第79章 手をつなぐ理由
翌朝。
月白は。
いつもより少しだけ早く店に着いた。
扉を開ける。
「おはよう」
「おはよう」
林夏は。
すでに店の奥にいた。
「今日は早いね」
「昨日も言われた」
「そうだった?」
「うん」
林夏は笑った。
「じゃあ、今日は普通だな」
「何が?」
「月白が来る時間」
月白は。
少しだけ笑った。
「そうかも」
⸻
午前中。
二人は。
昨日の本を読んでいた。
途中で。
林夏が眠くなる。
「眠い?」
「少し」
「寝れば?」
「でも」
「うん?」
「月白が読んでるから」
「私が読むのと、林夏が寝るのは関係ないよ」
「そう?」
「そう」
林夏は。
机に突っ伏した。
「じゃあ、五分だけ」
「どうぞ」
五分後。
林夏は。
完全に寝ていた。
月白は。
本を閉じた。
しばらく。
林夏の寝顔を見る。
「……子供みたい」
小さく笑う。
そして。
自分も本を読み始めた。
⸻
昼過ぎ。
林夏が目を覚ました。
「……寝た?」
「寝た」
「どのくらい?」
「一時間」
「一時間?」
林夏は。
驚いて時計を見る。
「やばい」
「何が?」
「せっかくの一日が」
月白は。
笑った。
「まだ午後だよ」
「じゃあ出かけよう」
「どこへ?」
「決めてない」
「また?」
「うん」
月白は。
立ち上がった。
「じゃあ行こう」
⸻
二人は。
街の中心へ向かった。
今日は。
特に目的がない。
店を見たり。
小さな公園に寄ったり。
途中で飲み物を買ったり。
ただ歩いた。
「林夏」
「ん?」
「最近」
「うん」
「こういう日が増えたね」
「そうだな」
「嫌じゃない?」
林夏は。
すぐに答えた。
「楽しい」
月白は。
少し笑った。
「私も」
⸻
夕方。
人通りの多い通りに出た。
前から。
大勢の人が歩いてくる。
月白と林夏の距離が。
少しだけ離れた。
林夏が。
振り返る。
「月白」
「ここ」
手を伸ばす。
月白は。
その手を見る。
そして。
一瞬迷った。
いつもなら。
少し離れて歩く。
でも。
今日は。
自分から。
その手を取った。
林夏が。
少し驚く。
「……」
月白も。
何も言わない。
ただ。
そのまま歩いた。
人混みを抜ける。
それでも。
手は離さなかった。
林夏が。
少しだけ聞く。
「もう人、少ないけど」
月白は。
前を見たまま。
「うん」
「手」
「うん」
「まだつないでる」
「……うん」
林夏は。
少し笑った。
「じゃあ、このままでいいか」
「うん」
二人は。
そのまま歩いた。
⸻
しばらくして。
月白が。
小さく言った。
「林夏」
「ん?」
「手」
「うん」
「温かいね」
林夏は。
笑った。
「月白の手も」
「そう?」
「うん」
月白は。
少しだけ。
握る力を強くした。
林夏も。
握り返した。
それだけだった。
⸻
帰り道。
月白は。
手を離してから。
少し寂しくなった。
自分でも。
驚いた。
こんな小さなことで。
そんなふうに思うなんて。
「……」
林夏が気づく。
「どうした?」
「何でもない」
「また?」
「うん」
「今日、多いな」
月白は。
笑った。
「そうかも」
⸻
店に戻る。
紅葉が。
カウンターに座っている。
二人を見る。
「おかえり」
「ただいま」
紅葉の視線が。
二人の手元へ向く。
もう。
手は離れている。
けれど。
紅葉は。
何となく気づいた。
「……」
「何?」
林夏が聞く。
「別に」
紅葉は。
本を開いた。
数秒後。
ページをめくる。
さらに数秒。
また同じページをめくる。
澪が。
横から見る。
「そこ、さっきから進んでない」
「……うるさい」
「そう」
澪は。
それ以上言わなかった。
⸻
夜。
月白が帰る前。
林夏が言う。
「明日」
「うん?」
「また出かける?」
月白は。
少し考えた。
「うん」
「どこにする?」
「……まだ決めない」
「いいね」
二人で笑った。
月白は。
扉の前で立ち止まる。
「林夏」
「ん?」
「今日」
「うん」
「手をつないだこと」
「うん」
「……嫌じゃなかった?」
林夏は。
少し驚いた。
それから。
笑った。
「嫌じゃない」
「そう」
「月白は?」
月白は。
少しだけ顔を伏せる。
「私も」
そして。
扉を開ける。
「おやすみ」
「おやすみ」
月白が。
外へ出ていく。
林夏は。
その背中を見送る。
月白は。
少し歩いてから。
自分の手を見る。
さっきまで。
林夏の手があった場所。
もう何もない。
それなのに。
まだ。
温かい気がした。
月白は。
小さく笑った。
「……また明日」
その言葉は。
誰にも届かなかった。
けれど。
今度は。
自分でも分かっていた。
それは。
ただの挨拶ではなかった。




