第六十八話 日曜日の茶会①
隠れて茜音さんの身辺を探っていたなんてきまりが悪いし、そもそも僕自身、まだ市立図書館での体験が何だったのか、理解できていない。
茜音さんは僕のことを訝しんだ様子もなく、一般開架室の中に促す。
「こちらへどうぞ。立ち話もなんですから」
いつも座っている閲覧テーブルに向かうと、既にティーセットが用意されていた。
今日は紅茶とレアチーズケーキだ。
レアチーズケ―キにはブルーベリーソースとしぼった生クリーム、そしてミントの葉が飾ってある。喫茶店などのお店に出てきてもおかしくないほどクオリティが高い。
僕と茜音さんはそれぞれいつもの定位置で向かい合って座った。
それから、僕はふと茜音さんの胸元に目を留める。茜音さんは半そでのタートルネックにロングスカートといういつも通りのシンプルな服装だが、今日はその胸元でネックレスが独特の輝きを放っていた。
(あれは……!)
それはいくつかの玉が連なった首飾りで、ペンダントトップには勾玉が配してある。
どこかで見たと思ったら、神御目市立図書館で眠っていた時、夢の中で見たものと同じだった。
過去の狩森神社で茜音さんがお母さんから譲り受けたものだ。
それに、ペンダントトップである勾玉にも気になる点がある。
勾玉の色は露草色をしていた。少し紫がかった明るい薄青色。過去の狩森神社でずっと僕と行動を共にしていた黒猫の瞳の色と同じなのだ。
幼い頃の茜音さんがお母さんからその首飾りを受け継いだ時、部屋の中はとても暗かったので、勾玉がそんな色をしていたとは知らなかった。
これはただの偶然だろうか。
(でも……この首飾り、夢で見たものとは微妙に違う気もするな)
気のせいか、いま茜音さんが首につけているものは、夢で見たものに比べて少しシンプルなデザインになっているような気がする。勾玉の部分は全く同じだが、紐の部分に通してある珠の数が心なしか少なくなっているように感じられるのだ。
もっとも、夢の中でこの首飾りを目にしたのはほんの一瞬なので、本当のところは分からない。僕はあまりアクセサリーに詳しい方ではないし、もしかしたら、ただの気のせいかもしれない。
「……」
僕の視線に気づいたのか、茜音さんも自分が身につけた首飾りに視線を落とした。
「……気になりますか?」
「あ、いえ……。その……珍しいアクセサリーだなと思って」
「これは私がまだ幼い頃、母から譲り受けたものなのです。とても古い品なのですが、時おり手入れを兼ねて、こうして身につけるようにしているのです」
「とてもきれいな色をした勾玉ですね。茜音さんの雰囲気にとてもよく似合っていると思います」
「ありがとうございます。この首飾りは私にとって母の形見でもあるので、身につけているととても落ち着くんです。まるで母がそばにいてくれるような気がして」
「形見……ですか。僕の腕輪念珠と同じですね」
「そうかもしれません」
茜音さんは柔らかく微笑んだ。落ち着いていて穏やかで、僕の大好きないつもの茜音さんだ。
過去の夢で見た時と姿は同じだけど、雰囲気はだいぶ違う。過去の茜音さんも十分に魅力的だったけど、やっぱり僕は今の茜音さんの方が好きだ。
けれど、やはりそこにはどこか寂しさが漂っている。そしておそらく茜音さんは、敢えてそれを解決しようとせず放置しているのだ。
自らの咎に対する報いとして。
神御目市立図書館で見た夢……かどうかは分からないけれど、ともかく僕が目にした過去の狩森神社や茜音さんの姿を思い出すと、余計にそれがただの思い過ごしなどではないと感じられてならない。
(茜音さんは僕に何を話すつもりなんだろう……?)
わざわざこうしてお茶を用意してくれていたくらいだ。ただの世間話ではないことは明白だろう。僕は居住まいを正しながら茜音さんに尋ねる。
「……それで、お話というのは何でしょう?」
すると茜音さんは「いえ……」と珍しく言葉を濁してから、続けて言った。
「実は特別に何かお話したいことがあるというわけではないんです。けれど、夏目さんは私に尋ねたいことがたくさんあるのではないかと思ったので……改めて夏目さんの疑問に答えたくてお呼びしたのです」
僕はどきりとした。
茜音さんに尋ねたいこと。もちろんある。数えきれないほどたくさんある。
狩森神社やいざや桜、または狩森図書館の地下にある隧道のこと。狩森図書館で頻発する怪奇現象のこと。そして何より、茜音さん自身のこと。
でも、いざ質問をするとなると、どれから聞いていいか分からない。聞きたいことがあり過ぎて、優先順位がつけられないのだ。
(それに、茜音さんは僕に一度も狩森神社の話をしていない。それなのに、僕の方から今では影も形もない狩森神社の話題を出すのは、どう考えても不自然だ)
それから、〈神御目市の歴史 5〉に書かれていた内容を口にするのもやめておいた方がいいだろう。何せ、僕が〈神御目市の歴史 5〉を読んだこと自体、夢だったのかもしれないのだ。
茜音さんはきっと、真摯な気持ちで僕を招いてくれたのだと思う。本当に僕のことを気遣ってくれていて、だからこそ説明したいと考えたのだ。
ならば、今は不確かなことを口にすべきではない。茜音さんの気持ちを裏切ることになりかねないからだ。
(落ち着いて考えよう。事の発端は、キナリ村の怪談だ。キナリ村怪談を聞いて僕はキナリ様に呪われて……それで多分、茜音さんに助けられた。あの時から知りたくてたまらなくなったんだ。茜音さんは何者なのだろう、と)
なかなか口を開かない僕を見て、茜音さんは申し訳なさそうに項垂れた。
「ごめんなさい。急にこんなことを言われても困っちゃいますよね」
「いえ、そんなことはないですよ。むしろ僕の方が茜音さんに気を遣わせてしまって申し訳ないくらいです。キナリ村怪談を聞いたあと、僕は土屋さんにニエ様になったのだと言われて、頭が真っ白になって取り乱してしまって……茜音さんにひどく心配をおかけしたと思います」
「夏目さん……あの件に関しては気にしないで下さい。元はと言えば、私が怪談の聞き手役をお願いしたことが原因ですし。あれからそこか具合が悪いといったことはありませんか?」
「おかげさまで、今では元気いっぱいです!」
「そうですか……良かった」
僕が力こぶを作るポーズをすると、茜音さんはくすっと笑った。
ほんの一瞬だけ口元が緩んだ、ただそれだけの小さな笑み。
でもそれでもいい。
茜音さんが笑顔になるなら、それだけで。
とはいえ、さすがにそろそろ質問内容を決めないと、茜音さんの顔はたちまち曇ってしまうだろう。ちょうどキナリ村怪談の話が出たところだ。僕はキナリ村について質問をしようと決めた。
思えば、いつも語り手の怪談を聞いたあとは、茜音さんと議論を交わすのが習慣になっていた。でもキナリ村怪談の時は、キナリ様のこともあり、そういった余裕が無かった。遅くなってしまったが、会話のきっかけにはぴったりなのではないか。
「……それで結局、キナリ様というのは何だったのでしょうか? 土屋さんはキナリ様のことを呪いだといっていたけど、それだけではないですよね?」
僕がそう切り出すと、茜音さんは真剣な表情になって僕に尋ねた。
「……どうしてそのように思うのですか?」
「僕、キナリ様の姿を見たんです。キナリ様の頭には角が生えていました。キナリ様は呪いではなく、正確には鬼だったんじゃないですか?」
茜音さんはすぐにはそれに答えず、紅茶の注がれたティーカップを口に運んだ。僕の質問に対し、どう答えたものかと思案しているように見える。しかし、ティーカップを受け皿(ソーサ―)に戻すとすぐに口を開いた。
「……確かに私は、夏目さんの疑問にできるだけ答えたいと思っています。けれど世の中には知らない方がいいこともありますよ。心霊現象や怪奇現象など存在しない。それが最も安全で賢明な生き方だと私は思います」
茜音さんの指摘通り、怪談の聞き手としてキナリ村怪談を聞いてしまったがために、僕はキナリ様に呪われてしまった。世の中には聞かない方がいい話もあるという彼女の主張は、一理あると思う。
「そうですね、僕も以前はそう思っていました。でも僕は自らキナリ様の呪いを受けて知ってしまった。この世には科学や理屈では説明のつかない現象が存在するのだということを。いくら自分の信条にもとるとはいえ、知ってしまったからにはそこから目を背けることはできません」
もちろん、キナリ様のことはあくまできっかけにすぎない。
僕は何より狩森図書館や狩森神社のこと、そして茜音さんのことを知りたいと思っている。
キナリ様のことすら乗り越えられないようでは、きっと茜音さんのことを受け入れることなんてできない。だから、たとえ危険があっても知りたいのだ。
僕の答えを聞き、茜音さんは困ったように目を伏せた。けれど、避けては通れない話だと腹をくくったのだろう。
僕はキナリ様の呪いの被害者だ。僕にはキナリ村怪談の真実を知る権利がある。
茜音さんがそう考えたとしてもおかしくはない。
「……分かりました。それでは私の分かる範囲でお話ししますね」
そう口にすると、茜音さんは再び視線を上げ、まっすぐに僕を見た。
気のせいか、その瞬間、空気がピリッとした気がする。
それに引っ張られてか、僕も思わず膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。空気が張り詰める中、茜音さんは語り始める。
「土屋さんの言っていた通り、おそらくキナリ様は当初、人を祟る怨霊だったのだと思います。確かに人にとっては脅威でしょうが、そのまま長い時を経る中でいつしかその力は弱まり、いずれこの世の森羅万象に還り清められていく。そのような存在だったのでしょう。
しかしキナリ村の人々は彼女を呪術で縛り付け、村の存続に利用しました。またそれにより、キナリ様も清められることなく怨霊として存在し続け、力を増していったのです」
「土屋さんの言っていた、キナリ様とキナリ村の共存ですね?」
「ええ。しかし、その共存関係があまりにも長く続いたため、キナリ様は怨霊として力を持ちすぎ、いつしか存在そのものが変質してしまったのです。さらに火に油を注いだのが、キナリ様にニエ様の亡骸が供物として捧げられたことです」
さっそくグロテスクな話が飛び出してきて、僕はぎょっとした。
「えっ……確かに土屋さんは、ニエ様の魂は死後、キナリ様に取り込まれるのだと言っていましたけど、ニエ様の亡骸が供物としてキナリ様に捧げられたというようなことまでは一言も口にしていなかったと思うのですが……」
けれど、茜音さんはその問いを制すように、僕に鋭い眼差しを向ける。
「夏目さんは不思議に思いませんでしたか? 土屋さんは何故、ニエ様が死後どのように弔われ、埋葬されるのかについて言及しなかったか」
「それは……でもまさか、そんな……!」
「土屋さんはこう仰っていました。『ニエ様のニエは生贄のニエ』だと。生贄とは神仏に人や動物を殺して捧げたり、もしくは生きたまま供することです。おそらくニエ様のご遺体はきちんと埋葬されることなく、供物としてキナリ様に捧げられたのでしょう。だからこそ、ニエ様の魂はキナリ様に取り込まれてしまったのです」
「……!!」
言われてみると、十分にあり得そうな話だと思った。キナリ村の人々はニエ様を尊敬しつつも、徹底して生贄として扱っていたからだ。最後の供物という処遇も含めて、それがニエ様の『お役目』だったのだろう。
生きている間もありとあらゆる方法でキナリ様から苦しめられるのに、死後も人ではなく供物として扱われるなんて。正気の沙汰ではないし、もはや狂気しか感じられない。
同じ村で生きる『仲間』の尊厳をどうしてこうも軽々しく踏み躙ることができるのか。僕は衝撃のあまり、言葉もなかった。
一方、茜音さんは静かに語り続ける。
「しかしキナリ様にとって、ニエ様はあくまでキナリ村の村人の一人……つまり憎き仇でしかないのです。にもかかわらず、キナリ様はニエ様の魂を取り込んでしまった。それにより、キナリ様の呪いはキナリ村の村人のみならず自身にも向けられてしまったのです」
「つまり、自分で自分を攻撃し始めた……ということですか?」
「そうですね。けれど実態はそんな生易しいものではなく、ほとんど共食い状態だったと言って良いと思います」
「共食い……」
その言葉に僕は戦慄した。身の毛がよだち、不快な寒気が背中を駆け抜けていく。
似た傾向はキナリ村の中でも起こっていた。キナリ村の村人は互いを監視し合い、村のしきたりを破った者を容赦なく村八分にしていた。キナリ村とキナリ様の全てに関わる者たちが、互いに互いを殺し合い、食らい合っていたなんて。何という業の深さなのだろうか。
僕が眉をひそめる間も、茜音さんの言葉は続く。
「……その結果、何千何万という怨霊の集合体であったキナリ様は徐々に分裂し、統率を失ってより凶暴性を増していきました。まさに制御不能の暴走状態になってしまったのです。
さらに土屋さんの説明にもあった通り、近年、キナリ村の衰退や人手不足によってキナリ様の呪いを鎮める儀式はほとんど行われていませんでした。そのため、キナリ様を抑止するものは皆無となってしまい、キナリ村の住人であるか否かに関係なく誰であろうと襲い掛かるようになっていたのです。
そういった意味では、確かにキナリ様は鬼と表現して間違いないと思います。それも、人に大きな災いをもたらす悪鬼です。ですから、力尽くで調伏する以外、解決する方法はありませんでした」
ところが、もともと一つの塊であったキナリ様はさまざまな要因によって、数千数万に分裂してしまっていた。さすがの茜音さんもそれらの全てを討ち漏らすことなく調伏することはできなかったのだ。
そして、そのうちの一体が茜音さんの手を逃れ、僕の家までついてきてしまったということなのだろう。
(……つまり、僕が経験したキナリ様の呪いは全体のごく一部という事だ)
そう考えると、改めてぞっとする。
キナリ様の呪いを正面から受けざるを得なかった土屋さんやアツシさん、あるいは歴代のニエ様はどれほどの苦しみを背負ってきたことだろう。そして、そういった犠牲に縋ってでも生きるしかなかったキナリ村の人々はどれほど心苦しい思いをしたことだろう。
そういえば、キナリ村の人々は常に何かに脅え、そして恐れ戦いていた。
もしかしたら、彼らはキナリ様を恐れていたわけではなく、自らの犯した罪に脅えていたのかもしれない。
自分たちの生活が誰かの生贄の上に成り立っていることを知っていて、だからこそヒステリックなまでに村のしきたりや掟を守ろうとしたのかもしれない。
そう考えると、やはり僕は土屋さんを恨む気持ちにはなれない。ましてや、キナリ村の人々を心から軽蔑する気にもなれないのだった。
(それにしても、調伏……か)
僕と茜音さんはこれまで、いろんな怪談について議論を交わしてきた。でも、茜音さんがここまではっきりと怪異の存在を明言したのは初めてだ。
おまけに『調伏』などという特殊な言葉を口に出すのも。
それに気づき、僕は改めて緊張感を覚えずにはいられなかった。
(ひょっとしたら茜音さんは、これまで心霊現象や怪奇現象について明確に言及せず、わざと曖昧にすることで僕を守ろうとしてくれていたのかもしれないな……)
しかし、僕としても今さら退くわけにはいかない。せっかく茜音さんが説明の機会を設けてくれたのだ。僕は新たな疑問を口にする。
「僕をキナリ様から守ってくれたのは、茜音さん……なんですよね?」
茜音さんはすぐに返事をしなかった。質問の後、しばらくしてから頷く。
「私は夏目さんを守る……そうお約束しましたから」
「どうして茜音さんは鬼を調伏することができるのですか? その……普通の人にはそんなことはできないと思うのですが……」




