草原の湾
草原と山岳地帯との境目までは、意外にすぐに到達した。
これまではなかなか近づいて来なかった頂上付近に雪を頂く高い山も、いつの間にか見上げる位置になっている。
ここより先は角度のある岩の斜面が続いている。
大きな岩の出っ張りを登って行かなければ先に進めそうもない場所もあるようなので、馬で行くのは難しそうだ。
「デハルの言っていた通りみたいだな。ここから先は馬では行けそうもない」
「でも、ユウ。この馬達だけここに残して行ってしまったら、この馬達、魔獣に食べられちゃうんじゃない?」
「何かの拍子に崖から落ちてしまう事だって考えられなくはないよな」
「そうかもしれないけど、だからと言って、馬でこの岩山を登って行くのは無理だろうし…」
フィノもアーダもここで馬を乗り捨てる事に抵抗を感じているようなのだが、かと言って、そうしない為には一旦戻るくらいしかやりようがない。
それではあまりに非効率だ。
ここまでの道のりだって無駄になってしまうし、往復する間に危険な目に遭う事も予想できる。
それに、一番の懸念は時間的余裕がそんなにあるのかという事だ。
探していた声は聞こえなくなって久しい。
だが実は、神経を尖らせ集中すると、声にならないくらいの微かな声が聞こえる事があるのだ。
その事に、ユウは最近気が付いた。
もはやはっきり聞き取る事は出来ない為、何を言っているのかはわからないが、その方向は確認できる。
それは探している例の声の方向と一致している。
まだはっきりと断定する事までは出来ないが、仮に声の主が声を上げる事が出来ない程衰弱しているのだとすれば、心配な状況ではある。
出来るだけ急いだ方がいい事は間違いない。
ユウがしばし考え込んでいると、すぐ目の前からルティナが言ってくる。
「草原から離れてしまっては、この馬達も食べる物がなくなるので困るでしょうし、少し草原の縁沿いに崖から離れてみてはいかがでしょうか。もしかしたらこのまま先に進む事の出来る道みたいなものがあるかもしれませんし…」
確かに、どのみち馬を放してやるにしても、ここで放すのは考えものではあるだろう。
ちょっと何かに追われれば、簡単に崖から落ちてしまう。
それに、このクレバスは、これから登ろうとしている岩山を二つに切り裂く勢いで続いているので、ここから先は、自分達も、今までのようにこの崖の縁を行くのでは危険過ぎる。
足場の悪さも手伝って、滑落する可能性だって低くない。
対して少し内陸に入れば、クレバスへの滑落は考えなくても良くなる訳で、クレバス沿いに行くよりも遥かに安全に進める事が想定される。
どうせこのまま真っ直ぐ行けないのなら、ルティナの言う様に、ここで内陸側に移動しておくのも悪い判断ではないものと思われる。
「いずれにしても、ここで立ち止まっていても何にもならないし、もう少し安全そうな所が見つかるまで動いてみようか」
「奥に行けば魔獣と出逢う可能性は増すだろうし、移動したからと言って馬でこの山を越えられるような、都合の良い道があるようにも思えないけど…、でも、まあ、仕方がないのかな…」
「何ならあたし達がこの辺にいる肉食獣を駆逐してやれば、こいつらを残して行っても大丈夫になるのかもよ」
アーダはラビアローナの槍を派手に振り回してアピールしている。
さすがにユウはそんな事をする気はないのだが、二人ともユウの提案には反対している訳ではなさそうなので、その反応を了承と受け止め、ここで馬を降りるのは止める事にして、クレバスを背にして草原の奥に向かって歩き出す事にする。
ユウが馬を進めるのを見て、フィノもすぐに動き出した。
そして、ユウとルティナの馬を抜いて、先頭へと進み出る。
アーダも二人を追いかけ動き出した。
ルティナが、何故だかホッとした様にユウにもたれかかってくる。
そんなルティナに追い抜きざまにアーダが言う。
「まさか…、そこから降りたくないが為の提案だった訳ではないだろうな」
「何の事?」
ユウが聞くが、アーダは何も返事はせずに、二人を追い越し、前に出た。
ルティナが苦笑いを浮かべている。
「なんでもありません。アーダはちょっと考え違いをしているだけです。尤も、そういう気持ちも無かったとは言えないのかもしれませんが…」
後半は小さな声だったので、ユウには聞き取れなかったのだが、アーダはもう行ってしまったし、ルティナは何でもないと言っているので、ユウはそれ以上は聞かない事にした。
草原の草は迫りくる岩との境目のギリギリにまできれいに生えそろっていた。
ユウはその境目を横に見ながら、フィノの後ろについて馬を進めていった。
この草原の境目はこれまでの二段の丘のように一直線に仕切られている訳ではない。
流れ出た粘り化のある溶岩の跡と思われる岩が、意外に高さのある大きな塊となって、時折ユウ達の行方を遮るかの様に表れたりするからだ。
この岩の表面は意外に滑らかで、これを馬で登る事は不可能っぽい。
馬で行けるのはやはり草原までが限界だという事になるのだろう。
ユウ達を遮るこれらの岩は、そのまま山へと続いている。
その為、内陸に向かって行く為には、岩を草原側に迂回して通るより仕方がない。
なので、岩にぶつかる度に岩を大きく迂回して行かなければならなくなるのだが、少し行くと、その岩のうねりが、次第に大きく波打つようになっていた。
何処までも続く草の海の中に、大きな岩の半島が幾重にも連なり続いているようなイメージだといえばいいだろうか。
こうなると、さすがにわざわざ境目に沿って進む意味はなくなってしまう。
戻って来るとわかっているのに、わざわざ湾の中まで入っていく必要は無いからだ。
ユウは、半島の先端から先端へ、最短距離を結ぶルートを進むように、先頭を行くフィノに伝えた。
そんな湾をいくつか通り過ぎた後、とある一つの湾の間を行っている途中で、たまたま馬の足元へと視線を落としたユウは、そこに、その辺りの風景にそぐわない、綺麗な三角錐の石が落ちているのに気が付いた。
なんだろう、と思いつつ、一旦姿勢を正して顔を上げ、ふと湾の内側を見てみると、今いるこの湾はこれまで通り過ぎて来た他の湾と少し様子が違っている。
ユウは見つけたその綺麗な三角錐の石のすぐ隣に馬を止めた。
そうしておいてから、改めて湾の内側を見回してみる。
「どうしたんですか?」
何の前触れもなく唐突に止まった為驚いたのだろう、ルティナがユウの腕の中で窮屈そうに振り返って聞いてくる。
その声に気付いたアーダが立ち止まる。
「なんだなんだ。何かいたのか?」
その先ではフィノも動きを止めている。
ユウは自らの視線の先、この湾の中心付近に当たる場所に、気になる石を見つけていた。
足元の石よりも二回りくらい大きい、人の頭ほどの大きさの比較的大きな石だった。
ユウはその石のある場所に向かって湾の中へとおもむろに馬を進めた。
「ユウ、行先を変えるのなら、一声かけてからにしてよ。いきなりいなくなったらびっくりするじゃない」
すぐにフィノがクレームをつけてくる。
「ご、ごめん。ちょっと気になるものが見えたんだ。すぐ戻って来るから二人はそこで待っていて」
ユウはフィノにそう声をかけ、ルティナと二人、湾の奥へと入って行こうとすると、フィノもアーダもユウの指示には従わず、急いで近くへ駆け寄ってきた。
比較的ユウから近い位置にいたアーダはゆっくり進んでいたユウの馬を軽く追い越し、ユウの馬の前に立った。
そして、そこからはユウの事を先導するような格好で、湾の奥へと進んでいく。
フィノは、後方を警戒しているのか、ユウの後ろに控えている。
「大丈夫だよ。何もいない事は確認してあるからさ。それに、すぐに戻るつもりでいるし」
「だったら何で…」
ユウより前にいたアーダが、ユウに文句を言おうとして振り返ろうとし、その途中で固まった。
「どうした?」
そう聞き返しながら、ユウが視線をアーダの馬の足元へと落とすと、そこには、さっき見つけた人の頭位の大きさの石が置かれている。
それは、明らかに自然の造形物ではない、表面が滑らかな円筒形の石だった。




