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第六十五話 狩森一族の秘密

「それは分からぬ。何故そのように言い伝えられるようになったのか、そのきっかけも定かではない。ただ一つ、残された記録によると、狩森一族は他の民に比べ、自ら鬼となってしまう者が異常なまでに多かったようだ」


「自ら鬼となる……己の内に燻るあまりにも強い憎しみや恨み、あるいは恐怖などのために、生きながらにして鬼になってしまう者のことですね。いざや桜を燃やしてしまった桔梗のように」


「その通りだ。そして、鬼と化してしまった狩森の一族を人に戻すために生み出されたのが、〈鬼神(きしん)の法〉だ。つまり、御霊(みたま)の丘の地下にあった鬼神(オニガミ)を生み出す装置……(あかつき)の石室と黄昏(たそがれ)の石室は本来、鬼と化した人間の〈()〉を調整し、治療するための設備だったのだ」


 それを聞き、茜音さんは大きな衝撃を受けたようだった。


「そうだったのですか……! 言い換えると、〈鬼神の法〉は必ずしも鬼神(オニガミ)を生み出すための儀式ではなかったということですね?」


 むしろ古代の狩森一族は、鬼となってしまった同族を人間に戻すために、暁の石室と黄昏の石室を作り出したのだ。


 何とかして仲間を救いたい。


 もう一度だけ、共に生きたい。


 そういった強い願いが彼らを突き動かしたのだろう。


「うむ。だが、残された文書や文献によると、その試みはうまくいかなかったようだな。狩森の一族の(オニ)に対する親和性は、他と比べても突出して高いという。普通の民が(オニ)になれば、調伏(ちょうぶく)による清め祓いで人に戻る可能性がある。しかし狩森の人間は、一度、鬼になってしまうと、ほとんど人間に戻ることがないのだ。

 どれだけ長い時をかけても、その解決法や治療法は見つからなかった。結局、我らの祖先はある決断をした。彼らは、(オニ)と化すことがほぼ確定となり、かつ治る見込みもないという絶望的な状態に陥ってしまった者を無理やり人の姿に留めることを諦めたのだ。

 そして彼らの〈()〉を操り、敢えて〈鬼神の法〉を施して鬼神(オニガミ)という存在にすることで、他の人間たちと共存可能な状況にするという方策をとった」


 藤黄老は茜音さんが出した茶を飲み干すと、すぐに口を開いた。


「実際、鬼神(オニガミ)になると(オニ)となった時より寿命が長いのだという。それに、そばで巫覡が鬼神(オニガミ)を管理しているから、人を襲う心配もない。さらに巫覡が鬼神(オニガミ)の中の〈()〉を調整することで、より安定した鬼神(オニガミ)となり、人間である巫覡と共存することが可能となるのだ」

 

それはまさに、僕が狩森神社で目にした光景だった。特によく覚えているのは、鬼神(オニガミ)になった蘇芳(すおう)さんと、その使役主である織部(おりべ)さんだ。


 織部さんは蘇芳さんを黒緋(くろあけ)と呼び、とても大切にしていた。鬼神(オニガミ)だからといって、決して軽んじたりはしなかった。それは他の巫覡たちも同じだ。


 茜音さんは大きく頷いた。


「なるほど……確かに鬼神(オニガミ)(オニ)は明確な違いがあります。言葉など通用せず、容赦なく人に深刻な危害を与える(オニ)と違って、鬼神(オニガミ)は言霊の力で制御されているぶん、人との共生がしやすいと言えると思います。

 それに何と言っても、自分の親や子、配偶者、兄弟、または友人や恋人が実際に(オニ)となり調伏されて二度と会えなくなるのはあまりにも辛いでしょうし、心残りも多いでしょう。それよりは、たとえ鬼神(オニガミ)となっても大切な人がそばにいてくれる方が、いくらか救いがあると思います」


 茜音さんの言葉には説得力があった。それはおそらく、茜音さん自身がそういった体験をしてきたからだろう。


 茜音さんは言霊の才を持たないために、鬼神(オニガミ)となった蘇芳さんに話しかけることはもちろん、近づくことすらできなかった。それでも――たとえ鬼神(オニガミ)になったとしても、蘇芳さんが自分の近くにいてくれることで、心がずいぶん慰められたのかもしれない。


 それはきっと、古代の狩森の人たちも同じだったはずだ。


(そうか……つまり古代の狩森の人々は、(オニ)となってしまった仲間を何とか救いたいと考えたんだ。咒術(じゅじゅつ)による治療を受けさせ人に戻そうとしたものの、狩森の一族の人たちは(オニ)と親和性が高いがゆえに、鬼と化した仲間を人に戻すことができなかった。そこで狩森の人々は暁の石室と黄昏の石室の使い方を変え、(オニ)と化す前兆のある人をあらかじめ鬼神(オニガミ)にすることにしたんだ)


 それは彼らの願いだったのかもしれない。


 鬼と化した仲間を元に戻したい、たとえそれが不可能でも、鬼神(オニガミ)にすることで少しでも共に過ごしたい。


 〈鬼神の法〉は本来、彼らにとっての救いであり希望だったのだ。


 決して完全ではなく、また、正しい方法でもないかもしれない。それでも狩森の一族は(オニ)となってしまった人々を排除するのではなく、共に生きることを選んだのだ。


 そう考えると、狩森神道が(オニ)の探求に特化してきた理由も理解できる。


 狩森の人々は決して悪用するために(オニ)の知識を蓄えていたわけではない。彼らが生き残るのには鬼の知識が必須だった。同族を、そして自らを救うには、鬼という問題と真っ向から向き合うしかなかった。だから、必要に駆られて鬼とは何かをただひたすらに追求し続けたのだ。


 さらに彼らが鬼神(オニガミ)と共存するためには、言霊の才が必須だった。そのため狩森の巫覡には、とりわけ言霊の才が重視されてきたのだろう。


 決して、言霊の才を持たない者を弾くつもりはなかったのかもしれない。ただ、鬼神(オニガミ)の性質を考えると、彼らはそうせざるを得なかったのだ。


(僕が持て余しているこの〈言霊の力〉を、茜音さんに譲ることができたらいいのに……)


 〈言霊の力〉と言霊の才が同じものだとは限らない。〈言霊の力〉が鬼神(オニガミ)に効くかどうかも分からない。


 でも、現実の様々な事象に干渉することのできる〈言霊の力〉であれば、鬼神(オニガミ)を操ることも可能なのではないかと思う。


 もし仮にそれができなかったとしても、茜音さんなら僕よりよほど〈言霊の力〉をうまく活用することができるだろう。それを考えると、どうして僕に〈言霊の力〉があって、茜音さんには言霊の才が無いのか、強い疑問を抱かざるを得なかった。


 そして、そう考えるたび、僕の胸はずきりと痛む。


 僕がいくら悔やんでも詮無いことだとは分かっているけれど。


 藤黄老は再び口を開く。


「時代が変わるにつれ、〈鬼神の法〉や鬼神(オニガミ)の扱いも大きく変わっていった。しかし、鬼神(オニガミ)となる者を選ぶ基準は変わっていない」


 藤黄老の言葉に、茜音さんは、はっとする。


「……! それでは、桔梗が〈鬼神の法〉に選ばれたのも……?」


 そう問われ、藤黄老は瞳を閉じ、ぎゅっと眉を寄せた。


「桔梗は幼いころから〈()〉の流れの強い娘だった。狩森神社の環境がそうさせてしまったのかもしれないが、生来の性質である可能性も否定できん。何故なら、似たような境遇にある者は多くあれど、桔梗ほど〈()〉の流れが強い例は他になかったからな。とはいえ、真実がどうであったか今はもう誰にも分からぬが……」


 藤黄老の言葉には後悔が滲んでいるように感じられた。


 おそらく藤黄老だけでなく、重鎮たちの多くが気付いていたのだ。桔梗が(オニ)となる可能性が高いことに。


 けれど、彼らはそれを止めることができなかった。


 もっとも、〈()〉の流れが強いことが分かっていても、藤黄老の立場では桔梗を特別扱いすることは難しかったかもしれない。巫覡見習いたちは大勢いた。その中で、桔梗だけにかかずらうわけにはいかなかっただろうからだ。


「それでも我々は桔梗を見守り続けた。狩森の一族は鬼化しやすい傾向があるが、その身に流れる〈()〉が〈()〉に変わった例も全く無いわけではない。事実、桔梗も一時期は落ち着いておった。茜音、お前も桔梗をそばで支え続けていたな」


 藤黄老から話を振られ、茜音さんは瞳を揺らした。桔梗と過ごした狩森神社での日々を思い出したのかもしれない。


 茜音さんもまた、桔梗の異変に気付いていた。だから懸命に彼女を支えようとした。桔梗の声を聞き、悩みを受け止め、少しでも長く彼女と共に生きようとした。


 鬼神(オニガミ)ではなく、人としての桔梗と。


「……しかし結局、桔梗の〈()〉が〈気〉に転じることはなかった。このまま桔梗を放っておけば、いつか鬼として調伏せねばならない時が来る。そして狩森の人間は調伏されても人に戻ることはない。だから我々はあの娘に〈鬼神の法〉を受けさせることを決めたのだ。

 あの時は蘇芳のように自ら望んで鬼神(オニガミ)になりたいという者も出なかったのでな。鬼神(オニガミ)になればたとえ多くのものを失ったとしても、より長く共にいられる。何より、いざや桜の元であるべき場所に還ることができる。鬼としてではなく、狩森の巫覡の一人として……な」


「……。そうだったのですか……」


 茜音さんは複雑そうな表情で目を伏せた。納得はいかないが、事情を理解することはできる。そういった様子だった。藤黄老を始めとした重鎮たちも、何も考えていなかったわけではない。彼らなりに考えた末の決断だったのだ、と。


「……もっとも、その後の結果を考えると、我々のやり方は間違っていたのだと考えざるを得んがな」


 藤黄老は自嘲気味にそう言った。


 あの時、桔梗が〈鬼神の法〉に選ばれなければ、狩森神社が崩壊する未来は防ぐことができたのか。それは僕にも分からない。藤黄老が言う事が事実なら、たとえ〈鬼神の法〉に選ばれなくとも桔梗はいつか鬼化しただろうからだ。


 そうなれば、今よりもっと悪い未来が待ち受けていた可能性もある。


 一体、何が正しかったのか。今となってはもう、誰にも分からない。


 茜音さんと藤黄老はしばらく無言だった。それぞれがそれぞれの追憶に身を委ねているのだろう。


 どこからか、鶯の鳴き声が聞こえてくる。この世のいかなる悲劇や喜劇も全く意に介さず、自由に伸び伸びとさえずっている。


 その鶯のさえずりが途切れた頃、藤黄老は再び茜音さんに語り始めた。


「暁の石室と黄昏の石室に至るその途中に、手掘りの隧道(ずいどう)があるだろう。あれは二千年近く前、いざや桜が生まれた頃に狩森一族の祖先によって堀られたものだという言い伝えがある。

 あの隧道の壁には、とある文が刻まれているそうだ。『狩森の一門は黄泉の国より出でたる〈(おぬ)〉なる民、人ならざるものなりけり』……と。

 ひょっとしたら、我々、狩森の一族は本来、鬼に近い存在なのかもしれん。我々は〈()〉の状態にあるのが普通であり、人として人の世の中で生きるため、ありとあらゆる手法を用いて〈()〉を制御して〈()〉の状態を維持し続けようとしたのかもしれん。

 だが、それは本来、(オニ)であった者たちにとってはひどく不自然なことだ。だから狩森の一族のうち一定数は常に(オニ)に戻ろうとするのかもしれんな」


「それは……本当なのでしょうか、藤黄さま? 私たちは人ではないのでしょうか」


 茜音さんの声は揺れていた。俄かには信じられない。そういった怪訝(かいが)と動揺が滲んでいる。藤黄老もまた、眉根を寄せて瞼を閉じた。


「真相はもはや誰にも分からん。ただ、狩森一族が結果的に自ら滅びの道を選んでしまったことは確かだ。結局、我々は伝統に固執しすぎて、桔梗や白緑(びゃくろく)のような新世代の出現に気づくことができなかった。つまり、時の流れには逆らえなかったということなのだろう」


 苦悩する藤黄老の姿を見て、僕は以前、彼が言っていたことを思い出した。狩森の外であれば桔梗も生きることができたのではないか……そう悩み後悔する茜音さんに対し、藤黄老が返した言葉を。


 ――狩森の人間は狩森の外では生きていけぬ。我々は他とは違うのだ。これまでもそうだったし、これからもそうだ。


 あの時は、どうしてそこまで頑ななのかと不思議で仕方なかった。その硬直した考え方が桔梗を追い詰めたのではないかと、憤りさえ覚えた。


 でも、今なら藤黄老の言葉の理由が分かる。


 狩森一族の持つ特異性が藤黄老にそういった判断をさせていたのだ。藤黄老は決して桔梗を苦しめたかったわけではない。ただ、長老の一人として様々なことを知るがゆえに、そういう選択をせざるを得なかったのだろう。


 裏を返すと、知識に縛られているが故に、彼は桔梗に寄り添うことができなかったのだ。


 藤黄老は深々と溜息をついた。が、すぐに表情を引き締めた。


「……だが、我々にはまだお前がいる。茜音、お前は人としての側面と鬼としての側面を破綻させることなく併せ持つ、非常に稀有な存在だ。それだけではない。お前の前向きさや困難にも果敢に立ち向かう姿勢、そして何より狩森の一族に対する思いの強さは余人をもって替え難い、唯一無二の資質と言えるだろう。我々にとって、まさに最後の希望だ。儂らはその唯一残された希望であるお前を、そしていざや桜の若木を何としてでも守らねばならん」


 その切羽詰まった口調からは、何か尋常ならざる事態が起こっていることが感じられた。茜音さんは眉根を寄せる。


「藤黄さま……? 何かあったのですか?」


 すると、藤黄老は眼光を鋭くして答えた。


「いま、狩森の地は外部の人間に狙われている。平たく言うと、資産家や政治家、行政などによって、な。だが、たとえ土地を奪われたとしても、狩森に残されてきた数々の秘術……特に〈鬼神の法〉は絶対に他に漏らすわけにはいかん。狩森の秘術は狩森の一族だからこそ扱えるもの。外部の人間にとっては手に余る邪法でしかない」


「狩森の土地が奪われる……? 私たちはいざや桜を失い、結束を失い、その上、帰る場所すら失うというのですか!」


 茜音さんは珍しく声を荒げた。それは相手を非難し、責めるというより、もはや悲鳴に近かった。


 茜音さんの気持ちはよく分かる。茜音さんはいつだって狩森神社の巫覡として誇りを持ち、狩森のためを思って行動してきた。狩森神社の重鎮たちから冷遇されていた時でさえ、茜音さんの狩森一族に対する想いは変わらなかった。


 そんな茜音さんにしてみれば、狩森の地を奪われるなんて己の身を引き裂かれるも同然だろう。


 それは藤黄老も同じはずだ。実際に彼も苦悩の表情を浮かべている。


「まだそうと決まったわけではない。しかし、狩森一族が分裂し、足並みが揃わない現状を鑑みても、そうなる可能性は高いと考えている。今の我々には一丸となって外部の野心に対抗する力は残っておらんからな。

 ……そもそも、御霊(みたま)の丘は潰して平地にすべきという声は狩森の人間の間でも以前から高まっていた。今や、いざや桜の木は枯れ果て、御霊の丘は本来の役目を果たせなくなっている。

 〈鬼神の法〉に反感を抱く一派も、御霊の丘こそ諸悪の根源と考え、一刻も早く丘を均して平らにすべきと主張している。その点に関して言えば、一族の見解は一致していると言えるだろう」 


「ですが……!」


「分かっている。万が一、御霊の丘が失われたとしても、その下にある暁の石室と黄昏の石室は死守しなければならん。でなければ、鬼神(オニガミ)たちの魂を還すことができなくなるからな。

 それに先ほども言った通り、暁の石室と黄昏の石室は狩森秘術の真髄でもある。この先、何があっても狩森秘術を守り通すため、外部の目から徹底して隠さねばならん」


 藤黄老は語気を強めると、前屈みになって口元に手をやった。その瞳はせわしなく小刻みに動いており、彼が盛んに思惑を巡らせているのが伝わってくる。


「そうだな……御霊の丘の跡地には敢えて神社と全く関係のない施設を建てるのが良かろう。いっそのこと、いま流行りの西洋風の建物など良いかもしれんな。

 そして、そこで茜音、お前がこれからも狩森の鬼神(オニガミ)の魂を追い、彼らを取り戻すことができる環境を整える。その中に書籍や文書を仕舞っておく蔵を作れば、書棚が足りないという問題も解決するだろう」


 それを聞いた茜音さんは、何かを思いついたかのように息を飲む。そして藤黄老に向かって身を乗り出した。


「それでは、その洋館を図書館にするというのはどうでしょうか?」


「図書館?」


「はい。日本で言うところの貸本屋や書庫のことを西洋ではそのように呼ぶのだそうです」


「なるほど、それは妙案だな」


 藤黄老もその案に大きく頷いてから、続けて言った。



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