第29話 灰かぶり姫は公爵家の料理長の「愛のフルコース」を迎え撃つ
魔女から「超特急・高濃度惚れ薬」を受け取ったレティシア。
彼女の頭の中では、現職の伯爵夫人である自覚など微塵もなく、リチャードと腕を組んでパレードをする自分の姿が出来上がっていた。
「おーっほっほ! 閣下、この『魔法の滴』で、わたくしの美貌に跪くがいいわ!」
彼女は執念の厚化粧をさらに塗り重ね、公爵邸へと乗り込んだ。
しかし、運命の歯車はアシュリンの筋肉によって、音を立てて狂い始める。
庭では、アシュリンがジョンソンと一緒に丸太投げトレーニングの真っ最中だった。
「せいやぁぁぁーっ!!」
アシュリンが放り投げた100kgの丸太が、地響きと共に着弾。
その凄まじい振動に、ちょうど「閣下ぁ〜!」と駆け寄ろうとしたレティシアが、無様にすっ転んだ。
「きゃぁぁっ!?」
レティシアの手から、ピンクに輝く小瓶が宙を舞う。
放物線を描いた小瓶は、ちょうど休憩のために厨房から出てきた公爵家の料理長の顔面に直撃し、中身が彼の口の中にダイレクトに注ぎ込まれた。
「……んぐっ!? な、なんだ、この芳醇な……バラのような香りは……」
料理長が目を白黒させていると、そこへトレーニングを終えたばかりのジョンソンが、ハァハァと舌を出して駆け寄ってきた。
運命の、邂逅である。
公爵家の料理長の瞳が、一瞬でピンク色のハートに染まった。
彼が惚れ薬の力で「最愛の主」として認識したのは、公爵でもレティシアでもなく、目の前で黄金の毛並みを輝かせている一頭の犬であった。
「ああ……なんという気高さ。なんという野性味溢れる肉体美……。私のジョンソン様……!」
「……バフッ?(え、なにこのおじさん)」
引き気味のジョンソンを余所に、公爵家の料理長の脳内では革命が起きていた。
彼はすぐさま厨房へと爆走し、かつてない気迫で包丁を握り直した。
「全スタッフに告ぐ! 今すぐ王都中の最高級赤身肉を買い占めてこい! ジョンソン様に捧げる、究極の……愛のフルコースを錬成するのだ!」
一方、レティシアは地面に転がったまま絶望していた。
「わ、わたくしの惚れ薬が……よりによって、おじさんと犬の間に……!?」
そこへ、騒ぎを聞きつけたアシュリンがのんびりとやってくる。
「まぁ、お義母様。地面とスクワットの練習ですの? それより見てください、料理長さんが急にやる気を出して『アシュリン嬢には負けないぞ!』って、すごい形相で肉を叩いていますわぅ!」
「……違う。そうじゃないのよアシュリン……」
料理長は、もはや王宮のプライドなど捨て去っていた。
「アシュリン嬢……! 君の作るあのドス黒いペーストなど、ジョンソン様には相応しくない! 私が……私が、真の愛を込めた究極の『犬専用シャトーブリアン』で、ジョンソン様の心と胃袋を奪ってみせるッ!!」
アシュリンに向けられた、まさかのライバル心。
「まぁ! 料理で勝負ですのね? 受けて立ちますわぅ! 私のプロテイン・ペーストと、どちらがよりバルクアップできるか、ジョンソンに判定していただきましょう!」
こうして、公爵邸の厨房は、
「歪んだ愛に目覚めた公爵家の料理長」
vs
「筋肉とイノブタラ(神)しか信じないアシュリン」
による、ジョンソンの胃袋を巡る史上最大の肉合戦へと突入するのであった。
ブラックウッド公爵邸の厨房は、かつてない熱気に包まれていた。
かつて王宮料理長として名を馳せた男が、今、人生で最も激しい炎をコンロに灯している。その瞳には、怪しく輝くピンクの情熱――すなわち「惚れ薬」によるジョンソンへの盲目的な愛が宿っていた。
「ジョンソン様……今、世界で最も甘美な肉の調べをお届けいたしますぞ……!」
公爵家の料理長は、買い占めさせた最高級シャトーブリアンを、まるでお宝を扱うかのように優しく撫でた。対するアシュリンは、いつものスパイスバッグを肩に担ぎ、堂々と調理台の前に立ちはだかる。
「料理長さん、そのお肉、脂が乗りすぎていてジョンソンの筋肉が重くなってしまいますわぅ! 私が、真の『野生』を思い出させて差し上げますわ!」
「はっ! 笑わせるなアシュリン嬢! 料理とは科学、そして愛だ!」
公爵家の料理長が動いた。
彼は肉を赤ワインと蜂蜜でマリネし、低温でじっくりと熱を入れ始めた。その手つきは優雅そのもの。
出来上がったのは、黄金色のソースが滴る『ジョンソン様専用・熟成肉のミルフィーユ仕立て』である。
「見ていろ……この芳醇な香りに、ジョンソン様は跪くに違いない!」
一方、アシュリンはフライパンを握ることすらしなかった。
彼女は持参した「巨大な野生イノブタの乾燥肉」を、まな板の上に叩きつけた。
「さあ、調理開始ですわぅ! まずは重力による繊維の超圧縮からです!」
ドォォォォォン!!
アシュリンが拳を振り下ろすと、調理台が悲鳴を上げ、乾燥肉が粉々に砕け散った。
そこへ、彼女秘伝の「謎の緑色プロテイン粉末」と、岩塩、そして野生の野草を投入する。
「水など使いませんわ! 全ては栄養密度のため! 拳で練り上げ、私の体温で発酵させますわ!」
バキバキッ! メキメキメキッ!
アシュリンが握力だけで肉と粉末をこね合わせると、もはや食材からは聞いたこともないような「物理的な破壊音」が響き渡った。
出来上がったのは、漆黒を通り越して深淵を覗き込むような色をした、『鉄球並の硬度を持つ特製エナジーイノブタラ肉塊』であった。
「ジョンソン様、どうぞお召し上がりを……!」
公爵家の料理長が跪き、銀の皿に盛られた芸術的な料理を差し出した。
庭でリチャードが見守る中、ジョンソンはゆっくりと歩み寄る。
クンクン、と鼻を鳴らすジョンソン。
公爵家の料理長は勝利を確信し、レティシアは物陰から「これで料理長が勝てば、アシュリンは居場所を失って追い出されるはず!」と爪を噛んでいた。
だが、ジョンソンは料理を一瞥すると、プイッと顔を背けた。
「な、なぜですジョンソン様!? 私の愛(惚れ薬込)が足りないというのですか!?」
絶望する料理長を余所に、アシュリンが自慢の「黒い塊」を放り投げた。
「ジョンソン、キャッチですぅ! 顎の筋肉を総動員して、完食してくださいですぅ!」
ジョンソンは、その黒い塊が宙を舞った瞬間、瞳に野生の狂気を取り戻した。
「ウォォォォォン!!」と咆哮し、空中でそれを見事にキャッチ!
ゴリッ! バキィッ!!
公爵邸の庭に、およそ食卓では鳴り響かないはずの「硬質な破砕音」が響き渡った。
ジョンソンは尻尾をプロペラのように回転させ、全力の咀嚼を楽しみながら、恍惚とした表情で黒い塊を飲み込んでいった。
「……バフッ!(これだ、この圧倒的な歯ごたえ! 筋肉が喜んでいる!)」
決着、そして……
「……負けた。私の『愛』は、彼女の『バルク(質量)』に及ばなかったというのか……」
公爵家の料理長はその場に崩れ落ちた。惚れ薬の効果でジョンソンを愛しているからこそ、彼が本当に求めていたのが「繊細な味」ではなく「顎を破壊せんばかりの強靭な歯ごたえ」だったという事実に、打ちのめされたのだ。
リチャードは、満足げにアシュリンの隣で座り込むジョンソンを見つめ、静かに呟いた。
「……料理長。愛とは、相手が何を求めているかを知ることだ。ジョンソンにとっては、美食よりも『生きる力』だったということだろう」
リチャードの言葉が、公爵家の料理長の胸に深く突き刺さった。
「閣下……。私は、間違っておりました。……アシュリン嬢! 私を、貴女の弟子にしてください! ジョンソン様に相応しい、最強の筋肉料理を学びたいのです!!」
「まぁ! 料理長さんも筋肉の道に目覚めましたのね? 歓迎しますですぅ! まずは、片手で牛を一頭捌くための握力トレーニングから始めましょう!」
「はい、師匠!!」
こうして、公爵邸にはまた一人、アシュリンの「筋肉教」に帰依する者が増えたのであった。
一方、レティシアは一人、誰もいなくなった庭で虚しく叫んでいた。
「わたくしのリチャード様は!? わたくしの惚れ薬の成果はどうなりましたのぉぉぉぉ!!」
彼女の声は、アシュリンと公爵家の料理長が始めた「大鍋スクワット」の掛け声にかき消されていた。




