再出発
翌日、フィルスに頼んで夜のうちに三頭の馬を手配しておいたユウは、朝早くにバーランド家の屋敷を出る事にした。
その為、同じく早朝に発つ事となったレーティとは、屋敷の前で別れる事となった。
その際レーティはルティナの手を握り、「またあいましょう」と言ってきたのだが、ルティナは笑顔でその手を握り返すだけで、何も言葉を発しなかった為、二人の間に何とも言えない微妙な空気が流れ始め、それに気づいたユウが慌てて「大丈夫、また会えますよ」と言うと、レーティは乾いた笑顔を浮かべ、名残惜しそうにしながらもルティナの手を放すという、ちょっとした事件があった。
ルティナにしてみれば、もしかしたらこの先ここへは戻って来れないかもしれない、という思いがあって何も言えなかったのかもしれないのだが、ユウにしてみれば、この世界に来て初めてできた拠点ともいえるこの場所を、この先二度と訪れないとは思えかった。
だから、そんな風に言ったのだ。
そんなやりとりがあった後、レーティは敷地の中に留めてあった来る時に使った豪華な馬車で隣国の夫の元へと帰って行った。
その馬車を見送りつつ、ユウもバーランド家の屋敷を発った。
そして、幸いにして誰に止められる事も無く、無事にリスティの街を後にした。
フィルスの用意してくれた馬は頑丈な馬で、その内の一頭などは二人を乗せているのにも関わらず、それを感じさせない力強さで運んでくれた。
二人で乗っているのはフィノの馬だ。
アーダは馬に乗った事がないと言う事で、一番馬の扱いが上手いフィノがアーダの面倒を見る事になったのだ。
二人は何やら会話を交わしながら、時折大きな笑い声をあげたりしている。
ユウはそんな二人を前に見ながら、ルティナと並んでフィノの馬の後ろについた。
そうして、徒歩の時とは比べようもない時間であっという間に湖の畔まで戻ってきたユウは、今度は街道からは外れずに湖沿いに西へと向かった。
その途中、フィノはアーダに手綱を渡し、本格的に馬の乗り方を教えだした。
フィノの教え方が上手かったのか、それともアーダの能力が優れているのか、アーダはあっという間に馬をうまく操れるようになり、思ったよりも早く湖の西岸の街カーンバーに着く事となった所までは良かったのだが、調子に乗ったアーダは予想以上に小さな街であったカーンバーの街をあっという間に通り抜けてしまった。
ユウとしては、カーンバーの繁華街で北へ抜けるルートの新たな情報を入手したいという思惑があったのだが、通り過ぎた時に見た感じでは、カーンバーの街には繁華街らしい繁華街はなさそうだった為、ユウはこのまま戻らずに行ってしまう事に決めた。
ある程度の情報は既にリスティで仕入れてあった事もあり、大丈夫だと判断したのだ。
その時の話では、北へ行く為には街道を外れ、湖沿いに進んで行く以外に方法はないと言う事だった。
なので、その話を信じて、湖沿いの細い道へと入っていく事にした。
しばらく行くと、その細い道もほとんど見えない状態となり、そこから先は背の高い木の林立する深い森の中を行くしかなくなった。
幸いにして、森の中には下草があまり生えておらず、そのおかげで馬を進める事は出来そうなのだが、さすがにそれまでのような速さでは進めなくなり、その結果、森の中での野宿を強いられる事となった。
その事自体はある意味想定内の事だった為、特に問題となる程の事ではなかったのだが、湖の東岸は所々で大きく窪み、小さな湾のようになっている箇所が有ったりして、それをうまく迂回しながら森の中を行く事には苦労させられる事となった。
しかも、その苦労は報われず、次第に湖の位置を見失う事も増え始め、やがて湖は全く見えなくなってしまった。
森に入って三日目の事だ。
その辺りの森は、樹の太さも高さもほぼ一定で、しかも等間隔で生えている為、湖が見える位置であれば進む方向はわかりやすいのだが、湖が見えなくなると途端にその方向感覚が失われ、どこを歩いているのか、どちらの方向に向かっているのか、分からなくなってくる。
そんないわば森の罠に嵌り、ユウは現在地を見失ってしまったのだ。
そんな時だった。
また例の声が聞こえてきた。
それはまるで独り言のような小さな声だった為、ユウは残念ながらその内容についてまでは良く聞き取れなかったのだが、声のした方向だけは感じ取る事が出来た。
なので、湖の位置には固執せず、その方向を目指して行く事に方針を変えた。
もしかしたら湖からは離れてしまう事になるのかもしれないのだが、最終目的地は湖の北側ではなく、声の主の居る場所なので構わないだろうという判断だ。
ユウは声のした方向を慎重に確かめつつ、馬を進めていった。
声を聞く事が出来るのはユウだけなので、ここからはユウを先頭に行くしかない。
だが、しばらく行っても風景は全く変わらなかった。
湖面が見えてくる事も無い。
只々同じ風景が延々と続いている。
ユウは次第に不安になってきた。
不安に思ってしまった事で、精神的にも不安定になってくる。
この方向に進んでいいのか、自信がなくなってくるのだ。
別の方向から声が聞こえてくるような気がする事もある。
少し冷静になると、それが錯覚であることに気づくのだが…。
ユウが心の中でそんな葛藤と戦っていると、先行していたユウの馬の隣に、不意にフィノが馬を並べかけてきた。
そして、手綱を完全にアーダに任せ、自らはユウの腕の中へと飛び込んでくる。
それと同時に、爽やかな香りを乗せた優しい風がユウの頬を撫でていく。
「焦らないで、ユウ。焦ると判断を間違うわ」
フィノはユウの腕の間にうまいこと収まると、そのままユウに身体を預けてきた。
その身体の温もりが、ユウに安心感を与えてくれる。
横ではアーダが一人馬を操りながら、手を振っている。
もうすっかり一人で馬を操れるようになったようだ。
後ろからは、ルティナの声も聞こえてくる。
「一人で考え込まないでください、ユウ様。ユウ様には私達三人がついているのですから」
ユウは、ルティナにそう言われ、自分がいつの間にか皆に心配かける程憔悴していた事に思い至り、と同時に皆のおかげで冷静さを取り戻せたことに気が付いた。
それは決して不快な事ではなかった。
それどころか、温かな空気に包まれたように感じたのは、ただ単に物理的にフィノの体温を感じた為と言う訳でもなさそうだった。




