第72章 二人でいること
朝の街は。
まだ少し静かだった。
昨日までなら。
月白は林夏の隣を歩くことに、少しだけ遠慮していた。
今日は。
その必要がなかった。
「どこ行く?」
林夏が聞く。
「まだ決めてない」
「じゃあ、決めないまま歩こう」
「それでいいの?」
「昨日もそれで楽しかっただろ」
月白は笑った。
「うん」
二人は。
目的地を決めずに歩き始めた。
⸻
最初に入ったのは。
小さな雑貨店だった。
林夏は入口に置かれたキーホルダーを眺める。
昨日買った猫のキーホルダーと同じシリーズだった。
「また見てる」
月白が言う。
「昨日買ったばかりだからな」
「気に入った?」
「まあ」
「じゃあ、買えば?」
「二つもいらない」
そう言いながら。
林夏はしばらく見ている。
月白が一つ手に取った。
「これ」
「何?」
「色が違う」
「……本当だ」
月白は。
猫のキーホルダーを林夏に渡した。
「昨日のは林夏が持ってるから」
「じゃあ、これは?」
「私が持つ」
林夏は。
少し考えた。
「おそろい?」
月白の手が止まる。
「……そうなるのかな」
「じゃあ買おう」
「うん」
二人は。
同じシリーズのキーホルダーを一つずつ買った。
店を出てから。
月白は自分の鞄につけた。
林夏も。
昨日買った猫の隣に新しいものをつける。
「似てるね」
「そうだな」
それだけ。
それなのに。
月白は少し嬉しかった。
⸻
昼前。
二人は公園のベンチに座った。
林夏がコンビニの袋を開ける。
「食べる?」
「また食べるの?」
「歩いたから」
「まだ昼じゃないよ」
「だから軽く」
月白は。
小さく笑う。
「林夏って、本当に食べることが好きだね」
「食べられる時に食べたほうがいい」
「それ、誰かに言われたの?」
「俺が勝手に決めた」
「そう」
月白は。
林夏の横顔を見る。
「ねえ」
「ん?」
「昨日も今日も」
「うん」
「私と二人でいて、嫌じゃない?」
林夏は。
本気で不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「……何となく」
「嫌なら一緒に来てないだろ」
「そうだけど」
「じゃあ大丈夫」
林夏は。
何でもないように言った。
「俺は月白といるの、楽しいよ」
月白は。
しばらく黙っていた。
「……私も」
声は小さかった。
けれど。
林夏には聞こえた。
「じゃあ、よかった」
林夏は笑った。
月白も笑った。
⸻
午後。
二人は古本屋に入った。
月白が一冊の本を手に取る。
「これ、知ってる?」
「知らない」
「面白そう」
「じゃあ買えば?」
「でも読む時間がないかも」
「なら、俺が預かろうか」
「どうして?」
「読み終わったら貸して」
「……それなら買う意味ある?」
「ある」
「どんな意味?」
「また会う理由になる」
月白は。
本を持ったまま。
固まった。
林夏は気づかない。
別の棚を見ている。
「……林夏」
「ん?」
「そういうこと、普通に言うんだね」
「何が?」
「何でもない」
月白は。
本を買った。
⸻
夕方。
帰り道。
月白は。
歩きながら何度も自分の鞄を見る。
猫のキーホルダーが揺れている。
林夏の鞄にも。
同じものがある。
それだけのこと。
でも。
昨日までとは違う。
昨日は。
偶然だった。
今日は。
自分から誘った。
そして。
明日も。
また会えるかもしれない。
そんなことを考えていた。
「月白」
「うん?」
「明日も暇?」
月白は。
思わず林夏を見る。
「……暇」
「じゃあ」
林夏は少し考えて。
「店、手伝って」
「……」
「なんでそんな顔する?」
「ううん」
月白は笑った。
「いいよ」
「助かる」
「でも」
「うん?」
「仕事が終わったら」
月白は。
少しだけ間を置いた。
「また二人で出かけたい」
林夏は。
すぐに答えた。
「いいよ」
月白は笑った。
「約束ね」
「約束」
⸻
万事修理店。
二人が戻ると。
紅葉がいた。
カウンターに座り。
本を読んでいる。
「遅かったね」
「ちょっと歩いてた」
林夏が答える。
紅葉は。
月白の鞄を見る。
猫のキーホルダー。
そして。
林夏の鞄を見る。
同じもの。
「……」
紅葉は。
何も言わなかった。
月白が気づく。
「これ?」
「別に」
紅葉は本に目を戻した。
「おそろい」
林夏が言う。
「言わなくていい」
「なんで?」
「うるさい」
「はいはい」
林夏は笑った。
月白も。
小さく笑った。
紅葉は。
本の同じページを。
しばらく見ていた。
読んでいるようには見えなかった。
やがて。
ぽつりと言う。
「……楽しそうでよかったね」
林夏が振り返る。
「うん」
月白も。
「うん」
紅葉は。
それ以上何も言わなかった。
⸻
夜。
林夏が店を閉める。
月白は。
今日買った本を鞄から出した。
表紙を撫でる。
林夏が言う。
「それ、明日読めば?」
「うん」
「読み終わったら貸して」
「忘れないよ」
月白は。
少し笑った。
「また会う理由になるんでしょう?」
林夏は。
一瞬だけ黙って。
「……そうだった」
二人は笑った。
その少し離れたところで。
紅葉は窓の外を見ていた。
二人の声が。
静かな店内に残っている。
紅葉は。
鞄についた猫のキーホルダーを見た。
そして。
小さく息を吐く。
「……本当に、くだらない」
誰に言ったのか。
自分でも分からなかった。
店の奥では。
澪の端末が一度だけ光った。
【関係:未確定】
数秒後。
表示が消える。
【予測:不要】
誰も。
その画面を見なかった。




