第4章 異世界に転生しても編集者は迷ってばかり・その3
午後になってトニオが迎えに来てくれた。
「すみません、局長、ダイゴローを少し借ります」
「いいわよ、好きにしなさい」
小さな腕をブンブン振るってペンを走らせながら、局長はそう言った。
怒っている感じではなさそうだが……とりあえず俺は一礼して研究局を後にした。
そうして、トニオの後をついていく。
「これからのミーティングについてだが」
石畳の廊下を進み、地上に出て、レンガで舗装された道を進みながら、トニオが語りだした。
「その……ダイゴローにとって、あまり嬉しくない仕事を頼まれるかもしれない。もし、嫌だと感じたら……率直に言ってくれてかまわない」
トニオにしては歯切れの悪い言い方だ。言外のメッセージがあるのだろうと推測したが、口には出さない。
「俺は好き嫌いで仕事は選ばないから安心してくれ。無茶なスケジュールと無謀な予算にはしっかり抵抗するが」
編集者はいつでも編集したい本を編集できるわけではない。だが俺はやりたくない企画でも仕事と割り切ってしっかりやった。でもそういうのって、後々必ず自分の役に立っているもんなんだよね。
例えば数年前、俺はタバコに関する本の編集をしたことがある。ぶっちゃけ当時禁煙チャレンジ中だった俺としては腹立たしいというか勘弁してくれと叫びたくなるような企画だったが、仕事だと言い聞かせてしっかりやった。すると、それまで何気なく接していたタバコという世界が、ガラっと変わって見えてきた。職人さんや農家さん、業者の人たち、小売店の人たち、街角の灰皿を清掃する人たち……たくさんの人間が熱心に、誠実に、働きながら、タバコというひとつの文化を守っていることが理解できた。
知らない世界を知ることができるのは、編集者をやっている仕事の魅力のひとつだと俺はそのとき改めて感じ入った。別の仕事をしていたら出会えなかったであろう世界に触れられて、その世界の魅力や意味を考えることができるなんて、よくよく考えれば幸福なことだ。自分の中の価値観なんかも常に変化できるのも、おもしろいんだよ。
だから俺は基本的にどんな企画でも前向きに挑むことにしている。
まして、この異世界で出会うアイデアが俺にとって刺激をもたらさないわけがない。
トニオの言葉を頭の片隅に置きつつも、俺の胸には期待が膨らみ始めていた。
三十分ほど歩き続け、豪華な屋敷の前にたどり着いた。
明治時代につくられた瀟洒な洋館みたいな趣の建物だ。
巨大な門扉はトニオが立つとスーッと音もなく開いた。自動ドア……っていうかこれも魔法だな、きっと。
「お待ちしておりました」
メイドのような格好をした女性が登場し、トニオに深々と頭を下げ、それから玄関へと案内してくれる。
室内は外観同様、いかにも洋館といった雰囲気のつくりだった。映画『サウンド・オブ・ミュージック』に出てくる大佐の家みたいな感じ。ちょっとびっくり気味に室内を見渡す俺はさしずめマリア先生といったところか。
だが大佐も子どもも登場せず、現れたのはふわふわの赤い髪をした少女だった。髪色と髪型こそ違うが、目鼻立ちがトニオに似ていて、美しい。
「よく来てくれたわね、トニオ!」
「ご無沙汰しております、叔母上」
「ちょっと、叔母はやめてよ叔母は! あなたとわたくしは同い年じゃないの!」
赤い髪の美少女はコロコロと笑いながら歩み寄ってきた。トニオの横顔をチラッとうかがうとにこやかに微笑んでいた。トニオなりのジョークだったのだろうか。
「元気そうで嬉しいわ、トニオ」
「あなたも変わりないようで嬉しい、キティーソ」
二人の美少女は静かに抱擁を交わし、微笑みあった。うーん、絵になるね。
「それからあなたがダイゴローね? はじめまして、わたくしはイサット伯爵家現当主、キティーソ・イサットですわ。よろしく」
キティーソと名乗った美少女が俺に名乗ってくれる。
「どうもはじめまして。魔法書研究局の富士見大五郎と申します。どうぞよろしく」
俺がそう返すと、キティーソは踵を返し、広間を奥へと進んだ。
「さあ、早速だけど、仕事の話をしましょう?」
年代を感じさせる色味の木材が随所に目立つ、天井の高い部屋にトニオと俺は案内された。
二十人ぐらいで囲んでもまだゆとりがありそうな広くて細長いテーブルにトニオと並んで着席すると、キティーソはその向かいに腰掛けた。
メイドさんたちが即座にお茶を運んでくれたが、トニオもキティーソも口をつけない。俺は唇の乾きを潤したかったが、空気を読んで我慢する。
「改めて紹介しよう。彼女はキティーソ・イサット。私の祖父であるイッキー・キータの後妻の子で、私の母であるヴェータ・キータとは異母姉妹となる。ゆえに私と彼女は姪と叔母の関係になるわけだ」
「生まれて五歳ぐらいまではトニオと一緒に育てられたのよ、ヴェータお母様のもとで。でも十歳の頃にイサット家に養子として出され、二年前に養父であるキティーモ・イサット伯爵が引退し、わたくしが家督を継いだということなの」
ふーん、なんか家督とか養子とか伯爵とか、ハイソな響きだ。庶民には縁遠い感じだが、実際、キティーソもトニオも雰囲気が庶民っぽさゼロだもんな。いいとこのお嬢様たちってことか。
「ご紹介にあずかり光栄です。ところでキティーソ様、私に何か依頼したいことがあるとか?」
美少女お嬢様ズのやりとりを眺めて過ごす午後も悪くはないが、しかし、それより仕事がしたい。俺は本題を切り出してもらおうとした。
「ええ。そうなの。単刀直入に言うわ。ダイゴロー、あなたに頼みたいことはふたつ。ひとつはイサット家が持つ既存の《火》系統の魔法書を、あなたの魔法《文字校正》で修正してもらいたいの」
そこではじめて、キティーソはお茶に口をつけた。上品にひとくち飲むと、静かにカップをソーサーに戻す。
「ふたつ目は……新たに《炎》の魔法書をつくってもらいたいの。とても威力が強いものを」
キティーソの言葉は穏やかだったが、そこに込められた意志の力は無視できないものだった。
俺も慌ててお茶をすすり、たっぷり唇を湿らせる。
「……威力が強いもの、とおっしゃいましたが、どの程度の規模を想定されていますか?」
「街ひとつが消し飛ぶくらいのものがいいわ。炎上というよりは爆発に近い効果を得られるものだと理想的なのだけれど」
おっかないことを言うお嬢様だ。




