第70章 二人だけの休日
その日は。
珍しく仕事がなかった。
万事修理店には。
修理品が一つもない。
林夏は店の中を見回した。
「暇だ」
紅葉が本を読んでいる。
「いいことじゃない」
「暇すぎる」
澪は端末を操作している。
「今日は雨も降らない」
「それはいいことだな」
月白が窓の外を見る。
「天気、いいね」
「うん」
林夏は少し考えた。
「どこか行く?」
紅葉が顔を上げた。
「どこへ?」
「知らない」
「目的は?」
「ない」
澪が言った。
「目的のない外出?」
「そう」
紅葉は本を閉じた。
「私は行かない」
「なんで?」
「目的がないから」
「じゃあ、俺と逆だな」
「どういう意味?」
「俺は目的がないから行きたい」
紅葉は少し呆れた。
「勝手にして」
林夏は月白を見る。
「行く?」
月白は。
少しだけ笑った。
「行く」
「決まり」
⸻
二人で店を出る。
特に行き先は決めていない。
大通りを歩く。
小さな店を見つける。
パン屋。
古本屋。
雑貨店。
林夏はそのたびに立ち止まる。
「これ、面白い」
「何?」
「猫の形の時計」
「買うの?」
「いらない」
「じゃあ、なんで見るの?」
「面白いから」
月白は笑った。
「本当に子供みたい」
「よく言われる」
「褒めてないよ」
「知ってる」
二人はまた歩く。
しばらくして。
月白が聞いた。
「疲れない?」
「全然」
「私は少し疲れた」
「じゃあ、休もう」
近くの公園に入る。
ベンチに座る。
林夏は自動販売機で飲み物を二本買った。
一本を月白に渡す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
月白が缶を開ける。
「こういうの」
「ん?」
「悪くないね」
「何が?」
「何も決めずに歩くの」
林夏は頷いた。
「うん」
「いつもなら、何か目的があるでしょう?」
「そうだな」
「今日はない」
「ないな」
「それなのに」
月白は周囲を見る。
「楽しい」
林夏は笑った。
「じゃあ成功だな」
「何の?」
「今日という日」
月白は少し笑った。
⸻
昼過ぎ。
林夏が突然立ち上がる。
「腹減った」
「やっぱり」
「何?」
「結局そこ」
「大事だから」
二人は商店街へ向かった。
小さな食堂を見つける。
入口に。
【本日のおすすめ】
と書いてある。
林夏は迷わず入った。
「二人です」
店主が二人を見る。
「はい、どうぞ」
席に案内される。
月白がメニューを見る。
「何にする?」
「ラーメン」
「ここ、定食屋だよ」
「……」
林夏はメニューを見直す。
「じゃあ、焼き魚定食」
月白が笑う。
「珍しい」
「たまには」
注文する。
しばらくして。
料理が運ばれてくる。
二人で食べる。
特別な会話はない。
今日見た店の話。
パンの話。
猫の時計の話。
紅葉の機嫌の話。
澪が店に残った理由。
ユウが学校で何をしているか。
そんな話だけ。
食事が終わる。
店を出る。
月白が言った。
「今日は楽しかった」
「俺も」
「また来たい?」
「うん」
「今度はみんなで?」
林夏は少し考えた。
「二人でもいいんじゃない?」
月白が。
一瞬だけ林夏を見る。
「……うん」
⸻
夕方。
二人は店へ戻る。
紅葉が窓際に座っていた。
「おかえり」
「ただいま」
紅葉は二人を見る。
「今日はどこに行ってたの?」
「いろいろ」
「それだけ?」
「それだけ」
紅葉は少し黙った。
「楽しかった?」
月白が答える。
「うん」
「そう」
紅葉は本を開いた。
ページをめくる。
今度は。
ちゃんと次のページだった。
林夏が言う。
「紅葉」
「何?」
「今度、一緒に行く?」
紅葉の手が止まった。
「……別に」
「そう?」
「行きたいなら行けばいい」
「三人でもいいだろ」
「私は」
紅葉は少し考えた。
「私は私で行きたいところがある」
林夏は頷いた。
「そっか」
「うん」
月白が紅葉を見る。
何も言わない。
紅葉も。
何も言わない。
ただ。
少しだけ。
空気が静かになった。
⸻
夜。
店が閉まる。
林夏は今日買った小さな紙袋を持っていた。
「何それ?」
月白が聞く。
「これ?」
中から。
猫の形をした小さなキーホルダーを出す。
月白が笑う。
「買ったんだ」
「うん」
「いらないって言ってたのに」
「見てたら欲しくなった」
「どこにつけるの?」
「鍵」
林夏は店の鍵につけた。
猫が小さく揺れる。
月白は笑った。
「似合ってる」
「だろ?」
「うん」
少しして。
月白が言った。
「私にも」
「ん?」
「何でもない」
「また?」
「うん」
林夏は笑った。
「じゃあ、また今度聞く」
「聞かないの?」
「聞いてほしい?」
月白は。
少し考えた。
「……今はいい」
「分かった」
林夏はそれ以上聞かなかった。
二人で歩く。
店から少し離れたところで。
月白が立ち止まる。
「林夏」
「ん?」
「今日は」
「うん」
「ありがとう」
「何が?」
「一緒にいてくれて」
林夏は笑った。
「こちらこそ」
「……」
「楽しかったから」
月白は小さく頷いた。
そして。
歩き出す。
今度は。
昨日より少し近い距離で。
⸻
その夜。
白澤は一人で街を歩いていた。
端末には。
何も表示されていない。
月白との接触予測も。
再接触の候補も。
すべて閉じている。
彼は。
自分から端末を開かなかった。
ただ。
ポケットの中に入れたまま。
歩いていた。
ふと。
ショーウィンドウに映った自分を見る。
白澤は足を止める。
そして。
小さく笑った。
「……僕は」
誰に言うでもなく。
呟く。
「何をしているんだろうな」
答えはない。
白澤はまた歩き出した。
⸻
万事修理店。
月白はベッドに入る前に。
今日のことを思い出していた。
特別なことは。
何もなかった。
手を繋いだわけでもない。
告白したわけでもない。
約束をしたわけでもない。
ただ。
一緒に歩いた。
一緒に食べた。
一緒に帰った。
それだけ。
月白は。
枕元の端末を見る。
画面には。
【今日の選択】
【林夏と同行】
【理由:本人選択】
それだけだった。
月白は。
しばらく画面を見ていた。
そして。
電源を切る。
「……明日も」
小さく呟く。
「一緒にいられたらいいな」
誰にも聞こえない声だった。
けれど。
その言葉を言ったことだけは。
自分自身が知っていた。




