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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第64章 起こらなかったこと

翌朝。


万事修理店の時計が。


七時を指したところで止まった。


林夏は。


その時計を見上げた。


「……またか」


月白が振り返る。


「壊れた?」


「うん」


「昨日、直したばかりなのに」


「古いからな」


林夏は椅子を持ってきて。


時計を外した。


裏蓋を開ける。


すると。


中から小さな紙が落ちた。


「何これ?」


月白が拾う。


紙には。


一行だけ書かれていた。


【起こらなかったことを記録する】


林夏は眉をひそめた。


「誰が書いたんだ?」


澪が端末を確認する。


「今、表示された」


「紙じゃなくて?」


「違う」


端末には。


新しい記録が出ていた。


【未発生事象】


【観測開始】


紅葉が言う。


「未発生?」


「起こらなかったこと」


澪が答える。


「例えば?」


澪は画面を操作した。


【本日、林夏は午前七時に店を開ける予定だった】


【結果:予定通り】


【未発生事象】


【寝坊】


林夏が顔をしかめる。


「それを記録する意味ある?」


【林夏が寝坊しなかった未来】


【発生せず】


林夏はしばらく画面を見た。


「……つまり」


「うん」


「俺が寝坊しなかったことじゃなくて」


澪が頷く。


「寝坊する可能性があったことを記録している」


紅葉が言った。


「それなら無限に増えるんじゃない?」


澪は答えなかった。


端末には。


すでに大量の項目が並び始めている。


【月白:昨日、白澤へ連絡しなかった】


【白澤:昨日、月白に会いに行かなかった】


【紅葉:昨日、旧施設へ戻らなかった】


【ユウ:昨日、学校を休まなかった】


【澪:昨日、謎の建物に入らなかった】


そして。


【林夏:昨日、ラーメンを二杯食べなかった】


「待て」


林夏が画面を見る。


「最後の必要か?」


「必要かもしれない」


澪が真顔で答える。


「何でだよ」


ユウが笑う。


「二杯食べた可能性があったんだ」


「俺を何だと思ってるんだ」


紅葉が言った。


「実際、二杯食べようとしてたでしょ」


「……」


林夏は黙った。


月白が笑う。


「当たってる」


「昨日は一杯で我慢したんだよ」


「偉い」


「もっと褒めて」


「子供?」


そんなやり取りの中。


端末の表示が変わった。


【未発生事象】


【蓄積開始】


【選択されなかった可能性】


【増加】


澪の表情が変わる。


「これは……」


紅葉が聞く。


「何?」


「今までのシステムは、起きたことを中心に記録していた」


「今度は?」


「起きなかったことを記録している」


月白が言った。


「それって」


少し考える。


「私たちが選ばなかった道も、全部残るってこと?」


「たぶん」


林夏は時計を直しながら言った。


「でも」


全員が見る。


「選ばなかった道まで記録されても」


「……」


「そこに戻らなきゃいけないわけじゃないだろ」


澪が頷く。


「その通り」


しかし。


その瞬間。


端末に。


新しい文字が出た。


【未発生事象】


【再現可能性:算出】


紅葉が立ち上がった。


「再現?」


画面には。


一つの記録。


【月白――白澤】


【昨日、接触しなかった】


【未発生事象:接触】


【再現可能性:高】


月白の顔が少し固くなる。


林夏は。


何も言わなかった。


澪が画面を見る。


「システムが、起こらなかった出来事を再び起こそうとしている」


紅葉が言った。


「つまり」


「うん」


「『起きなかった』を、『起きる可能性がある』に戻そうとしている?」


「そうかもしれない」


月白は。


しばらく黙っていた。


そして。


端末を見る。


【接触可能性】


【高】


【推奨:再接触】


月白は。


画面を閉じた。


「会わない」


澪が見る。


「今は?」


「今は」


月白は頷いた。


「会わない」


林夏は何も言わない。


紅葉も。


何も言わない。


しばらくして。


画面に変化が起きた。


【再現失敗】


【理由:本人選択】


そして。


新しい表示。


【未発生事象:維持】


月白は。


小さく息を吐いた。


「……これでいい」


その頃。


別の場所。


白澤の端末にも。


同じ表示が出ていた。


【月白との接触】


【未発生】


【再現可能性:高】


白澤は画面を見る。


そして。


電源を切った。


「今日は」


静かに言う。


「会わない」


それだけだった。


その日の夕方。


ユウが学校から帰ってきた。


「ただいま」


「おかえり」


林夏が答える。


「今日、先生に進路のこと聞かれた」


紅葉が笑う。


「何て答えたの?」


「まだ決めてません」


「いつも通りね」


「うん」


ユウは靴を脱ぐ。


そして。


少し考える。


「でも」


「何?」


「昨日よりは、考えてみようと思った」


林夏は笑った。


「それも選択だな」


ユウは頷く。


その瞬間。


端末が光る。


【昨日、ユウが進路について考えなかった未来】


【未発生】


【本日、考え始めた】


【発生】


【因果:変化】


ユウは画面を見る。


「……俺が昨日考えなかったことまで記録されるの?」


澪は答えた。


「そうみたい」


「じゃあ」


ユウは少し困った顔をする。


「考えなかったことも、全部俺の未来になるの?」


林夏が笑った。


「ならない」


「どうして?」


「考えなかったことは」


林夏は靴を片付けながら言った。


「ただ、考えなかっただけだ」


ユウは。


少し考えて。


笑った。


「そっか」


夜。


システムの深部。


大量の記録が並んでいる。


【発生】


【未発生】


【選択】


【未選択】


【再現可能】


【再現不能】


記録は増え続ける。


しかし。


その中に。


一つだけ。


処理できない項目があった。


【未発生事象を、発生させる権利】


【判定不能】


しばらくして。


新しい記録が追加される。


【起こらなかったことは】


【起こらなかったという事実だけを持つ】


そして。


最後に。


【未来は、過去に起こらなかったことを理由に、起こる義務を持たない】


画面が消える。


万事修理店。


林夏は。


止まっていた時計を壁に戻した。


今度は。


正確に動いている。


月白が時計を見る。


「直った?」


「たぶん」


「また?」


「明日のことは分からないからな」


月白は笑った。


時計の針が。


一秒。


また一秒。


静かに進んでいく。


起こらなかった時間を追いかけることなく。


ただ。


今の時間だけを。


進んでいた。

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