第23話灰かぶり姫はリチャードの身分を知り同情する
揺れる馬車の中で、アシュリンは窓の外を凝視し、リチャードとの不必要な接触を避け続けていた。
やがて馬車は、森の静寂を抜け、ルーカス伯爵邸の門を潜る。
玄関先に馬車が止まると、すぐに邸の重い扉が開いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様! ……。おや、そちらの殿方は?」
困惑顔で現れたのは、執事のハンスだった。行きとは全く違うドレス姿、しかも夜更けに見知らぬ男性と馬車で帰宅したアシュリンを見て、彼は卒倒しそうになる。
「ハンス、心配をかけましたわ。……森で少々アクシデントがありまして、こちらの殿方に送っていただいたのです」
「左様でございましたか……。これは失礼いたしました。見ず知らずの殿方に、大切なお嬢様を送り届けていただくとは、伯爵家の名折れ。……さあ、どうぞ中へ。せめて温かいお茶の一杯でも差し上げませんことには、主人の顔が立ちませぬ」
ハンスは義務感からリチャードを中へ招こうとする。
「いや、私はここで失礼する。彼女を無事に送り届けるのが目的だからね」
「いいえ、そういうわけにはいきません。どうぞ、こちらへ」
リチャードが辞退し、ハンスが食い下がる。玄関先でそんな押し問答が繰り返されていた、その時だった。パタパタと慌ただしい靴音が響き、ホールに義母レティシアが姿を現した。
「まぁ〜おかえりなさい。もしかしたら今度も数週間帰って来ないと思ったのですけど、ずいぶんと早いご帰宅ですわね」
アシュリンを恐れてはいても、数週間は屋敷の破壊(修行)から解放されると思っていたレティシアは、つい皮肉を口にしてしまった。だが、その視線がアシュリンの横に立つ男を捉えた瞬間、彼女の表情は凍りついた。
「……ブラックウッド公?!」
「え!」
驚いたのはアシュリンだ。公爵? 彼女は社交界の勢力図にも、高位貴族の顔ぶれにも絶望的なほど疎かった。
「リチャードは公爵様なの?」
「……まあ、一応そうだね」
リチャードが肯定した瞬間、アシュリンの脳内では猛烈な勢いで妄想が始まった。
「(公爵? 公爵といえば、貴族の最高位……。それなのに、あんなにこじんまりとした邸宅に住んで、使用人もたった二人の老夫婦だけ……。ああ、なんてこと。ご身分はあるけれど、生活が立ち行かない『貧乏公爵』様だったのね!)」
もちろん、アシュリンは知らない。あの森全体が彼の領土(ブラックウッドの森)であり、森の館は、彼が「一人になりたい時」にだけ使う質素な別宅である事や、王宮近くにある本宅は、数百人の使用人が傅く、目も眩むような豪華絢爛な大邸宅であるということを。
「(きっと、不実な振る舞いをしているのも、寂しさを紛らわせるためか、あるいは奥様の贅沢がすぎて家計が苦しいのかしら……。だからあんなに、ご自分で鹿を捌いてまで食費を浮かせて……。……お可哀想に!)」
アシュリンは、自分と同じく「食(タンパク質)」のために苦労しているであろう(と信じ込んだ)リチャードに対し、深い同情の眼差しを向けた。
一方、レティシアは別の意味で戦慄していた。
ブラックウッド公爵といえば、この王国において「花婿にしたい男No.1」に君臨する、社交界の伝説である。エドワード王子を狙う野心家たちとは対照的に、「王家に嫁いで面倒な義務に縛られるのは御免被りたい。けれど、最高の地位と財産、そして極上の容姿の男を手に入れたい」と願う令嬢たちは、こぞってリチャードを本命に据えていた。
かくいうレティシアも、自分があと数年若ければ、間違いなくリチャードを狙い、死に物狂いでその座を奪いに行っていたはずだ。
「(なんていうこと……! あの粘着ナルシスト王子なら惜しくもないけど、ブラックウッド公は別格よ……。この筋肉娘に渡すわけにはいかないわ。そう、ブラックウッド公爵の花嫁になるのは私の娘たちよ!)」
レティシアの瞳に、嫉妬と野心が混ざり合ったどす黒い炎が灯る。そんな中、彼女は必死の形相で、膝をつかんばかりの勢いでリチャードを誘った。
「ブラックウッド公爵様、このような場所で立ち話も失礼にございます。どうか、中へ……!」
だが、アシュリンにはそれが「落ちぶれた公爵様に、せめて温かいお茶くらいはと気を遣う義母の哀れみ」に見えていた。
「お義母様、公爵様は……貧乏暇なし、いえ、お忙しいのです! 明日の食い扶持をかせぐためにも狩りに行かなければいけませんもの!無理に引き留めてはいけませんわ」
「ア、アシュリン……! あんた、今なんとおっしゃいました……!?」
レティシアの顔が、今度こそ恐怖と驚愕で土気色になった。
「歩く権力」に向かって「貧乏暇なし」などと放言したのだ。この場で自分たちもろとも首を跳ね飛ばされても文句は言えない。
しかし、リチャードは怒るどころか、面白そうに喉を鳴らして笑った。
「くくっ……。ああ、そうだね。彼女の言う通り、明日の『食いぶち』を稼ぐためにも、夜更かしは禁物だ。……失礼するよ、伯爵夫人」
リチャードはそう言い残すと、優雅に身を翻し、夜の闇へと消えていくと馬車へと戻っていった。
「……あ、あの御方が笑った……。あのブラックウッド公が……?」
社交界でブラックウッド公の笑顔を見た者はいない。端正な顔立ちではあるが、いつもの気難しい顔で立ち振る舞っていることで有名だったのだ。
呆然と立ち尽くすレティシアと、それを見送るアシュリン。
「イノブタラの料理を振る舞ってもらう約束をしたけど、私があの館に差し入れしてあげようかしら……大変そうですものね」
アシュリンは、自分と同じ「食に苦労する同志」への友情を、密かに熱く燃やすのだった。




