第34話 灰かぶり姫は父のためにバルクアップ飯を作る(人間は食せません!)
「お父様……!」
アシュリンは、カッと目を見開いて父の顔を凝視した。その鋭い眼光に、ルーカス伯爵は思わず身をすくませる。
ついに、不貞(と彼が思い込んでいること)を白状するのか。あるいは、ブラックウッド公爵の権力を盾に、この父を屈服させるつもりなのか。
だが、娘の口から飛び出したのは、予想だにしない「診断」だった。
「お父様の顔色が悪い……! 血管の浮き出方も尋常じゃないわ。これは……重度のバルク不足(栄養失調)、あるいはオーバーワークによる疲労ですぅ!」
「……は?」
「いけませんわ、お父様。そんな細い腕でこの荒波の社交界を渡り歩こうなんて、丸太を持たずに激流に飛び込むようなものですぅ!!」
アシュリンは、絶望に沈んでいた父の肩を「バシン!」と一叩きした。伯爵の体が椅子ごと浮き上がり、背骨が悲鳴を上げる。
返事をする間もなく、アシュリンは脱兎のごとき勢いで部屋を飛び出し、台所へと向かった。
近頃、アシュリンがブラックウッド公爵邸に出入りしていたおかげで、ここには束の間の平和が訪れていた。料理長は鼻歌まじりに明日の仕込みをし、使用人たちは穏やかな日常を楽しんでいた。
だが、その平和は、地響きと共に粉砕された。
ドゴォォォォォン!!
扉を蹴り開ける衝撃音と共に、アシュリンが乱入した。
ガシャァァァン! ズシン! べシャッ!
愛用の巨大な鍋を調理台に叩きつけ、手際よく(という名の力業で)卵の殻を片手で次々と粉砕していく。
「あ、アシュリンお嬢様!? ギャアアア! 私が三日三晩かけて煮込んだ特製コンソメスープに、生の鶏むね肉を……そんなに大量に投入しないでください!! スープの透明度が、お嬢様のせいで一瞬にしてドロドロのプロテイン水に!!」
「何を言っているんですの! 透明なスープなんて、栄養が逃げ出した後の抜け殻ですわ! 全てはこの鍋の中で一つになるのですぅ!」
ゴォォォォォ!
アシュリンが火力を最大に強めると、台所中に「肉」と「茹で卵」のストイックすぎる香りが充満した。
料理長が泡を吹いて倒れ、若手の料理人が「せめて塩を……せめて塩を振らせてください……」と泣きながら縋り付いたが、アシュリンはそれを片手で優しく(物理的に)制した。
「余計な不純物はいりませんわ。お父様の筋肉に必要なのは、純粋なタンパク質。……さあ、命を燃やすのですぅ!!」
台所は一瞬にして戦場のメリークリスマスと化した。
数十分後。
伯爵の部屋に、アシュリンが巨大なトレイを抱えて戻ってきた。
「お待たせしましたわ、お父様。アシュリン特製、『鋼鉄の意志ボウル』ですぅ!」
ドン、と机に置かれたそれを見て、ルーカス伯爵は絶句した。
そこに鎮座していたのは、山盛りの茹でた鶏むね肉、どろどろに煮込まれた謎の緑色の野菜ペースト、そしてトッピングとして散りばめられた十数個のゆで卵(白身のみ)。味付けという概念を置き忘れてきたような、無機質な「物質」の塊だった。
「さあ、お父様。冷めないうちに筋肉に流し込むのですう!」
「……な、なんだ、これは。家畜の餌か? 嫌だ、私はこんな、不気味な物は……」
伯爵が本気で嫌がると、アシュリンは不思議そうに首を傾げた。
「あら? ジョンソンは喜んで食べるのに。変ですわね」
「……ジョ、ジョンソン?」
伯爵の動きが止まった。その名は、聞いたこともない男の名だ。
「誰だ! それは! どこの男だ、ジョンソンとは!」
エドワード王子という婚約者がいながら、ブラックウッド公爵と密会し、さらに「ジョンソン」なる男に手料理(?)を振る舞っているというのか。
「誰って……閣下のお宅で一番の食いしん坊さんですよ。私がこの特製メニューを運ぶと、いつも、はぁはぁと荒い息をついて喜んでくれるんです。たまに勢い余って、私に押し倒さんばかりに飛びついてくることもあって……」
「お、押し倒……ッ!?」
伯爵の脳裏に、筋骨隆々の野性味あふれる大男が、純潔な(はずの)娘を組み敷く破廉恥な光景が浮かび上がった。
「いかん! それはいかんぞアシュリン! 公爵閣下も、なぜそんな不埒な輩を屋敷に置いておくのだ! 貴族の館が、いつから無法地帯になったというのだ!」
「不埒? とんでもない、ジョンソンはとっても忠実で、可愛いですよ? 目なんてクリクリしていて、閣下にそっくりなんです」
「公爵に似た男だと……!? まさか、閣下の隠し子か、あるいは血縁の者か!」
伯爵はガタガタと震えながら、机の上の「鋼鉄の意志ボウル」を凝視した。
娘は、王子の婚約者という立場でありながら、公爵と密通し、さらにその屋敷で公爵似の男・ジョンソンを餌付け(しかも押し倒される仲)している。
「(……ルーカス家は終わりだ。明日には取り潰しの沙汰が下るに違いない……)」
「お父様、絶望して筋肉を分解させている暇はありませんわ! ジョンソンなんて、これ(鶏むね肉)を一口で飲み込む勢いなんです。お父様も、負けていられません!」
「私は……人間だぞ……。犬のように、そんなものを飲み込めるか……!」
「あら、お父様ったらおっしゃることが面白いですわ! だったらお父様も犬になって飲み込めばよいのです。ジョンソンを見習うべきですわ。四つん這いで全力疾走できるくらいの基礎体力をつけないと!」
「よ、四つん這いで全力疾走……!? ジョンソンとやらは、そこまで野蛮な男なのか!?」
アシュリンの中では「ジョンソン(犬)の身体能力=目指すべき理想の筋肉」として完結している。しかし、伯爵にしてみれば、娘が「四つん這いで走るような正体不明の男」に心酔し、あろうことか実の父にまでその野蛮な生活習慣を強要しているようにしか聞こえない。
「そうですわ! 彼は言葉なんて必要ないと言わんばかりに、肉体(全身)で喜びを表現する熱い男なんです。さあ、お父様もこの肉の塊を丸呑みにして、野性を取り戻してくださいですぅ!」
「言葉も喋らんのか、そのジョンソンは! 公爵は、どこの魔境からそんな獣のような男を連れてきたのだ……!!」
会話のドッジボールは、もはやお互いのコートにボールがないまま加速していく。
「……ハンス! ハンスはおらんか! 今すぐ胃薬と、あと…教会に懺悔に行くぞ!」
伯爵の絶叫が響き渡る中、アシュリンは「お父様、お腹が空きすぎて錯乱しているんだわ」と慈愛に満ちた表情で、スプーンに山盛りの鶏むね肉を掬い、父の口元へと突き出すのだった。




