第37話灰かぶり姫の義姉二人、自らドナドナされに行く
レティシアが「ドナドナ」された後、その娘であるセシリアとベアトリスの二人は、辛うじてルーカス伯爵邸に留まることを許されていた。
彼女たちの主な仕事は、アシュリンがトレーニングした後に庭に転がっている「丸太の残骸」の片付けや、彼女が厨房でうっかり炭にしてしまった調理器具の研磨である。
「……もう、指が動かないわ……」
その日も、二人は一日がかりで庭のクレーターを埋め終え、這々の体で自室に辿り着いた。部屋には、貴族の令嬢にはおよそ似つかわしくない、鼻を突くような湿布薬の臭いが立ち込めている。鎮痛効果のある塗り薬をたっぷりと塗り込み、体のあちこちに布を貼り付けた姿は、まるで戦場帰りの負傷兵のようであった。
「ねえ、ベアトリス……。もしかしたら、大人しく修道院に行くか、どこかの家庭教師として家を出たほうが、今よりずっと楽だったんじゃないかしら?」
セシリアが、湿布の隙間から恨めしそうに呟いた。
「お姉様……実は私も、さっきからずっと同じことを考えていたのよ」
ベアトリスもまた、真っ黒に汚れた自分の爪を見つめながら力なく応じた。
今や二人は、誰が見ても貴族の娘とは思えないほど、その立ち居振る舞いから優雅さが消え失せている。
「そういえば……不吉な噂を聞いたわ。お母様の浪費とアシュリンの屋敷破壊の修繕費のせいで、この屋敷を売り払って、田舎の領地に引きこもるらしいわよ」
セシリアが声を潜めて切り出すと、ベアトリスの顔がさらに青ざめた。
「それは私も聞いたわ。田舎の領地には、ここよりもずっと少ないけれど、昔からいる使用人がちゃんと揃っているらしいわ。だから、この屋敷にいる使用人たちは全員クビになるんじゃないかって、下働きたちが噂していたわよ」
「執事のハンスは、まあ……お父様について行くんでしょうけど。私たちはどうなるの?」
「一応は『元・娘』だし、連れて行ってはもらえるんじゃないかしら。でも……」
ベアトリスは、計算高い目をセシリアに向けた。
「向こうの使用人は少ないのよね? だったら、人手が足りない分、私たちが今以上に仕事をこなさなきゃいけなくなるんじゃないの……?」
その瞬間、二人の脳裏に、田舎の広大な農地で、今よりさらに巨大な丸太を運ばされる未来予想図が浮かんだ。今でさえオーバーワーク気味で、体は悲鳴を上げているのだ。これ以上の労働が加われば、自分たちの体もいつかアシュリンのように「バルクアップ」してしまうのではないか。二人は顔を見合わせ、言葉にできない恐怖に震えるのであった。
「ねえ、ベアトリス。もうこの家を出ない? 田舎で使用人代わりにこき使われるなんて、まっぴらだわ。あんな辺境じゃ、素敵な殿方に巡り合ってこの生活からおさらばできる『ワンチャン』すら、これっぽっちも無いじゃない!」
セシリアが、もはやなりふり構わず本音をぶちまけた。
「……そうね。でも、どうするの? 修道院に行くにしても、どこかへ家庭教師として雇われるにしても、まともな身分を証明する『紹介状』が必要になるわ。今の私たちがハンスにお願いしたところで、書いてもらえると思う?」
ベアトリスの問いに、セシリアは苦虫を噛み潰したような顔をした。今の屋敷での彼女たちの評価は、残念ながら「労働力」以下なのだ。
「……お母様のところへ、行ってみない? 何か知恵をくれるかもしれないわ」
「お母様は『熟女バー』にいるのよ。お姉様、あんな場所を訪ねるつもりなの?」
「でも、他に案がないわ。お義父様に『お母様のことが心配なので、様子を見に行ってまいります』とでも言えば、あの方はあれでお人好しだもの。きっと許可してくれるはずよ」
翌日、セシリアとベアトリスは、急性胃腸炎で安静中のルーカス伯爵の私室を訪れた。
二人は枕元で涙を流しながら、母の安否が心配で夜も眠れない、一度面会して無事を確かめる許可をいただきたい、と切々と訴えた。
かつて自分たちを借金取りに売り飛ばそうとしたような母親に対しても、変わらぬ情を抱き続ける義娘たち——。その姿を目の当たりにしたルーカス伯爵は、なんと尊い親子の情なのだと心を打たれ、不憫に思って二人の外出を快く許可したのである。
こうして、セシリアとベアトリスは一日だけ屋敷の仕事を免除され、母レティシアが働く『熟女バー』を訪ねることになったのだ。
セシリアとベアトリスがようやく目的地である熟女バーを訪ねると、あいにくレティシアはまだ店に出ていなかった。二人は店の隅で小さくなって待たせてもらうことにしたが、やがて開店時間が近づくと、驚くべき光景を目にすることになる。
店の扉が開き、恰幅のよい裕福そうな男性と連れ立って、レティシアが意気揚々と同伴出勤してきたのだ。
借金返済のために惨めな姿で働かされていると思いきや、レティシアの表情は伯爵夫人だった頃よりも輝いていた。
彼女は娘たちの姿を見つけるなり、同伴の男性から贈られたばかりだという大粒の宝石が輝く指輪を、自慢げに見せびらかした。
「見てちょうだい、これ! 今夜のお客様からのプレゼントよ!」
まさに水を得た魚であった。レティシアは持ち前の図太さと、長年培ってきた「殿方を手のひらで転がす技術」がこの客商売に完璧にマッチしていたらしく、すでに何人もの上客を掴んでいた。店でも飛ぶ鳥を落とす勢いの、NO.1売れっ子熟女へと上り詰めていたのだ。
「あんな伯爵邸で腐っていたのが馬鹿馬鹿しいわ! もう毎日、お客様からの同伴の誘いやら貢ぎ物やらで、ウハウハなのよ!」
その言葉を聞いた瞬間、セシリアとベアトリスの瞳に怪しい光が宿った。
毎日、泥にまみれて丸太の残骸を片付け、湿布薬の臭いに包まれて眠る日々。それに比べて、綺麗なドレスを着て殿方と笑っているだけで宝石が手に入るこの商売は、今の彼女たちにとってこれ以上ない天職に見えた。
「お母様……私たち、決めたわ。もうあの屋敷には戻りたくないの!」
「私も、ここで働きたいわ」
二人の切実な(というより現金な)訴えを聞くと、レティシアは二人を店の奥にある特別な応接室へと連れて行った。
そこには、あのレティシアをドナドナした、やり手の借金取りの女が悠然と座っていた。
セシリアとベアトリスは、ゴクリと唾を飲み込みながら、借金取りの女に向かって深々と頭を下げた。
「私たちも、この店で働かせてください!」
借金取りの女は、品定めするように二人を上から下まで眺めると、面白そうに鼻で笑った。
「あら……でも、貴方たちは『熟女』じゃないでしょう? うちは看板に偽りなしがモットーなのよ」
「熟女ではありませんが、ほら、若い方が殿方は好むものではありませんか? 熟女に混じって、少しばかり若い花が添えられている方が……店としても華やかになると思うのです!」
セシリアの必死なプレゼンに、ベアトリスも大きく頷く。
そんな二人を横で見つめるレティシアの顔には、「してやったり」という邪悪な笑みが浮かんでいた。
彼女が娘たちをこの場に連れてきたのは、決して親心の類ではない。娘たちがこの店で働けば、自分の背負った莫大な負債を二人に肩代わりさせ、自分はもっと早く自由になれるに違いない——そう確信したからだ。
泥沼の重労働から逃げ出したつもりの娘二人は、実の母親が仕掛けたさらに深い沼の罠に、自ら飛び込もうとしていた。
二人の様子をじっと観察していた借金取りの女は、やがて低い声で笑った。
「ふん……わかったよ。そこまで言うんなら、雇ってやる。ただし、うちは契約には厳しいよ。……さあ、ここにサインしな」
差し出された羊皮紙には、細かな文字でびっしりと規約が書き込まれていた。
浮かれたセシリアとベアトリスは、内容を精査することもなく、震える手で羽根ペンを走らせた。
彼女たちは、まだ知らなかった。
この店の門を一度叩けば、二度と「シャバ」の地を踏むことは叶わないということを。
店での衣食住、着飾るためのドレス、化粧品に至るまで、生活のすべてが新たな「借金」として積み上がっていくシステム。それを完済し、この夜の街から抜け出す道は二つに一つしかない。
目の眩むような大金を積んでくれる物好きな富豪に身請けされるか、あるいは、年老いて使い物にならなくなるまで、夜の蝶として羽をむしり取られ続けるか、だけなのである。
「よろしくね、お二人さん。今日からここが、あんたたちの新しい『お屋敷』だよ」
借金取りの女の冷ややかな声が、応接室に響く。
こうして、ルーカス伯爵邸の二人の令嬢は、自ら選んだはずの「華やかな道」の先にある、底なしの暗淵へと静かに沈んでいったのだ。
それから、数か月後。
「ねえ……どうして、働いても働いてもお財布の中身が増えないの……?」
「……お姉様、それどころか、先月のドレス代の利息で、また借金が増えているわ……」
熟女バーの楽屋で、厚化粧を崩しながら力なく囁き合う二人。
増え続ける借金という、筋肉よりも残酷な現実に、三人は永遠に続く夜の闇の中で打ちのめされるのであった。




