第63章 沈黙を拒絶にしない
午後三時。
万事修理店の前で。
林夏は壊れた自転車を眺めていた。
「これ、直せる?」
店の前に立っている少年が聞く。
「直せる」
「本当?」
「たぶん」
「たぶんって何?」
「壊れ方を見ないと分からないから」
林夏は自転車を店の中へ入れた。
少年は後ろからついてくる。
「今日中にできる?」
「急ぎ?」
「明日、使う」
「じゃあ頑張る」
そのとき。
通りの向こうから。
女の人が一人歩いてきた。
彼女は店の前で立ち止まる。
しかし。
入ってこない。
昨日の男とは違う。
ただ。
誰かを待っているようだった。
月白が窓から見る。
「また誰か立ってる」
紅葉も振り返った。
「最近多くない?」
澪が端末を見る。
【認識対象:女性】
【行動:待機】
【発言:なし】
そして。
数秒後。
新しい表示。
【沈黙:拒絶可能性 78%】
澪の表情が変わった。
「……始まった」
「何が?」
林夏が聞く。
「システムが、沈黙の意味を決めようとしている」
女性は。
通りの向こうを見ている。
そこには。
若い男性が歩いてくる。
女性はその男性を見る。
男性も。
女性を見る。
しかし。
どちらも動かない。
数秒。
男性は。
そのまま通り過ぎようとした。
女性の表情が少し変わる。
その瞬間。
男性の端末が鳴った。
【対象:女性】
【沈黙:拒絶】
【推奨行動:接触回避】
男性は。
女性から視線を逸らした。
そのまま。
歩いていく。
女性は。
その背中を見送った。
そして。
一人で歩き出した。
林夏が店を出る。
「ちょっと待って」
男性が振り返る。
「何ですか?」
林夏は聞いた。
「さっきの人」
「……」
「知り合い?」
男性は少し迷った。
「昔の友人です」
「そう」
「でも」
男性は言った。
「もう会いたくないんだと思います」
「なんで?」
「何も言わなかったから」
林夏は黙った。
「だから」
男性は苦笑する。
「拒絶されたんだと思います」
林夏は。
通りの向こうを見る。
女性の姿は。
もう見えない。
「本人に聞いた?」
「……聞いてません」
「じゃあ」
林夏は言った。
「まだ分からないだろ」
男性は困った顔をした。
「でも、何も言わなかった」
「そうだな」
「だから」
「それだけじゃない」
男性が林夏を見る。
「沈黙って」
林夏は少し考えた。
「話せないのかもしれないし」
「……」
「何を言えばいいか分からないのかもしれない」
「……」
「言いたくないのかもしれない」
「はい」
「それから」
林夏は笑った。
「ただ待ってるだけかもしれない」
男性は黙った。
そのとき。
澪の端末が震えた。
【沈黙解釈】
【拒絶:78%】
【待機:12%】
【迷い:7%】
【その他:3%】
紅葉が画面を見る。
「勝手に数字をつけてる」
「うん」
「じゃあ」
紅葉は言った。
「78%なら、拒絶なの?」
澪は首を振った。
「違う」
「何が違う?」
「これは事実じゃない」
澪は画面を指差した。
「ただの推定」
男性は。
端末の画面を見た。
「……じゃあ」
「はい」
「俺は、何を信じればいいんですか?」
誰も。
すぐには答えなかった。
林夏が言う。
「本人に聞けばいい」
「でも……」
「聞けない?」
男性は頷いた。
林夏は少し考えた。
「じゃあ」
店の奥から。
紙とペンを持ってくる。
「書けば?」
「何を?」
「『話したいなら、ここにいる』とか」
男性は紙を見る。
「それだけ?」
「それだけ」
「返事がなかったら?」
「そのとき考えればいい」
男性は。
紙を受け取った。
しばらく考え。
短い文章を書いた。
【話したいことがあるなら、聞く】
それだけ。
名前もない。
理由もない。
男性は。
女性が立っていた場所へ向かった。
林夏たちは。
追いかけなかった。
少し離れたところから。
見ているだけだった。
しばらくして。
男性が戻ってきた。
「どうだった?」
月白が聞く。
「いませんでした」
「そう」
「でも」
男性は紙を見せた。
「ここに置いてきました」
澪が端末を見る。
表示が変わっていた。
【沈黙:解釈不能】
【拒絶:未確定】
【待機:未確定】
【次回行動:本人選択】
林夏が笑った。
「やっと普通になったな」
紅葉が言う。
「普通なの?」
「分からないものを、分からないままにした」
「それが普通なら」
紅葉は肩をすくめる。
「この世界、最初から普通じゃなかったのね」
その夜。
女性は一人で歩いていた。
昼間。
自分が立っていた場所を見る。
そこに。
一枚の紙が置いてある。
女性は。
しばらく立ち止まった。
紙を拾う。
読む。
【話したいことがあるなら、聞く】
女性は。
紙を折った。
そして。
ポケットに入れた。
返事はしなかった。
そのまま歩き出す。
しかし。
少しだけ。
歩く速度が遅くなった。
その夜。
システムに記録が残る。
【沈黙:情報】
【意味:未確定】
【解釈:本人選択】
【誘導:停止】
しばらくして。
さらに一行。
【他者の沈黙を、他者の意思として確定してはならない】
万事修理店。
林夏はシャッターを閉める。
月白が言う。
「今日の人」
「うん」
「また会うかな」
林夏は空を見た。
「分からない」
「そうだね」
「でも」
林夏は鍵をかける。
「会いたければ、また会うだろ」
月白は。
少し笑った。
「うん」
二人は歩き始めた。
後ろで。
店の灯りが消える。
その暗い店内で。
澪の端末だけが。
一度だけ光った。
【沈黙:予測対象から除外】
そして。
画面が消えた。




