第69章 少しだけ気になること
翌朝。
林夏が店を開けると。
月白がすでに来ていた。
「おはよう」
「おはよう」
「早いな」
「昨日、早く寝たから」
「偉い」
月白は少し笑った。
「昨日のこと、覚えてる?」
「昨日?」
「……何でもない」
「またそれ?」
「うん」
林夏は笑った。
「じゃあ、何でもないんだな」
「そういうところ」
「何?」
「何でもない」
月白は店の奥へ行った。
林夏は。
その背中を見ながら。
少しだけ首を傾げた。
⸻
昼前。
紅葉が入ってきた。
「おはよう」
「おはよう」
紅葉は二人を見る。
「……何かあった?」
「何もない」
林夏が答える。
月白も。
「何もないよ」
紅葉は二人を交互に見た。
「そう」
それ以上は聞かなかった。
しかし。
椅子に座ってから。
本を開いたまま。
ページをめくらない。
澪が気づいた。
「紅葉」
「何?」
「同じページを三分見てる」
「……」
紅葉はページをめくった。
「読んでるだけ」
「そう」
澪はそれ以上言わなかった。
⸻
午後。
林夏は修理品を届けるために外へ出ることになった。
「月白、一緒に行く?」
「うん」
紅葉が顔を上げる。
「私も行く」
林夏が見る。
「三人で?」
「嫌?」
「別に」
月白は笑った。
「じゃあ三人で行こう」
紅葉は立ち上がった。
澪は店に残る。
「気をつけて」
「何に?」
「特に意味はない」
林夏は笑った。
「分かった」
三人で歩く。
しばらくして。
紅葉が言った。
「昨日」
「ん?」
「ラーメン屋」
林夏の足が止まりかける。
「……何?」
「恋人に間違われたんだって?」
月白が少し驚く。
「どうして知ってるの?」
「店に帰ってきた時の顔」
「どんな顔?」
「少し変だった」
林夏が笑う。
「紅葉、よく見てるな」
「見てない」
「見てたじゃん」
「見てない」
月白が笑った。
「見てたと思う」
「月白まで……」
紅葉は少し黙った。
「それで?」
「何が?」
「否定したの?」
林夏は答えなかった。
月白も。
何も言わない。
紅葉は二人を見る。
「……そう」
それだけ言って。
先に歩いた。
林夏が追いつく。
「何?」
「何が?」
「機嫌悪くない?」
「悪くない」
「本当に?」
「本当」
「じゃあ、いいか」
林夏は歩き続けた。
紅葉は。
小さく息を吐いた。
⸻
修理品を届ける。
帰り道。
三人で小さな公園の前を通った。
そこに。
子供たちがいた。
一人の女の子が。
二人を指差した。
「ねえ」
母親に聞く。
「あの人たち、恋人?」
母親が慌てて言う。
「見知らぬ人にそんなこと聞かないの」
「でも」
「ほら、行くよ」
親子が去っていく。
林夏は。
何となく月白を見る。
月白も。
林夏を見る。
紅葉は。
少し離れたところに立っていた。
「まただな」
林夏が言う。
月白が笑う。
「最近、多いね」
「何が?」
「そういうこと」
「まあ」
林夏は頭を掻いた。
「俺たち、そんなに似てるのかな」
「顔?」
「雰囲気?」
「分からない」
月白は少し考える。
「でも」
「うん?」
「一緒にいる時間は長いよね」
「確かに」
「だからかな」
林夏は頷いた。
「たぶん」
紅葉が後ろから言った。
「……仲良しだからじゃない?」
林夏が振り返る。
「お」
「何?」
「素直じゃん」
「何が?」
「俺たちが仲良いって認めた」
「別に」
紅葉は顔を背けた。
「そういう意味じゃない」
月白が笑う。
「でも、仲良いよね」
「……」
紅葉は何も言わなかった。
⸻
夕方。
店に戻る。
林夏が水を飲んでいる。
月白が隣に座る。
紅葉は少し離れた場所。
澪が端末を見ていた。
「また出た」
林夏が聞く。
「何が?」
【他者認識】
【林夏――月白】
【恋人:72%】
林夏が吹き出した。
「上がった」
月白も画面を見る。
「昨日より?」
「昨日はもっと低かった」
紅葉が言う。
「くだらない」
澪は続ける。
「ただし」
画面が変わる。
【本人認識】
【林夏:未確認】
【月白:未確認】
【紅葉:未確認】
【関係:未確定】
林夏が言う。
「じゃあ、それでいい」
月白も頷く。
「うん」
紅葉は。
何も言わない。
しかし。
しばらくして。
「澪」
「何?」
「その数字」
「うん」
「消せないの?」
「できると思う」
「消して」
「理由は?」
「邪魔だから」
澪は紅葉を見る。
そして。
端末を操作する。
【他者認識:非表示】
画面から。
数字が消えた。
紅葉は満足そうに頷いた。
「これでいい」
林夏が笑う。
「そんなに気になる?」
「気にならない」
「じゃあ、なんで消したの?」
「邪魔だから」
「なるほど」
月白は。
何も言わず笑っていた。
⸻
夜。
林夏は一人で店の外に出た。
月白も後から出てくる。
「まだ寝ないの?」
「もう少しだけ」
二人で店の前に座る。
夜風が少し冷たい。
月白が言った。
「ねえ」
「ん?」
「昨日」
「うん」
「恋人に見られて」
「うん」
「嫌じゃなかったって言ったよね」
「言った」
「どうして?」
林夏は空を見上げる。
「分からない」
「分からない?」
「うん」
少し考える。
「でも」
「うん」
「月白と一緒にいるのは、嫌じゃないから」
月白は黙った。
「それだけ?」
「今は」
林夏は笑う。
「それだけ」
月白は。
少しだけ笑った。
「そっか」
二人は。
しばらく黙っていた。
やがて。
月白が。
林夏の肩に。
ほんの少しだけ寄りかかった。
林夏は動かなかった。
避けもしない。
何も言わない。
ただ。
そのままでいた。
店の中では。
端末が一度だけ光った。
【接触】
【発生】
【意味:判定不能】
そして。
すぐに消えた。
誰も。
その記録を見なかった。
その夜。
紅葉は一人で部屋にいた。
本を開いている。
けれど。
また。
同じページだった。
紅葉は本を閉じた。
「……くだらない」
小さく呟く。
何がくだらないのか。
自分でも分からなかった。
ただ。
少しだけ。
気になっていた。




