第84章 好きだから、同じ場所にいなくても
昼休み。
ユウは学校の廊下を歩いていた。
教室へ戻ろうとしたところで。
後ろから声をかけられた。
「ユウ」
振り返る。
同じクラスの女子だった。
「何?」
「これ」
小さな紙袋を渡される。
「何これ?」
「昨日、駅前で買ったから」
「俺に?」
「うん」
ユウは袋を見る。
中には、小さな菓子が入っていた。
「ありがとう」
「……それだけ?」
「え?」
女子は少し困ったように笑った。
「いや、なんでもない」
「?」
ユウは首を傾げる。
女子はそのまま教室へ戻っていった。
ユウは袋を見ながら。
しばらく立っていた。
「……何だったんだ?」
⸻
放課後。
ユウは万事修理店に戻った。
林夏は店の奥で工具を整理している。
月白は本を読んでいた。
紅葉は窓際で外を見ている。
「ただいま」
「おかえり」
林夏が顔を上げる。
「何かあった?」
「え?」
「顔に書いてある」
「何もないよ」
ユウは袋を机に置いた。
紅葉が見る。
「何それ」
「もらった」
「誰から?」
「クラスの人」
月白が顔を上げる。
「女の子?」
「うん」
林夏が笑った。
「おお」
「何?」
「青春だな」
「何それ」
「恋愛イベント」
ユウは困った顔をする。
「そうなのかな」
紅葉がため息をついた。
「本人が分からないなら、勝手に決めつけないほうがいい」
「……紅葉さん、なんか今日は説得力あるね」
「殴るわよ」
「ごめん」
月白が小さく笑う。
「でも、どう思ったの?」
ユウは袋を見る。
「嬉しかった」
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
「うん」
林夏が頷く。
「好きかどうかなんて、今決めなくてもいいだろ」
ユウは少し考える。
「……それもそうだね」
⸻
その夜。
ユウは菓子を食べながら。
昼間のことを考えていた。
嬉しかった。
それは確かだった。
でも。
それが恋なのかは分からない。
そして。
分からないことが。
以前ほど怖くなくなっている自分にも気づいた。
「まあ、明日でいいか」
そう呟いて。
残った菓子を袋に戻した。
⸻
同じ頃。
第七街区の外れ。
紅葉が一人で歩いていた。
後ろから足音がする。
「待って」
振り返る。
昨日の男だった。
「何?」
「少しだけ話したい」
「昨日話したでしょう」
「もう一つだけ」
紅葉は黙っている。
男は。
小さな紙を差し出した。
「これ」
紅葉が受け取る。
そこには。
古い住所が書かれていた。
「ここは?」
「昔、俺たちが初めて会った場所」
紅葉の表情が変わる。
「……まだ残ってるの?」
「建物はない」
「じゃあ何のため?」
「場所だけでも、見ておきたいと思って」
紅葉は紙を見る。
「二人で?」
「嫌なら一人で行く」
紅葉は少し考えた。
そして。
紙を折った。
「行く」
男が少し驚く。
「いいのか?」
「私が行きたいと思ったから」
「……そうか」
二人は歩き出した。
並んでいる。
けれど。
手は繋がない。
距離も近すぎない。
ただ。
同じ方向へ歩いている。
⸻
一方。
万事修理店。
月白は棚から一冊の本を取り出した。
「林夏」
「ん?」
「この本、借りてもいい?」
「もちろん」
月白は本を抱える。
「明日返す」
「急がなくていいよ」
「でも」
月白は少し笑った。
「返す理由があったほうが、また来やすいから」
林夏は。
一瞬だけ黙った。
「……それなら」
「うん?」
「俺も何か借りようかな」
「何を?」
「月白の本」
「私の?」
「うん」
「何のため?」
林夏は考える。
「また会う理由」
月白は。
少しだけ目を見開いた。
それから。
静かに笑った。
「じゃあ、一冊選んで」
「本当に?」
「うん」
「後悔しない?」
「しないよ」
林夏は本棚を見る。
「じゃあ、これ」
「それ?」
「面白そう」
月白が本を見る。
「それ、難しいよ」
「じゃあ、頑張る」
「読めなかったら?」
「月白に聞く」
「……それなら、いいかも」
二人は。
本を交換した。
⸻
その頃。
街の別の場所では。
昨日まで敵だった二人が。
古い建物の跡地に立っていた。
「ここだった」
男が言う。
紅葉は周囲を見る。
「何もないね」
「うん」
「ここで何があったの?」
「俺が初めて、君に助けられた」
紅葉は思い出そうとする。
「……覚えてない」
「そうだと思った」
「どうして?」
「君はいつも、助けたことを覚えてなかったから」
「そんなことしてた?」
「してた」
男は笑った。
「俺は覚えてる」
紅葉は黙った。
「だから、もう一度ここに来たかった」
「思い出してほしかった?」
「違う」
「じゃあ?」
男は。
少しだけ紅葉を見る。
「俺が覚えていることを、俺自身が確かめたかった」
紅葉は。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……変なの」
「よく言われる」
「でも」
紅葉は。
古い地面を見る。
「悪くない」
男は笑った。
二人は。
しばらくそこにいた。
⸻
帰り道。
紅葉が聞いた。
「あなたは、今でも組織に戻るつもり?」
「分からない」
「私も」
「じゃあ」
男は少し笑う。
「しばらく、分からないままでいようか」
紅葉は。
ほんの少しだけ笑った。
「そうね」
二人は。
また歩き始めた。
今度は。
昨日より少しだけ近い距離で。
⸻
夜。
林夏は店の戸締まりをしていた。
月白は本を鞄に入れている。
「明日」
林夏が言った。
「この本、読んだところまで教えて」
「うん」
「じゃあ明日も来る?」
月白は笑った。
「来る」
その言葉を。
二人とも。
当たり前のように受け取った。
店の外。
少し離れた場所で。
紅葉が二人を見ていた。
「……明日も、か」
小さく呟く。
その手には。
昼間の紙がある。
古い住所。
もう一度。
そこへ行く約束はしていない。
けれど。
紙を捨てる理由も。
まだなかった。
街のどこかでは。
ユウが今日もらった菓子の袋を机の上に置いている。
誰かは。
過去の恋を抱えたまま歩いている。
誰かは。
新しい気持ちに名前をつけないまま眠る。
誰かは。
敵だった人と同じ道を歩いている。
そして。
誰かは。
明日会う約束をしている。
【関係:複数】
【固定:なし】
【継続:本人の選択による】
その記録だけを残して。
夜は静かに更けていった。




