第98章 見ない人
午後。
澪は一人で歩いていた。
目的地はない。
ただ、少し外に出たかった。
最近。
林夏たちは誰かと一緒にいることが多い。
月白と林夏。
紅葉と七番。
ユウと、学校の女の子。
それぞれが。
それぞれの速度で関係を変えている。
澪はそれを見ていた。
観察することには慣れている。
けれど。
「自分の場合は?」
そう考えたところで。
前から誰かが歩いてきた。
「あ」
男だった。
澪と同じくらいの年齢に見える。
男は澪の前で立ち止まった。
「すみません」
「何?」
「この辺に、本屋ありますか?」
澪は少し考えた。
「二つある」
「どっちがおすすめ?」
「知らない」
「じゃあ、一緒に行ってくれません?」
澪は男を見る。
「どうして?」
「一人だと迷うから」
「地図を使えばいい」
「それもそうですね」
男は笑った。
「じゃあ、そうします」
そのままスマートフォンを取り出す。
澪は歩き出した。
数歩進んで。
後ろを見る。
男はまだ地図を見ていた。
「……変な人」
そう呟いた。
*
数分後。
澪は本屋に入った。
偶然だった。
目的はなかった。
棚を眺めていると。
さっきの男も入ってきた。
「ここだったんですね」
「そう」
「助かりました」
「私は何もしてない」
「でも教えてくれた」
「それだけ」
「それで十分ですよ」
澪は少し黙った。
男は本棚を見始める。
しばらくして。
「何を探してるの?」
澪が聞いた。
「分からないです」
「分からない?」
「何か面白いもの」
「曖昧」
「そうですね」
男は笑った。
澪は少し考える。
「それなら、探す意味がない」
「どうして?」
「目的がないから」
「目的がないから探すんじゃないですか?」
澪は答えなかった。
*
二人は別々の棚を見る。
男は一冊の旅行雑誌を手に取った。
「これ、面白そう」
「旅行するの?」
「したことないです」
「じゃあ、行きたいの?」
「分からない」
澪は男を見る。
「あなた、分からないことが多いね」
「澪さんもじゃないですか?」
「どうして私の名前を?」
男は驚いた。
「あ……」
澪は気づいた。
さっき。
店の入口で名前を呼ばれていた。
林夏からの電話だった。
「聞いてたの?」
「少し」
「観察してた?」
「してません」
「じゃあ、何?」
男は少し考えた。
「ただ、聞こえただけです」
澪は黙った。
その答えが。
妙に気に入らなかった。
けれど。
嫌でもなかった。
*
本屋を出る。
「ありがとうございました」
男が言った。
「何が?」
「本屋」
「案内しただけ」
「それでも」
男は笑う。
「また会ったら、話してもいいですか?」
澪は少し考えた。
「どうして?」
「話してみたいから」
「理由はそれだけ?」
「それだけじゃ駄目ですか?」
澪は答えなかった。
しばらくして。
「……いいよ」
「じゃあ、また」
男は手を振って歩いていった。
澪はその背中を見る。
端末を取り出す。
いつもの画面。
【対象:不明】
【関係:未定義】
【行動予測:不可能】
澪は画面を閉じた。
「……また会うかどうかも分からない」
そう言って。
歩き出す。
*
夕方。
万事修理店。
澪が戻ると。
林夏が椅子に座っていた。
「おかえり」
「ただいま」
月白が顔を上げる。
「今日は一人だった?」
「うん」
「何かあった?」
澪は少し考えた。
「本屋に行った」
「それだけ?」
「男の人と話した」
林夏がすぐに反応する。
「お?」
「何?」
「いや」
「何?」
「別に」
月白が笑う。
「林夏、楽しそう」
「そう?」
「うん」
澪は二人を見る。
「あなたたちも、こういうことをするの?」
「こういうこと?」
「知らない人と話す」
林夏は考えた。
「あるよ」
「どうして?」
「面白そうだから」
「それだけ?」
「それだけ」
澪は黙った。
今日会った男も。
似たようなことを言っていた。
理由はない。
ただ話したい。
ただ知りたい。
ただ一緒に歩きたい。
そういうものもある。
*
夜。
澪は一人で部屋にいた。
端末を机に置く。
今日の出来事を記録しようとして。
手を止めた。
【接触:発生】
【対象:不明】
【関係:未定義】
ここまでは書ける。
その下。
【意味:】
そこで止まった。
何を書けばいいのか分からない。
恋愛なのか。
友情なのか。
偶然なのか。
何も分からない。
澪はしばらく画面を見て。
全部消した。
そして。
一行だけ書いた。
【また会いたいか:まだ分からない】
保存する。
端末を閉じる。
初めて。
観測結果ではなく。
自分自身の分からなさを記録した。
窓の外を見る。
夜の街は静かだった。
明日。
あの男に会うかどうか。
まだ分からない。
それでいい。
少なくとも今は。
そう思えた。




