第26話 灰かぶり姫は晩餐会の招待を横取りされる
ルーカス伯爵邸に、一通の重厚な封書が届けられた。
ブラックウッド公爵家の紋章が刻まれたその招待状を、レティシアはアシュリンに見つからぬよう素早く開封した。
宛名は――『アシュリン・ルーカス様』。
リチャードは約束通り、本邸での晩餐に彼女を正式に招待したのだ。
「(これをあの筋肉娘に渡すなんて、宝の持ち腐れよ……。いいえ、そうだわ!)」
レティシアは邪悪な笑みを浮かべると、アシュリンが懸垂(自重トレーニング)に励む部屋の扉を叩いた。
「アシュリン、あなたに招待状が届いているわよ。エドワード王子から、夜会への熱烈なお誘いですって」
「げっ!!」
室内から、あからさまに嫌悪感の滲み出た、地を這うような声がした。扉が勢いよく開くと、アシュリンが顔をしかめて現れた。
「まあ、そういう反応をすると思ったわ。……仕方ないわね、私と娘たちが、代理として失礼のないように(欠席を伝えに)出席してきてあげるわ」
「ええ、お願いしますわ。お義母様たち、あんな粘着質でナルシストの生理的に無理な男の相手をするなんて……本当にお気の毒に。私はここで、自分の筋肉と会話することにしますわ」
アシュリンは心底義母たちを労わり、再び室内へ消えた。
「(ふふふ、チョロいものね!)」
レティシアは、セシリアとベアトリスをドレスアップさせ、自分は娘達を更に上回るゴージャスな装いを整え、そしてアシュリンへの「招待状」を握りしめて、意気揚々とブラックウッド公爵本邸へと乗り込んだのである。
ブラックウッド公爵邸の晩餐会場。
そこは、アシュリンが想像していた「貧乏公爵の館」とは程遠い、豪華絢爛な大宮殿だった。
リチャードは、アシュリンが来るのを待っていた。彼女のために、国中から選りすぐった「極上のイノブタラ」を用意させて。
しかし、現れたのは――。
「公爵様、お招きにあずかり光栄ですわ。アシュリンは急な体調不良でどうしても動けず、代わりに私共が参りましたの」
淑やかに嘘をつくレティシア。
背後では、屋敷をギラギラとした瞳で見渡して、公爵家の財産を計算しているセシリアとベアトリスがいた。
リチャードの瞳から、スッと光が消えた。
「……そうか。ならば、彼女との『約束の品』だ。存分に味わってほしい」
運ばれてきたのは、銀の皿に鎮座する、圧倒的な質量を持った『イノブタラの塊肉の特製グリル』。
都会の軟弱なフレンチに慣れた義姉たちにとって、それはもはや顎への暴力だった。一口運ぶごとに強靭な筋繊維が顎を跳ね返し、野生の脂が舌を蹂躙する。
「……っ、うぷっ」
セシリアが青い顔でフォークを置こうとすると、テーブルの下でレティシアのヒールが彼女の足を捉えた。
「(………! さあ、あなたたち、しっかり食べなさい。この素晴らしい公爵様の前で醜態をさらすなんて許しませんわよ!)」
レティシアは、冷徹に自分たちを見下ろすリチャードの美貌に見惚れていた。恐怖など微塵もない。むしろその冷たさにうっとりしながら、娘たちに完食を強要する。
「(いいわ 最高だわ! リチャード様…顔・金・権力。やっぱり男はこうでなくっちゃ)」
ようやく最後の一片を喉へ押し込み、死に物狂いで完食した娘たち。レティシアは満足げに微笑み、リチャードへ畳み掛けた。
「まあ公爵様! なんて素晴らしい晩餐でしたのでしょう。わたくし共、このイノブタラの虜になってしまいましたわ。毎日でもいただきたいくらいですわね!」
「えぇ……そうですわねお母様」
「私も素晴らしさのあまり涙目になってしまいました」
レティシアにヒールで蹴られるので、義姉二人は心にもない称賛を口にした。
リチャードは無表情のまま、背後に控えていた使用人に冷徹な合図を送った。
「……そうか。それほどまでに気に入ったのなら、用意させた甲斐があったというものだ。キッチンに残っている分を、すべて持ってこい。彼女たちの皿が空だ」
「「…………え?」」
「遠慮はいらない。まだ塊肉が三つ、それと内臓の煮込みも残っている。虜になったというのだから、残さず食べていってくれるのだろう?」
「さあ、あなたたち! 公爵様のご厚意ですわよ! しっかりお代わりをいただきなさい!」
「「…………っ!!(絶望)」」
再び運ばれてくる、山のような肉の塊。
レティシアの歪んだ欲望と、リチャードの氷のようなおもてなしに挟まれ、義母と義姉二人のイノブタラ地獄の第二回戦が幕を開けた。
おかわりのイノブタラも全て平らげて、義母と義姉二人は、馬車に揺られてルーカス邸に戻ってきた。
途中猛烈な吐き気と戦い、帰宅後もしばらくの間は、胃薬と腹痛に悩まされたのだった。
翌朝。ルーカス邸の空気は、重苦しい胃薬の匂いに包まれていた。
昨夜、リチャードの無慈悲な「おもてなし(お代わり波状攻撃)」を完食したレティシア、セシリア、ベアトリスの三人は、真っ白な顔で這うようにして自室のベッドへ潜り込んでいたのである。
そんな「死の静寂」に包まれた屋敷に、場違いなほど軽やかな、しかし力強い来客が告げられた。
「……ブラックウッド公爵閣下がお見えです」
ハンスの震える声に、寝込んでいたレティシアがガバッと飛び起きた。
「な、なんですって!? 公爵様が直々にわたくしに会いに……! ああっ、でも今のわたくし、顔色が土気色……でも、行かなくては……っ、うぷっ」
胃の奥から込み上げるイノブタラの脂の記憶と戦いながら、レティシアは必死に身なりを整える。
一方、昨夜の「エドワード王子の夜会(嘘)」で、お母様たちは相当過酷な目に遭ったのだと同情していたアシュリンは、玄関先でリチャードを迎えて目を丸くした。
「リチャード様! どうしてこちらへ?」
「約束の品――最高級のイノブタラだ。新鮮なうちにと思って届けに来たよ」
リチャードの背後には、立派なイノブタラの塊肉を抱えた従者たちが控えていた。それを見たアシュリンの瞳が、キラキラと輝き出す。
「まあ! わざわざ届けてくださるなんて! ありがとうございます、リチャード様!」
そこへ、フラフラになりながらレティシアがホールへ現れた。
「……っ、公爵様……ようこそお越し……ひっ!!」
レティシアの視界に、昨日自分たちの胃袋を破壊した「悪魔の肉」が飛び込んできた。
その芳醇で野生的な脂の匂いを嗅いだ瞬間、彼女の顔面は瞬時にグリーンへと変色する。
「お母様! 顔色がプロテインを忘れた時の私みたいですわよ!? ……せっかくリチャード様が届けてくださったのですもの。今日は私が、特別に腕を振るって差し上げますわ!」
「えっ、アシュリン、君が料理を……?」
リチャードが少し意外そうに眉を上げた。
「ええ! 素材が良いのですから、私の『筋力』を活かせば、もっと効率的に栄養を抽出できるはずです!」
そう言ってアシュリンが調理場へ向かった数十分後。
ガシャン!バリッ!ベジャ!ドーン!!
キッチンからは、料理の音というよりは、建築現場のような破壊音と、何か未知の化学反応が起きているような異臭が漂ってきた。
「お嬢様、本当にお出しになられるのですか?」
ルーカス邸の料理長の顔が死刑宣告をうけたように青ざめる。
「何を言ってるの?作った料理は出さないと」
「(死ぬぞ!あんなもの食べたら死ぬぞ!ヤバい責任取らされるのか?俺…)」
「……お待たせいたしました! アシュリン特製・『超高密度タンパク質抽出・イノブタラのペースト仕立て』ですぅ! さあ、召しあがれ!」
運ばれてきたのは、もはや肉の原型を留めていない、どす黒い灰色の泥のような物体だった。
アシュリンが「より吸収を良くするため」に、超人的な握力で繊維をズタズタに破壊し、ありとあらゆるスパイス(と称した謎の粉末)を投入し、さらに高火力で炭の一歩手前まで追い込んだ一品である。
満面の笑みで差し出された「生物兵器」を前に、社交界の鉄面皮・リチャードも、人生で初めて「逃走」という二文字を脳裏に浮かべた。
そして、その隣で匂いを嗅いだレティシアは、ついに限界を迎え、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
その時屋敷の扉が開いた。
バタン!!
「……ジョンソン!?」
リチャードの馬車に待たせていたはずの愛犬が、猛スピードでルーカス邸へ駆け込んできた。
どうやら厨房から漂ってくる異様な匂いに引き寄せられたらしい。
ジョンソンはテーブルの下に潜り込み、アシュリン特製『超高密度タンパク質抽出・イノブタラのペースト仕立て』を一口舐め――
次の瞬間、尻尾を猛烈なプロペラのように振りながら夢中で食べ始めた。
「まあ! ジョンソンは、この料理の価値が分かるのですわね!」
満面の笑みのアシュリンの隣で、リチャードは静かに確信した。
――この料理で幸せになれるのは、どうやらジョンソンだけらしい。




