第80章 いつものように
翌朝。
月白は。
店の前で立ち止まった。
昨日のことを思い出す。
手をつないだ。
それだけ。
でも。
昨日から。
何度も思い出してしまう。
「……どうしてだろう」
自分でも。
少しおかしいと思った。
それでも。
扉を開ける。
「おはよう」
「おはよう」
林夏は。
いつもの場所にいた。
月白は。
少しだけ安心した。
⸻
午前中。
二人は。
いつも通り仕事をした。
時計を修理する。
本を読む。
昼になる。
食事をする。
特別なことは。
何もない。
それなのに。
月白は。
何度か林夏の手を見ていた。
昨日。
自分が握った手。
そのことを思い出すたび。
少しだけ。
胸が温かくなる。
林夏は。
何も気づいていない。
いつも通りだった。
⸻
昼過ぎ。
林夏が言った。
「散歩する?」
「うん」
二人は。
店を出た。
昨日と同じ道。
人通りも。
ほとんど同じ。
月白は。
隣を歩く。
昨日とは違って。
今日は。
人が少ない。
手をつなぐ理由はない。
だから。
二人とも。
何も言わない。
しばらく歩く。
月白は。
少しだけ林夏に近づいた。
肩が。
軽く触れる。
林夏は。
何も言わなかった。
月白も。
離れなかった。
⸻
公園。
ベンチに座る。
林夏が。
自動販売機で飲み物を買う。
「何がいい?」
「昨日と同じ」
「覚えてる」
林夏が。
二本買ってくる。
月白は。
受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
二人で。
静かに飲む。
「ねえ」
月白が言う。
「うん?」
「昨日」
「うん」
「手をつないだでしょう?」
「うん」
「今日は」
少し間を置く。
「つながなくてもいい?」
林夏は。
不思議そうに見る。
「もちろん」
月白は。
少し笑った。
「そう」
しばらくして。
月白が。
林夏の手の近くに。
自分の手を置く。
触れない。
ただ。
近くにある。
林夏は。
それを見る。
そして。
何も言わない。
⸻
帰り道。
夕方の街。
人が少し増えてきた。
二人は。
並んで歩く。
信号を渡る。
月白が。
少しだけ前に出る。
林夏が。
追いつく。
その時。
月白の手が。
林夏の手に触れた。
一度。
離れる。
また触れる。
今度は。
離れなかった。
月白が。
小さく手を握る。
林夏も。
握り返す。
二人とも。
何も言わない。
昨日とは。
違う。
今日は。
誰もいない。
人混みもない。
必要もない。
それでも。
手をつないだ。
⸻
店に戻る。
紅葉が。
カウンターにいた。
二人の手を見る。
今度は。
隠すこともできなかった。
紅葉は。
少しだけ黙る。
「……」
林夏が。
普通に言う。
「ただいま」
「おかえり」
月白も。
「ただいま」
紅葉は。
二人の手を見て。
そして。
本に目を戻した。
「今日は人、多かった?」
「いや」
林夏が答える。
「少なかった」
紅葉の指が。
ページの端で止まる。
「……そう」
それ以上。
何も言わない。
⸻
夜。
月白が帰る時間。
扉の前で。
二人は立っている。
「じゃあ」
「うん」
「また明日」
「また明日」
月白は。
少し歩く。
そして。
振り返る。
林夏は。
まだそこにいる。
月白は。
少し笑った。
「おやすみ」
「おやすみ」
月白が帰っていく。
林夏は。
しばらく見送った。
⸻
翌朝。
月白が店に来る。
「おはよう」
「おはよう」
昨日と同じ。
いつもの挨拶。
いつもの時間。
いつもの場所。
月白は。
少しだけ笑った。
林夏が。
「今日はどうする?」
と聞く。
月白は。
少し考える。
「何もしなくていい」
「いいの?」
「うん」
そして。
少しだけ間を置いて。
「一緒にいれば」
林夏は。
笑った。
「それなら簡単だな」
「うん」
二人は。
並んで座った。
何も起こらない。
何も決めない。
ただ。
同じ時間を過ごす。
それが。
いつの間にか。
二人にとっての。
「いつものこと」になり始めていた。




