第77章 好きな時間
翌朝。
月白は。
昨日の帰り道を思い出していた。
――私は好き。
言葉にしてしまった。
何度考えても。
少し恥ずかしい。
けれど。
後悔はしていなかった。
月白は。
窓の外を見る。
「……今日も会えるかな」
そう呟いて。
自分で少し笑った。
⸻
万事修理店。
月白が店に着くと。
林夏が何かを作っていた。
「おはよう」
「あ、おはよう」
「何してるの?」
「これ」
林夏が見せたのは。
小さな木の板だった。
「何?」
「昨日の本を置く棚」
「棚?」
「うん」
店の隅を見る。
そこには。
まだ何も置かれていない小さな場所があった。
「ここを本置き場にする」
「どうして?」
「本が増えたから」
月白は。
昨日買った本を見る。
「私の本?」
「俺のもある」
「そう」
月白は。
少し笑った。
「じゃあ、一緒の棚だね」
「うん」
林夏は。
何でもないように答えた。
⸻
午前中。
二人で棚を作った。
林夏が木を削る。
月白が布で表面を拭く。
「ここ、少し曲がってる」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ直す」
「でも」
月白は。
少し離れて見る。
「そのくらいならいいと思う」
「いいの?」
「うん」
「珍しいな」
「何が?」
「月白が『これでいい』って言うの」
月白は。
少し考えた。
「前は」
「うん」
「ちゃんとしなきゃって思ってたから」
「今は?」
「……一緒に作ったなら」
月白は。
棚を見る。
「少しくらい曲がっててもいいかなって」
林夏は。
少し笑った。
「じゃあ、そのままにしよう」
「うん」
⸻
昼。
林夏が。
棚に本を並べていく。
月白の本。
林夏の本。
昨日買った本。
古い本。
新しい本。
一冊ずつ。
並べていく。
「これ」
月白が。
一冊の本を手に取る。
「読んだ?」
「まだ」
「じゃあ」
林夏が言う。
「一緒に読もう」
「……一緒に?」
「うん」
「どうやって?」
「交代で」
「それ、時間かかるよ」
「いいじゃん」
月白は。
少し笑った。
「そうだね」
⸻
午後。
客が少ない。
店の中は静かだった。
月白は。
本を読む。
林夏は。
修理をする。
時々。
林夏が何かを聞く。
月白が答える。
また。
静かになる。
それだけだった。
でも。
月白には。
その時間が心地よかった。
特別なことをしていない。
どこにも出かけていない。
何かを約束したわけでもない。
ただ。
同じ場所にいる。
それだけ。
月白は。
本を閉じた。
「林夏」
「ん?」
「私」
「うん?」
「こういう時間も好き」
林夏は。
少しだけ顔を上げた。
「どんな時間?」
「何もしない時間」
「それなら毎日ある」
「うん」
月白は。
笑った。
「だからいいのかも」
林夏は。
少し考えて。
「じゃあ」
「うん?」
「明日も何もしない?」
月白は。
笑った。
「それもいいね」
⸻
夕方。
紅葉が店に戻ってきた。
新しい棚を見る。
「本棚?」
「うん」
「いつ作ったの?」
「今日」
紅葉は。
本を眺める。
「……二人で?」
林夏が答える。
「うん」
紅葉は。
何も言わなかった。
一冊の本を取る。
そして。
棚に戻した。
「いいじゃん」
「そう?」
「うん」
紅葉は。
少しだけ笑う。
「店らしくなった」
月白が。
嬉しそうにする。
「ありがとう」
「別に」
紅葉は。
カウンターへ向かった。
その途中。
林夏の鞄を見る。
猫のキーホルダー。
月白の鞄にも。
同じもの。
紅葉は。
一瞬だけ視線を止めた。
そして。
何も言わずに歩いた。
⸻
夜。
月白が帰る時間。
林夏が。
本棚の前に立っていた。
「月白」
「うん?」
「これ」
一冊の本を渡す。
「まだ読んでない」
「知ってる」
「じゃあ?」
「明日まで借りる」
「どうして?」
林夏は。
少し笑った。
「明日、返すため」
月白は。
その意味を理解して。
少しだけ目を細めた。
「……明日も会うの?」
「会うだろ?」
「約束してないよ」
「じゃあ」
林夏は。
少し考えて。
「今、約束する」
月白は。
笑った。
「うん」
「明日、返す」
「待ってる」
⸻
月白が帰ったあと。
林夏は。
本棚を見る。
二人の本が並んでいる。
そして。
その隣には。
まだ何も置かれていない空間がある。
林夏は。
そこを少し眺めて。
「……何置こうかな」
そう呟いた。
まだ。
決めなくていい。
明日。
また考えればいい。
店の外では。
月白が歩いている。
鞄の中には。
新しい本。
そして。
明日の約束。
月白は。
小さく笑った。
「……明日も」
誰にも聞こえない声で。
そう呟いた。




