第六十九話 日曜日の茶会②
ちょっと踏み込み過ぎただろうか。
少し心配になったけれど、茜音さんは特に動揺した様子もなくその質問に答えてくれた。
「私の生まれた家は少し変わっていて……巫覡を多く輩出する家系でした。夏目さんは巫覡というものをご存知ですか?」
「はい。大まかにですが……神さまに仕え、その言葉を人々に伝える人たちのことですよね?」
「ええ。ただ、私たちの一族は少し特殊な活動も行っていました。それが鬼を調伏すること、そして清め祓うことです。私も幼少の頃から鬼に関する知識や相対するのに必要な技術を教え込まれてきました」
「そう……なんですね」
神御目市立図書館で見た夢の内容が脳裏に蘇る。過去の狩森神社で一心に巫覡となるための修業を積んでいた茜音さんの姿。目の前の茜音さんは少し困った顔で笑う。
「……驚きましたか?」
「え? あ……はい。まあ、その……少しは」
「ごめんなさい。わざと隠したり騙したりするつもりはありませんでした。ただ、荒唐無稽な話をして、夏目さんを不快にさせたくなかったのです。夏目さんは、あまりそういった話を好まない方だと思っていたので」
確かに以前の僕は、心霊現象や怪奇現象など存在するわけがないと豪語していた。だから、茜音さんが己の出自について言い出しにくかったのは理解できる。
ただでさえ、普通はそんな話をしたりしない。宗教やオカルトの話は避けて当然、それが社会のマナーだからだ。
でも、だからと言って、ここで会話を終わらせるわけにはいかない。僕はまだ肝心なことを何ひとつ茜音さんに聞いていないからだ。
何とかして、ここからさらに話題を広げなければ。僕は慎重に言葉を選ぶ。
「ええと……つまり、キナリ村の怪談は鬼の話……鬼譚だったということですよね?」
「ええ、そうなりますね」
「ぶしつけな質問になってしまうかもしれませんが……茜音さんが本当に蒐集しているのは、ひょっとして怪談ではなく鬼譚の方なのではないですか?」
すると、茜音さんの瞳が一瞬、揺れた気がした。
僕はどきりとして茜音さんを見つめる。けれど彼女の口調に動揺はない。
「……何故、そのように思うのですか?」
そう聞き返され、僕はしまった、と思った。狩森図書館の地下にある隧道の先で聞いたヒソヒソ声がそのようなことを言っていたから、なんて言えるわけがない。
かと言って、いつまでも口ごもっていたら怪しまれてしまう。
「それは……茜音さんの怪談蒐集に対する情熱がとても趣味の範疇だとは思えないからです。茜音さんが怪談を好きなのは分かっています。でもそれだけではどうして違和感が拭えなくて……。でも、茜音さんが鬼を研究しそれらを祓う技術を持った一族の末裔であり、その影響で鬼譚を蒐集しているのではないかと仮定すると、腑に落ちる気がするんです」
ところが、茜音さんは首を横に振るのだった。
「それは誤解です。怪談を蒐集していると、時おりその中に鬼譚が混じることはあります。ちょうどキナリ鬼譚がそうだったように。けれど、あくまでそれは偶発的に起こることであって、意図して鬼譚を蒐集しているということはありません」
……嘘だ。
僕は咄嗟にそう思った。
けれどそれはとても感覚的なもので、何故そう感じたかまではうまく説明できない。
例の、過去の狩森神社に関する夢の記憶があるからかもしれないし、それとも茜音さんの言動のどこかしらに、言葉では説明できないほどの微かな不自然さを感じたからかもしれない。
(落ち着こう、僕は別に真実を追求したいわけじゃない。あくまで茜音さんの気持ちが知りたいだけだ)
小さく息を一つ吐くと、僕は再び茜音さんに尋ねる。
「それでは、茜音さんが怪談を蒐集している理由は何ですか? 差し障りがなければ教えてください」
すると茜音さんは視線を伏せてティーカップを持ち上げ、それを両手で包んだ。ティーカップの中には、まだ鮮やかな琥珀色をした紅茶が残っている。
「それは……この狩森図書館はそのために設立された施設だからです」
「つまり、狩森図書館は怪談蒐集のための図書館ということですか?」
僕の問いに茜音さんは頷いた。その弾みで手元が揺れ、ティーカップの中に残った紅茶も小さく波打つ。
「図書館にはさまざまな役割があります。代表的なものですと、知識や情報、文化を本という形で収集し、保存すること。或いはそれらを体系化し、万人に分かりやすく提示したり提供したりすること。また、学習や研究、調査といった知的活動の支援や、文化の継承、促進などですね。
けれど、この狩森図書館は私設図書館で、公立の図書館と比べて規模も小さいため、その全てを担うことはできません。ですからその役割を、中でも知識や情報の収集と蓄積、そして保存に特化することにしたのです。
それも公的に残される記録や史料ではなく、誰にも掬い上げられることのない人々の、他では打ち明けられることないリアルな声に絞り込んで。それがこの狩森図書館の創設者である人物の遺志だったのです」
「それを忠実に突き詰めた結果が怪談蒐集だった……ということですか」
「ええ、概ねその通りです」
最初に狩森図書館を訪れた時から奇妙に感じていた。この図書館はあまりにも来館者が少なすぎると。
けれど、茜音さんの話を聞く限り、それはたまたまそうなってしまったというわけでなく、故意にそうなるよう設計されていたということなのだろう。
狩森図書館は最初から所蔵されている本や知識、情報を利用者に提供することに重きを置いていないのだ。
「でも……辛いと感じることはないですか?」
そう口にした瞬間、茜音さんはまっすぐに僕を見る。
彼女の胸元の露草色をした勾玉が揺れ、きらりと光を反射する。
「あ、いえ……利用客がほとんど来ないということは、茜音さんは多くの時間をこの図書館内で一人きりで過ごすということでしょう? その……寂しくはないんですか?」
すると、茜音さんは優美に微笑んだ。それは一分の隙も無いほど美しい笑みだった。
「正直なところ、全く寂しいと感じないと言ったらそれは嘘です。けれど、私には怪談がある。怪談を聞き、それを紙にしたためることで、今まで何の関わりもなかった人々の思いや考え、そして感情に想いを馳せることができる……つまり、その時だけ私は他の誰かと繋がることができるのです。そして彼らの話に驚かせられたり、考えさせられたり、激しく胸を揺さぶられたりする。それだけで私には十分なのです。私はこの狩森図書館から離れることはできないのですから……」
「……」
再び例の狩森神社の過去を映した夢のことを思い出す。
藤黄老は確か、御霊の丘を崩し、洋風の図書館を建てると言っていた。それがこの狩森図書館なのは間違いないと思う。
(でも、藤黄老は何のために図書館を建てると決意したんだっけ……?)
いろいろなことが起こり過ぎて、まだ完全に混乱状態から抜けきっていない。ただ、はっきりと覚えていることが一つだけある。
それは狩森神社の御神体であるいざや桜の強烈な存在感だ。
いざや桜は狩森神社における中心的な存在だった。それ故にいざや桜の焼失が狩森神社崩壊の引き金となってしまったのだ。
(茜音さんは……夢の中じゃない、いま目の前にいる茜音さんは、いざや桜のことを知っているのだろうか……?)
何だか無性に気になって仕方がない。狩森の人々にとって、いざや桜は何ものにも代えがたい大切な存在だった。それは茜音さんにとっても同じだったはずだ。もし茜音さんがいざや桜の話題に大きな反応を示せば……そしてその反応次第では、僕が市立図書館で見た夢が現実とリンクしているという証明になるのではないか。
そう考えると、茜音さんがいざや桜についてどう対応するのか知りたくてたまらなくなった。
茜音さんを試すみたいで心苦しくはあるけれど、好奇心には勝てなかった。
何より、ここで確認しておかなければ、この先、後悔することになるかもしれない。あの時、茜音さんにいざや桜のことを聞いておけば良かった、と。
だから、僕は思いきって茜音さんに尋ねてみることにした。
「あの……茜音さん」
「はい、何でしょうか、夏目さん?」
「今日、町中を自転車で走っていて、たまたま耳に挟んだのですが、その昔、この地方にはそれは見事なしだれ桜が植わっていて、人々からいざや桜と呼ばれ親しまれていたそうです。ただ、残念なことに、明治時代の頃、火事によっていざや桜は燃えてしまっており、今はもうその姿は見られないのだそうですが……。茜音さんはいざや桜のことをご存知ですか?」
すると茜音さんは懐かしそうに目を細めた。まるで物置の奥から、自分の記憶にも残っていないほど遠い昔に仕舞い込んだ大切な宝箱を見つけ、それを取り出した時のように。
「もちろん存じています。神御目市の守り神、いざや桜のことですね? 私は実際に見たことはありませんが、それは立派なしだれ桜だったと聞いています。現代でも様々な形で語り継がれているほどの伝説的な桜ですから、燃えずに残っていたら今ごろは神御目市の観光名物になっていたかもしれません」
「そうなんですか。やっぱり、いざや桜は有名なんですね。でも、桜って挿し木や接ぎ木で増やすことができるのだそうですよ。もし、いざや桜も燃えずに残った枝があって、挿し木や接ぎ木に成功していたら、今でもどこかで生きているかもしれませんね」
僕は探るようにして茜音さんにそう尋ねる。
すると茜音さんは、先ほどと同じ、一点の曇りもない美しい笑顔を浮かべて答えたのだった。
「そういった話は聞いたことがありませんが……そうですね。もし、いざや桜が現代でも生きているなら、神御目市の人々はとても喜ぶでしょうね」
これも嘘だ。僕は直感的にそう思った。
何故なら、桜は挿し木や接ぎ木で増えることを話した時、どことなく茜音さんから警戒された感じがしたからだ。
(茜音さんは常に嘘をついているわけじゃない。決して僕のことを欺こうとしているわけじゃないんだ。でも、部分的に本当のことを言っていなかったり、少し誤魔化した言い方をする時がある。それは何故なんだろう……?)
これまでの会話の中で、茜音さんが明確に嘘をついたのは二回。
一つは鬼譚蒐集のくだり、もう一つはいざや桜に関してだ。
そのうち、いざや桜について嘘をついた理由はある程度、想像することができる。
(あくまで僕が見た夢の中での話だけど、あの過去の世界ではいざや桜は狩森神社の御神体で、何よりも守らねばならない存在だった。何故なら、いざや桜がなければ〈鬼神の法〉を行うことができないからだ。
藤黄老は狩森神社の秘儀である〈鬼神の法〉を人の目に触れないところに隠し、守り抜くことにこだわっていた。茜音さんがいざや桜について嘘をついたのは、藤黄老の遺志を尊重したかったからじゃないのかな)
それを考えると、茜音さんが鬼譚について嘘をついたのも、やはり同じ理由からではないだろうか。僕はそう考えた。
つまり、鬼譚が狩森の秘術、〈鬼神の法〉に何らかの形で関わっているから、言葉を濁さざるを得なかったのではないか。
(狩森神社、いざや桜、〈鬼神の法〉、鬼神、言霊、狩森図書館の地下の隧道の先にある木製扉、そこでヒソヒソ声が言っていた『鬼の娘』という言葉、そして鬼譚蒐集……多分、これからは全て繋がっている。その繋がりがどういったものかは、僕には分らないけれど……)
それをここで問い質しても、茜音さんが答えてくれるとは思えなかった。
茜音さんは決して好んで嘘をつく性格ではない。むしろ、他者に対して誠実であろうとする人だ。そんな彼女が嘘をついてまで守ろうとしているものを、そう簡単に手放すとは思えなかった。
そもそも、僕が持っている狩森神社や狩森図書館の情報は基本的に夢の中で得たもので、真偽のほどは定かではない。これ以上の追及はきっと無意味だ。
だから僕は、質問を切り替えることにした。
「それでは、最後にもう一つだけ質問をしても良いですか?」
「はい。私がお話しできることなら、何でもお答えします」
茜音さんは手にしていたティーカップを受け皿に戻してから言った。陶器どうしがぶつかって、チン、という甲高い音を立てる。
「茜音さんはどうして僕を怪談の聞き手役にしたんですか? 僕は何の変哲もないただの高校生でしかないですし、他に聞き手に相応しい人はいくらでもいるんじゃないかと思うんですけど」
その質問を口にしてから、初めて気づいた。僕が何より知りたいのはその点なのだと。
茜音さんは僕のことをどう思っているのか。そもそも、茜音さんにとって僕は何なのか。
結局、僕はそれが知りたいのだ。
すると茜音さんは、困ったように笑う。
「夏目さんの代わりはいません。そもそも、怪談蒐集の聞き手役に相応しい人はそんなに多くはないのですよ。ほとんどの人は耐えきれずに辞めてしまうので」
「そ……そうなんですか……?」
キナリ村怪談での恐ろしい体験を考えると、ありそうな話ではある。
狩森図書館自体も怪奇現象が頻繁に起こるし、地下には気味の悪い隧道もある。恐怖に耐えきれず怪談蒐集の聞き手役を辞めてしまう人が出るのも仕方のない話だろう。
「その上で敢えて夏目さんを聞き手に選んだ理由を述べるなら、一つは夏目さんが人の話を聞くのが得意そうだったからです。初めて夏目さんにお会いした時、直感的に感じました。この人は怪談の語り手を馬鹿にしたり、全面否定したりするような人ではないと。今でもその判断は間違っていなかったと思っています」
「そう……ですか……」
茜音さんの言葉を聞き、僕の胸はじんわりと温かくなった。
茜音さんは最初から、僕の人柄を見ようとしてくれていたのだ。〈言霊の力〉があるかないかは関係なしに、僕自身を見ようとしてくれていた。それが何より嬉しかった。
もし、僕に〈言霊の力〉が全くなかったとしても、茜音さんはきっと同じように接してくれるだろう。そういう確信があった。
それから、茜音さんは再び口を開く。
「それからもう一つは、夏目さんなら……あなたなら大丈夫ではないかと思ったからです」
思わぬ言葉に、僕は目を瞬いた。
「大丈夫……ですか。それはその……どういった意味で、ですか?」
茜音さんはじっと僕を見つめた。その瞳は海の底のように静かで、吸い込まれそうなほどの深淵さを湛えていた。
「あなたならきっと、狩森の闇に取り込まれることなく、あなたのままでいられるのではないかと思ったから」
その瞬間、茜音さんの胸元を彩っていた露草色の勾玉が、再びきらりと光を放った。
滴るような瑞々しい輝きを放つ勾玉を見ていると、何故だか黒猫の姿が思い出される。
同じく露草色の瞳をし、僕を最後まで導いてくれた黒猫の姿が。




