第74章 待っていた時間
翌朝。
月白は。
いつもより早く店に来た。
昨日。
二人で約束した。
今日は。
一緒に本を探しに行く。
それだけの約束。
でも。
月白は。
少し楽しみにしていた。
店の前で立ち止まる。
扉を開ける。
「おはよう」
返事がない。
「……?」
店の中には。
誰もいなかった。
月白は時計を見る。
まだ早い。
「そうだよね」
小さく呟く。
そして。
椅子に座った。
⸻
三十分。
林夏は来ない。
一時間。
まだ来ない。
月白は。
本を開いた。
昨日林夏に渡した本。
けれど。
文字が頭に入らない。
時計を見る。
また見る。
「……何してるんだろ」
自分でも。
少しおかしいと思う。
林夏が遅れることなんて。
今までにもあった。
寝坊。
食事。
寄り道。
全部。
珍しいことではない。
それなのに。
今日は。
気になった。
⸻
昼近く。
紅葉が店に入ってきた。
「月白?」
「うん」
「林夏は?」
「まだ」
紅葉は時計を見る。
「珍しいね」
「そうだね」
「何か聞いてない?」
「聞いてない」
紅葉は。
少し黙った。
「……待ってるの?」
月白は。
すぐには答えなかった。
「約束したから」
「昨日?」
「うん」
紅葉は。
何か言いかけて。
やめた。
「そう」
そして。
カウンターの椅子に座る。
「私も待つ」
「どうして?」
「暇だから」
月白は。
少し笑った。
「そう」
⸻
午後一時。
店の扉が開いた。
「ただいま!」
林夏だった。
月白が立ち上がる。
「林夏」
「ごめん!」
林夏は。
息を切らしていた。
「朝、急に修理の依頼が来て」
「……」
「終わらせてから来ようと思ったら、思ったより時間かかって」
月白は。
黙っている。
「連絡しようと思ったんだけど」
林夏がポケットを見る。
「スマホ、店に置いたままだった」
紅葉が。
小さくため息をつく。
「最悪の組み合わせね」
「うん」
林夏は素直に頷いた。
月白は。
俯いたまま。
「……そう」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ行く?」
林夏が笑う。
「本屋」
月白は。
顔を上げた。
「……今日はいい」
林夏の笑顔が止まった。
「え?」
「もう遅いから」
「でも」
「また今度でいい」
月白は。
笑おうとした。
「約束は、明日でもできるから」
そう言って。
本を閉じた。
⸻
林夏は。
何も言わなかった。
紅葉も。
口を挟まなかった。
月白は。
店の奥へ行く。
少しして。
林夏が紅葉を見る。
「俺、何かした?」
紅葉は。
しばらく黙っていた。
「……した」
「何?」
「待たせた」
「でも、仕事が」
「それは分かってる」
紅葉は。
林夏を見る。
「でも」
少しだけ。
言葉を選ぶ。
「待っていた時間まで、なかったことにはならない」
林夏は。
黙った。
⸻
夕方。
月白は。
一人で店の外に出た。
林夏は。
追いかけなかった。
すぐに追いかければ。
また何かを決めることになる気がした。
だから。
少し待った。
月白は。
近くの公園のベンチに座っていた。
林夏が隣に座る。
「……隣、いい?」
月白は。
少しだけ横にずれた。
「うん」
林夏が座る。
しばらく。
二人とも何も言わなかった。
「ごめん」
林夏が言った。
「うん」
「待たせた」
「うん」
「約束したのに」
「うん」
林夏は。
少し困った顔をした。
「……怒ってる?」
月白は。
首を横に振る。
「怒ってない」
「じゃあ」
月白は。
少し考えて。
「寂しかった」
林夏が黙った。
「待ってる間」
月白は。
前を見たまま話す。
「来ると思ってたから」
「……うん」
「昨日までなら」
少し笑う。
「林夏が来なくても、そんなに気にしなかったと思う」
林夏は。
黙って聞いている。
「でも今日は」
月白は。
自分の指を見た。
「約束したから」
「うん」
「楽しみにしてたから」
「……うん」
林夏は。
少しだけ頭を下げた。
「ごめん」
今度は。
月白も笑った。
「分かった」
「許してくれる?」
「うん」
「じゃあ」
林夏は。
少し考えて。
「明日」
月白を見る。
「もう一回行こう」
月白は。
少し驚いた。
「明日?」
「うん」
「仕事は?」
「午前中に終わらせる」
「本当に?」
「今度はスマホも持つ」
月白が笑った。
「それは大事だね」
「あと」
林夏は。
少し真面目な顔をした。
「遅れそうだったら、ちゃんと連絡する」
「うん」
「約束」
月白は。
小さく頷いた。
「約束」
⸻
二人は。
公園から店へ戻った。
紅葉が入口に立っている。
「仲直りした?」
林夏が答える。
「うん」
月白も。
「うん」
紅葉は。
二人を見る。
そして。
「じゃあ、明日は遅れないようにね」
「分かってる」
「本当に?」
「本当」
紅葉は。
少しだけ笑った。
「ならいい」
⸻
その夜。
月白は。
ベッドの上で。
今日のことを思い出していた。
待っていた時間。
寂しかったこと。
それを。
自分から林夏に言えたこと。
以前なら。
言わなかった。
言えば。
相手を困らせると思っていた。
でも。
今日は言えた。
そして。
林夏も。
聞いてくれた。
月白は。
枕元の本を見る。
明日。
二人で本屋へ行く。
今度こそ。
約束通り。
目を閉じる。
その頃。
林夏は。
スマートフォンを充電器の横に置いた。
そして。
画面に明日の予定を入力する。
【月白と本屋】
しばらく眺めて。
その下に。
小さく書き足した。
【遅れない】
林夏は満足そうに頷く。
「これで大丈夫」
そして。
眠った。
誰にも見られていないところで。
二人は。
同じ明日を。
少しだけ楽しみにしていた。




