第87章 一緒にしたいこと
雨が止んだのは、夕方だった。
道路にはまだ水たまりが残っている。
紅葉と七番は、駅を出てからしばらく歩いていた。
どちらも、急いで帰ろうとはしなかった。
「昔さ」
紅葉が言った。
「何?」
「あなたと初めて会ったときのこと、覚えてる?」
七番は少し笑った。
「覚えてる」
「私は?」
「覚えてないと思う」
「……正解」
紅葉は笑った。
「私は、あなたのことを覚えてなかった」
「うん」
「なのに、あなたは覚えてた」
「そうだった」
「変なの」
「よく言われた」
二人は歩き続けた。
駅前の交差点を渡る。
その先に、小さな店があった。
紅葉が足を止める。
「ここ」
「知ってる?」
「昔、一度だけ来た」
七番も店を見る。
「僕たちが初めて話した店?」
「たぶん」
「入る?」
紅葉は少し迷った。
「……入ってみる」
二人で店に入った。
小さな喫茶店だった。
店員が二人にメニューを渡す。
紅葉はメニューを開いた。
「何にする?」
「君は?」
「私はコーヒー」
「昔も?」
「知らない」
七番は笑った。
「じゃあ、僕もコーヒーにする」
「真似しないで」
「じゃあ紅茶」
「それでいい」
注文を終える。
しばらくして、飲み物が運ばれてきた。
紅葉はカップを持ち上げた。
一口飲む。
「……普通」
「うん」
「昔もこんな味だったのかな」
「たぶん」
「覚えてる?」
「味までは覚えてない」
「じゃあ、なんで覚えてるって言ったの?」
七番は少し考えた。
「君とここに来たことは覚えてるから」
紅葉は黙った。
そして、少しだけ笑った。
「そっか」
*
万事修理店。
林夏は夕食を作っていた。
「今日は何?」
月白が台所を覗く。
「チャーハン」
「また?」
「簡単だから」
「昨日も食べた」
「昨日は昨日」
月白は笑った。
「その理屈、便利だね」
「便利でしょ」
林夏は皿を二つ並べた。
そのとき、月白が言った。
「林夏」
「ん?」
「明日、時間ある?」
林夏は振り返った。
「たぶん」
「たぶん?」
「修理が入らなければ」
「じゃあ」
月白は少し迷った。
「明日、一緒に出かけたい」
林夏の顔が明るくなった。
「どこ行く?」
「決めてない」
「じゃあ、決めよう」
「うん」
「ラーメン?」
「それ以外」
「本屋?」
「それもいい」
「喫茶店?」
「それもいい」
「全部行く?」
月白は笑った。
「一日で?」
「できるよ」
「疲れると思う」
「じゃあ、一つずつ」
「うん」
月白は少し考えた。
「明日は、私が決めてもいい?」
林夏はすぐに頷いた。
「もちろん」
「じゃあ、明日は私についてきて」
「分かった」
それだけだった。
けれど月白は、少し嬉しそうだった。
*
夜。
紅葉と七番は店を出た。
外はすっかり暗くなっていた。
「今日はありがとう」
七番が言った。
「何が?」
「ここに来てくれて」
紅葉は少し考えた。
「私も来たかったから来ただけ」
「うん」
「勘違いしないで」
「しない」
紅葉は歩き出した。
数歩進んでから、振り返る。
「七番」
「何?」
「また、こういうところに来てもいい?」
七番は少し驚いた。
それから笑った。
「もちろん」
「じゃあ、また今度」
「うん」
紅葉は歩いていく。
七番はその背中を見送った。
追いかけなかった。
呼び止めなかった。
ただ、彼女が自分で決めて歩いていくのを見ていた。
*
翌朝。
林夏は店の前で待っていた。
月白が来る。
「おはよう」
「おはよう」
「今日はどこ?」
「まだ秘密」
「えー」
「自分で決めたんだから、最後まで秘密にする」
「厳しい」
「嫌?」
「いや」
林夏は笑った。
「楽しみ」
月白も笑った。
二人は歩き始めた。
行き先はまだ知らない。
それでも、二人とも同じ方向を向いていた。
その頃。
紅葉の端末に、一通の通知が届いた。
【旧所属記録:更新】
【七番:所属情報、一部復元】
紅葉は画面を見た。
しかし、すぐに閉じた。
「……今はいい」
誰かが決めた過去より。
今、自分が知りたいことのほうが大切だった。
紅葉はスマートフォンをポケットにしまう。
そして、自分の足で歩き始めた。
誰かと一緒に歩くことも。
一人で歩くことも。
まだ、決められてはいない。
だからこそ。
次にどこへ行くかは、自分で決められる。
【関係:継続】
【過去:参照可能】
【未来:未設定】
今日もまた。
誰も、答えを急がなかった。




