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第35話 灰かぶり姫は己の筋肉を反省する

膨大な量の支払い催促状と、領収書の写しの山。

それらを交互に眺めて、ルーカス伯爵は深く、重いため息をついた。


レティシアが魔女から買い付けた「惚れ薬」の代金——借金取りの手数料という法外な上乗せ付きの負債——については、彼女自身が熟女バーへとドナドナされていったことで、一応の決着はついた。

だが、問題は山積みだった。


彼女が日々重ねてきた贅沢な衣装代。

屋敷のあちこちに刻まれた、凄まじい破壊痕の修理代。

そしてトドメとなったのが、レティシアが見栄を張った大宴会の支払いである。

到底、今ある伯爵家の財産だけでどうにかできる金額ではない。

もはや、王都のこの屋敷を売り払い、田舎の領地へと引きこもるしか道は残されていなかった。


ルーカス伯爵は、ぐりぐりと自分の腹を押さえた。

精神的な絶望もさることながら、先日、愛娘(?)のアシュリンに無理やり食べさせられた「なんとも言えない料理」のダブルパンチにより、彼の腹具合はすこぶる悪かったのである。


「ハンス……悪いが、胃薬を持ってきてくれ……」

「旦那様! 大丈夫ですか!? 顔色が……」


ハンスの呼びかけが届いたかどうか。

次の瞬間、伯爵の身体は「バタッ」という重苦しい音を立てて、床に沈んだ。


直ちに主治医が呼び出され、緊迫した診察が行われる。

下された診断名は、あまりにも無情なものだった。


「過度な心労によるストレス、並びに……何か形容しがたい変なモノを摂取したことによる、急性胃腸炎です」


一切の刺激を避け、白湯さゆ以外は口にさせないように、と主治医による厳命が下された、その直後。

厨房では、そんな医師の言葉など微塵も耳に入っていないアシュリンが、腕まくりをして鼻息荒く立ち上がっていた。


ドゴォォォォン!!


「大変だわ! お父様が倒れるなんて……きっと栄養が足りていないのですぅ。私が最高のスタミナ料理を作って、元気にしてあげなくちゃ!」


「お、お嬢様! いけません、おやめください!」


料理長が顔を真っ青にして割って入ったが、アシュリンの決意は鋼鉄よりも硬い。


「弱った胃腸には、やっぱり獲れたての『野生のイノシシの心臓』と、血の巡りを良くする『激辛ハバネロ・マッスル薬草』の煮込みが一番ですぅ!」


「それは元気な人間でも絶命するメニューです!!」


料理長や下働きの料理人たちが必死に調理器具を隠そうとするが、アシュリンはそれらを軽々と持ち上げ、凄まじい手際で「調理」を開始した。


モワッ!モワッ!!モワット!


厨房に立ち込めるのは、およそ病人食とは思えない、鼻を突くような刺激臭とドス黒い蒸気。


そして数十分後。

お盆の上で、何かが「シュワシュワ」と不気味な泡を吹いている深皿を手に、アシュリンは伯爵の寝室へと続く廊下を猛進した。


「お父様ぁ! 特製・栄養満点スープを持ってきましたですぅ!!」


ババァン!!


扉を蹴り破らんばかりの勢いで突撃しようとしたその時。

仁王立ちで立ち塞がったのは、執事ハンスであった。


「お嬢様ッ!! そこで止まってください!!」


「ハンス、どいて! お父様にこれを飲ませれば、すぐに筋肉が……じゃなくて、元気になるわ!」


「お嬢様、その手に持っている『煮え滾る紫色の物体』は何ですか!? 先生からは白湯以外は厳禁だと言われているのです! それを旦那様に一口でも飲ませてごらんなさい、伯爵家は今日が命日になりますぞ!!」


「失礼ね! 愛情を込めて煮込んだのですぅ!」


「その愛情が重すぎるのです! いいですか、今は絶対安静! 旦那様をこれ以上苦しめたいのですか!?」


ハンスの必死すぎる形相と怒号に、さしものアシュリンも一歩後退した。


寝室の中からは、「……た、助けてくれ……勘弁してくれ……」という伯爵の、蚊の鳴くような震える声が漏れ聞こえてくるのであった。


「だいたい、旦那様が急性胃腸炎になられたのは、お嬢様のせいです!」

ハンスの容赦ない言葉が、廊下に響き渡った。


「私のせいですって!? 失礼ね、私はこんなにお父様のことを心配して……!」


「いいえ! 旦那様はお嬢様の毒……いえ、個性的すぎる料理と、積み重なった借金のストレスで倒れられたのです!」


「し……借金?」

アシュリンの手が止まり、スープの入った深皿がわずかに揺れた。


「左様です! レティシア様の浪費もさることながら、この屋敷のあちこちにある『謎の破壊痕』の修繕費が、どれほど家計を圧迫しているかご存知なのですか!? 壁、床、そして正門……すべてお嬢様の『日々の鍛錬』の副産物ではありませんか!」


ハンスが突きつけた真実に、アシュリンは絶句した。

言われてみれば、バルクアップにばかり気を取られ、力の制御――バルクの調整が完全に疎かになっていたのだ。


それは、かつてあの森の魔女の屋敷を壊してしまった時もそうだった。

アシュリンの胸が、チクリと痛んだ。


「(森の魔女の屋敷を壊したうえに、魔法の鏡まで割ってしまって……あの時も、魔女さんには散々迷惑をかけたのですわ。リチャード様の屋敷の庭だって、私が丸太を投げたせいで穴だらけ。公爵様はいつも笑ってらっしゃるけど、本当は迷惑をかけていたのかしら……?)」


己の筋肉が、愛する父を病に追いやり、家計を破綻させ、思い出の詰まった屋敷を売り払うところまで追い詰めていたのだ。

力加減を知らない己が悪い。


アシュリンは、手に持っていた「特製・栄養満点スープ」を見つめた。

愛情を込めて煮込んだはずのそれは、不気味な泡を立てながら、今の彼女の心境を映すようにどす黒く濁っていた。


寝室の奥から聞こえる父の苦しげな吐息が、今の彼女には何よりも重い「バルク」となって、その肩にのしかかるのであった。

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