、ください……」

ハンスは幽霊のような足取りで去っていった。


残されたリチャードは、インクの染みがついた指先を悟られぬよう手袋を整え、重々しい足取りで応接間へと足を踏み入れた。


だが、彼が椅子に腰を下ろそうとした瞬間――その動きは劇的に静止した。


そこにあったのは、窓からの陽光を無駄にキラキラと反射させ、瑞々しいまでの光沢を放つ、実物大の「黄金の脚部」。

しかも、純白のカボチャパンツとピチピチのタイツが完璧に装備されたその姿は、応接間の空気を絶望的なまでに汚染していた。


「…………」

リチャードは、世紀の珍獣を目の当たりにした学者のような、あるいは腐った卵を口にした美食家のような、なんとも言えない複雑怪奇な表情を浮かべた。


彼の鋭い知性が、瞬時にこの「金の不審物」の正体を導き出す。


「……これほどまでに、人の理性を逆撫でし、視覚情報を暴力的に汚染する『金の不燃ゴミ』を贈る男は、この国に一人しかいない。……エドワード王子だな」


リチャードは、手袋をはめた指先でその「黄金の足」をじっくりと、至近距離から観察しながら忌々しげに吐き捨てた。


その時だった。

ドドドドドドドドッ!!

ルーカス伯爵家という由緒正しい貴族の邸内とは思えない、地響きのようなけたたましい音が廊下に響き渡った。

それは間違いなく、常人の数倍の脚力を誇る「彼女」が全力で接近してくる音だった。


ババババババンッ!!

淑女のたしなみなどどこへやら、ノックもなしに勢いよく応接間の扉が開け放たれた。


「リチャード! 我が家に来られるなんて…」

突然の公爵の訪問に、アシュリンは珍しく動揺を隠せず、肩を上下させて息を切らしている。


対するリチャードは、彼女の「らしくない」慌てぶりに、思わず口角をわずかに上げて面白そうに笑った。


「ルーカス伯爵に少し話があってね。アシュリン嬢、急に押し掛けて済まない。……それにしても、これは随分と趣味が悪いな」

リチャードは黄金の足を指差し、呆れたように首を振った。


「全く、そうなんです! これのせいでお父様はまた腹痛がひどくなってしまって。いっそのこと、今度は川にでも流してやろうかしら!」

アシュリンが憤慨して拳を握りしめた。


「おいおい。そんなものを川に流したら、魚が迷惑する」


「……それもそうですね」と頷いて、アシュリンは思い出した。

「あ…等身大の噴水像を森に埋めたのもいけなかったかしら?森の動物達に迷惑かけてしまったかも」


「あぁあれか。あれは別に構わないんじゃないか?まぁ毎回毎回、森に埋めて、私の領地をエドワードのプレゼントの墓場にして欲しくはないが…」


「(領地?え?)」

アシュリンは、あの森がリチャードの領地であることを、この時初めて知った。


年頃の独身女性であれば誰もが血眼になるような、意中の貴公子の社会的地位や資産状況といった情報に対し、アシュリンの興味は文字通り1ミリも存在しなかった。

彼女の頭の中はイノブタラをいかにしてゲットできるか?と筋肉だけである。


アシュリンがあの森がリチャードの領地である事実を問い返そうとした、その時だった。

応接間の重厚な扉が開き、執事のハンスが戻ってきた。


「公爵閣下、大変申し訳ございませんが……。主は体調がいたく優れないとのことで、本日はお引き取り願いたいと申しておりまして……」


ハンスは深々と頭を下げたが、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、アシュリンが怪訝そうな顔で口を挟んだ。


「あら、変ね。今朝のお父様、腹痛は大分収まったとか言って、大好物のゆで卵を十個も召し上がっていたじゃない。朝食の後だって、お庭で元気に体操なさっていたわよ?」


「お、お嬢様……っ!」

ハンスは真っ青になり、バツの悪そうな顔でアシュリンを制止したが、時すでに遅し。


要は「仮病」である。

エドワード王子の無礼な訪問による疲れもさることながら、ルーカス伯爵にとって、リチャードは今最も顔を合わせたくない相手だった。


愛娘が度々公爵邸へ通い詰め、あろうことか「ジョンソン」なる、名からして屈強そうな男(※実際は犬)とただならぬ仲になっている……。そんな最悪の誤解を抱いている伯爵にとって、その「ジョンソン」を囲っている公爵は、不徳な交際を助長する不届き者に他ならなかったのだ。


要は自分に会いたくないのだというのを察したリチャードは、苦笑を浮かべて席を立とうとした。


「……事情は分かった。今日はこれ以上、伯爵を疲れさせるわけにはいかないな。出直すとしよう」


リチャードが諦めて帰路につこうとしたその時、アシュリンがため息混じりに肩をすくめた。


「もう、仕方ないわね……。お父様ったら、本当に困った人見知りさんなんだから!」


アシュリンは、ルーカス伯爵がリチャードに会いたくない理由を盛大に勘違いしていた。


「リチャード、ちょっと待っていて。私が直接、お父様を引っ張ってきますから!」


「……待ちなさい、アシュリン嬢! 療養中の方を無理に動かしては――」

リチャードの制止も虚しく、アシュリンの力強い足音は廊下に響き渡った。

ドドドドドド!!


残されたリチャードとハンスの間には、なんとも言えない気まずい沈黙と、隅っこで無駄に輝き続ける「黄金のカボチャパンツ脚」だけが残された。


数分後。

アシュリンは、パジャマ姿でじたばたと暴れる実の父・ルーカス伯爵を、まるで重量級のバーベルか何かのように軽々と肩に担ぎ上げて応接間へと向かっていた。


「やめなさいアシュリン! 下ろしなさい! 離せと言っているだろう!」


「もう、お父様ったらお茶目さんなんだから。せっかくリチャードが来てくださっているのに、仮病を使って会おうとしないなんて……失礼ですわよ!」


「ぐっ、離せ……! さっきから聞けば、リチャード、リチャードと……。お前は、何故公爵閣下を呼び捨てにしているんだ!」


担がれたまま顔を真っ赤にして叫ぶ伯爵に、アシュリンは不思議そうに小首を傾げた。もちろん、父を担いだままで。


「だってリチャードはリチャードですもの! 他に呼びようがなくてよ」


「バカモノ! 自分の夫でもない男を、そんな風に気安く呼ぶやつがあるか! 淑女たるもの、節度というものをだな――」


「もう、お説教は結構ですわ! 早くリチャードにご挨拶してください。はるばる来てくださった方を門前払いするなんて、お父様こそ紳士ではありませんわよ!!」


応接間まで来る間の廊下で繰り広げられる、伯爵家のあまりにもプライベートかつダイナミックな親子喧嘩。その内容は一言一句漏らさずリチャードの耳に届いていた。


リチャードは、噴き出しそうになるのを必死に堪えていた。

肩を震わせ、拳を口元に当てて、公爵としての、そして「ただの友人」としての理性を総動員して無表情を装う。


一方、その傍らに立つ執事のハンスは、もはや無の状態に入っていた。

代々仕えてきた名門ルーカス伯爵家の誇りと、執事としての矜持が、主人とお嬢様の親子漫才のような会話で崩れ去った。


「(……ああ、終わった。我が主君とお嬢様の、これ以上ないほどに純粋で、かつ壊滅的なまでの恥部を、よりにもよってブラックウッド公爵閣下に晒してしまった……)」


ハンスは静かに目を閉じ、この世の全てを諦めたような表情で、ただただその場に立ち尽くしていた。


バーンと豪快にアシュリンが応接間の扉を開け、獲物を仕留めた狩人のような満足げな顔で、応接間のソファへと伯爵を「設置」した。


「さあ、お父様。リチャードとお話しして?」


投げ出された伯爵は、羽根枕を抱えたまま、目の前に座るリチャードと、視界の端で光り輝く「黄金のカボチャパンツ脚」を交互に見て、深い絶望に包まれた。

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