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第17話 灰かぶり姫は現実に打ちのめされる前編

アシュリンは、鏡の前で自分の胸板(大胸筋)

を、サイドチェストのポーズで確認していた。


「……よし。この厚みなら、シンシアス様も『なんてダイナミックな爆乳なんだ!』と感動してくださるはずですわ」


現実逃避ではない。彼女は本気でそう思っていたのだ。大胸筋の厚みも爆乳のうちだと。

肉の質量という一点において、筋肉と脂肪を同じカテゴリーに分類してしまったアシュリンの思考は、あまりにも真っ直ぐで、そして致命的にズレていた。


さらに、毎日、台所を戦場跡に変え、消し炭のような「肉塊」を生成し続けていたアシュリンだったが、何故だかその日は、至極まともな料理が出来上がったのである。


その名も、『アシュリン特製・高密度プロテイン・スナッチ・サンド』


焼き上がったパンは、彼女の握力に耐え抜いた高密度のライ麦パン。そこに挟まれているのは、低温でじっくり(アシュリンの怒気で)蒸し上げられた鶏胸肉の塊と、ブロッコリーのタワー。彩りなど二の次。


断面図を見ただけで顎が外れそうな、総重量二キロ超えの超重量級サンドイッチである。


だが、焦げてはいない。形を保っている。それだけで、ルーカス邸の料理人たちは「奇跡だ……」と涙を流して拝んだという。


「……よし。これを、あの時助けていただいたお礼として、シンシアス様の元へ届けに行きますわ!」


あくまで「お礼」は建前だ。

本命は、このサンドイッチで家庭的な一面をアピールし、この大胸筋(爆乳)でシンシアスをゲットという実に短絡な計画だった。


アシュリンは、その巨大なサンドイッチをダンベルのように軽々と持ち上げると、迷いのない足取りでシンシアスの住む小屋に向かった。


「ごめんあそばせ。……シンシアス様、いらっしゃいますか?」


アシュリンは、かつてないほど「しとやか」に、小屋の扉をそっと叩いた。


心臓の鼓動が高まる。自慢の大胸筋をぐっと突き出し、シンシアスが扉を開けた瞬間に、その「圧倒的なバルク」を披露する準備は万端だった。

だが。


ギィィ……と重い音を立てて扉が開いた瞬間、アシュリンの『猫被りの仮面』がひび割れた。


「……何よ、あんた。何の用?」

そこに立っていたのは、シンシアスではなかった。


現れたのは、一人の女性。

そしてアシュリンは、自分の目を疑った。

その女性は、アシュリンが努力とプロテインと筋トレで必死に作り上げようとしていた「それ」を、極めて天然に、そして圧倒的な暴力を持って備えていたのである。


横ではない、縦の高さが圧倒的なのだ。

そう、正真正銘、本物の「爆乳」であった。


アシュリンの鍛え抜かれた大胸筋のような「硬質感」はない。それは、まるで上質なマシュマロか、熟しきった果実のような、柔らかでいて破壊的なボリューム感。


シンシアスが好むと噂の「爆乳」を体現したかのようなその女性は、アシュリンの全身を一瞥すると、実に不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「あんた、誰? 見ない顔ね。……シンシアスに何か用?」


アシュリンは動揺した。あまりの縦の暴力に、自慢の大胸筋が、まるで空気が抜けた浮き輪のようにしぼんでいく錯覚すら覚えた。


「え、あ、わたくしは……。その、シンシアス様に助けていただいたお礼に……。あ、あの……この料理を」


言葉がうまく出てこない。目の前の女性は生物学的な脅威を放っていた。


「お礼? ふーん。……おい! シンシアス、あんたに客だよ! 起きて来なよ」


奥から、聞き慣れた低い声が響き、眠そうに目を細めたシンシアスが顔を出した。アシュリンは慌てて『猫被りの仮面』を張り直す。


「あの、シンシアス様……。こちらの方は、一体……?」


アシュリンが震える指でその女性を指すと、シンシアスは、ほんの一瞬、何かを言い淀むように視線を泳がせた。


「あぁ、……こいつか? 私の従妹のベリンダだ。このあたりで猟師をしていてね、獲物を捌くのを手伝わせているんだ。ベリンダ、客人に失礼だぞ」


「従妹……!」


アシュリンの胸を撫で下ろす音が聞こえそうなほどの安慮が広がった。なんだ、奥方ではなかったのか。ならばこの圧倒的なボリュームも、ただの血縁的な個体差として処理できる。


しかし。従妹と呼ばれたベリンダは、シンシアスの説明を聞くと、アシュリンに向かって何やら意味ありげに、ニヤリと口角を上げた。その笑みは、単なる「親戚の挨拶」にしては、あまりにも含みがありすぎた。


「ねぇ、あんたそれ何?何持ってるの? ……プッ、それ、人間の食べ物なの?」


ベリンダはアシュリンが必死で作った二キロのサンドイッチを指差し、隠そうともせず吹き出した。


「わたくしが……一生懸命……焼き上げた、愛情のライ麦パンですわ!」


「愛情? 呪いの間違いじゃないの?! 毒リンゴは即死だけど、それは顎が外れるという痛みで、のたうちまわらなくてはならない代物だから、毒リンゴよりたちが悪そうね」


「なっ……!」


アシュリンの血管がこめかみで踊った。自分の努力を、何故?ここまで馬鹿にされなくてはならないのか。いくらシンシアスの従妹であろうと許せなかった。


アシュリンは怒りのあまり、シンシアスの制止を振り切って小屋の中へと一歩踏み込んだ。


「失礼しますわ! 台所をお借りして、温め直せばふっくらと柔らかくなって、この美味しさがわかりますわ!」


だが、そこでアシュリンの足が止まった。

小屋の奥にあるベッド。そこは、シーツが無造作に引き剥がされ、何やら激しく動いた形跡。


――これほどわかりやすい事実はないのだが、しかし、悲しいかな。アシュリンはアシュリンだった。

乱れたシーツを見た彼女の感想は、こうだった。


「(……なんて激しい寝相かしら! きっと、寝ている間も体幹トレーニングを欠かさないストイックな生活を送っていらっしゃるのね! さすがシンシアス様!)」


体幹トレーニング…ある意味正しいが…。


「シンシアス様! 素晴らしいですわ! 筋肉の回復には良質な睡眠、そして激しい寝返りによる代謝アップが欠かせませんものね!」


これには、隣にいたベリンダの方が面食らった。


「……はぁ? あんた、本気で言ってるの?」


ベリンダは呆れ果て、隣のシンシアスを肘で突きながら、軽蔑を込めて吐き捨てた。


「なんなのこの女! シンシアス、あんた趣味が変わった? ……こんな筋肉馬鹿女もあんたの『これ(・・)』?」


ベリンダは呆れ顔で、スッと小指を立てて見せた。

それは世間一般では「愛人」や「女」を指す、きわめて卑俗なジェスチャーであった。

しかし、アシュリンの目には全く違う意味に映っていた。


「(……小指!? つまり、小指一本でわたくしを捻り潰せるとおっしゃるの!? なんて恐ろしい挑発……! やはりこの女、ただの爆乳従妹ではありませんわ。筋肉(物理)による挑戦状ですわね!)」


筋肉モンスターとはいえ、アシュリンは一応これでも伯爵令嬢だった。世間一般とはズレているのは仕方ないのかもしれない。


「……お受けしますわ。その挑戦、逃げるわけにはいきません!」


アシュリンがバキバキと拳を鳴らす中、シンシアスはただ一人、深いため息をついて天を仰いだ。



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