第73章 二人だけの約束
翌朝。
月白は。
昨日買った本を鞄に入れた。
猫のキーホルダーも。
忘れていない。
鏡の前で。
一度だけ髪を整える。
それから。
自分で少し笑った。
「……何してるんだろ」
店へ行くだけ。
それだけなのに。
いつもより少しだけ。
出かける準備が長かった。
⸻
万事修理店。
扉を開ける。
「おはよう」
「おはよう」
林夏は。
いつもの場所に座っていた。
「今日は早いな」
「林夏も」
「俺はいつも通り」
「そう?」
「うん」
月白は。
林夏の鞄を見る。
昨日買ったキーホルダーが揺れている。
自分の鞄を見る。
同じもの。
それだけで。
少し嬉しくなった。
「昨日の本」
「もう読んだ?」
「まだ」
「早くない?」
「昨日買ったばかりだから」
「じゃあ、まだ貸せないな」
「そうだね」
二人は笑った。
⸻
午前中。
修理の依頼は少なかった。
林夏が古い時計を分解する。
月白は。
横で部品を整理している。
「これ」
「ん?」
「昨日の本に出てきそう」
月白が小さな歯車を指差す。
林夏は笑う。
「本に歯車が出てくるの?」
「たぶん」
「まだ読んでないのに?」
「表紙の雰囲気」
「適当だな」
「林夏に言われたくない」
「確かに」
また笑う。
そんな時間が。
続いた。
⸻
昼。
林夏が立ち上がる。
「飯」
「どこ?」
「いつものところ」
「昨日もラーメンだったよ」
「今日は違う」
「何?」
「定食」
月白は。
少し考えて。
「……二人で?」
「うん」
月白は。
小さく頷いた。
「行こう」
⸻
店を出る。
二人で歩く。
昨日も。
一昨日も。
同じように歩いた。
でも。
今日は。
少しだけ違った。
林夏が。
自然に歩く速度を月白に合わせている。
月白も。
何も言わずに隣を歩いている。
信号で止まる。
林夏が。
何となく月白を見る。
月白も。
同じタイミングで見る。
目が合う。
「何?」
「いや」
「何でもない」
二人とも笑った。
⸻
定食屋。
席に座る。
店員が。
昨日のラーメン屋と同じような顔をした。
「お二人ですか?」
林夏が答える。
「はい」
「いつも一緒ですね」
月白の手が。
一瞬止まる。
林夏は。
気にしていない。
「最近よく来ます」
店員が笑う。
「仲がいいんですね」
「そうですね」
林夏は普通に答えた。
月白は。
少し俯いた。
耳が赤くなっている。
「どうした?」
「何でもない」
「また?」
「うん」
⸻
食事を終える。
店を出る。
月白は。
しばらく黙っていた。
林夏が聞く。
「何かあった?」
「……さっき」
「うん」
「仲がいいって言われた」
「言われたな」
「どう思った?」
林夏は。
少し考える。
「嬉しいけど」
「……そう」
「月白は?」
月白は。
歩きながら答えた。
「私も」
「じゃあ、同じだ」
「うん」
それ以上。
何も言わなかった。
けれど。
二人の歩幅は。
いつの間にか。
少しだけ近くなっていた。
⸻
夕方。
店へ戻る。
紅葉がカウンターに座っていた。
「遅い」
「飯食ってた」
「二人で?」
「うん」
紅葉は。
一瞬だけ月白を見る。
そして。
「……ふうん」
「何?」
「別に」
紅葉は本を閉じた。
「今日、私も飯に行けばよかった」
林夏が笑う。
「じゃあ今度行こう」
「……」
紅葉は。
少しだけ考える。
「三人で?」
「もちろん」
「……そう」
月白は。
黙っていた。
紅葉も。
何も言わない。
ほんの少し。
空気が変わった。
澪が奥から出てくる。
「何かあった?」
「何もない」
紅葉と月白が。
ほぼ同時に答えた。
林夏だけが。
首を傾げる。
「?」
⸻
夜。
林夏が店を閉める。
月白は。
昨日買った本を持っていた。
「明日」
「うん?」
「これ」
本を差し出す。
「読み終わった」
林夏が受け取る。
「早いな」
「面白かったから」
「じゃあ読む」
「うん」
林夏は本を開く。
一ページ目を見る。
「……難しそう」
「頑張って」
「月白が教えて」
「いいよ」
二人は。
店の前に並んで座った。
夜の街は静かだった。
林夏が本を読む。
月白は。
隣で待っている。
しばらくして。
林夏が言った。
「これ」
「うん?」
「結構面白い」
「でしょう?」
「また本、探そう」
月白は。
少しだけ笑った。
「うん」
「今度は二人で」
月白は。
その言葉を聞いて。
少しだけ黙った。
それから。
「約束」
と言った。
「約束」
⸻
その夜。
紅葉は。
一人で街を歩いていた。
目的はない。
ただ。
少し歩きたかった。
店の前を通る。
二人の姿が。
まだそこにあった。
紅葉は。
立ち止まらなかった。
そのまま通り過ぎる。
数歩歩いてから。
ふと。
鞄についた猫のキーホルダーを見る。
昨日。
月白と林夏が買ったもの。
紅葉は。
小さく息を吐いた。
「……私には関係ない」
そう言って。
また歩き出す。
けれど。
少しだけ。
歩く速度が遅くなった。
⸻
万事修理店。
二人はまだ。
本を読んでいる。
澪の端末が。
机の上で一度だけ光る。
【関係:未確定】
少し間を置いて。
もう一つ。
【継続:本人選択】
そして。
画面は消えた。
誰も。
それを見なかった。




