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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第60章 足りないものを埋めない

午後。


雨が降り始めた。


万事修理店の前を。


傘を差した人々が通り過ぎていく。


林夏は店の中で。


古いラジオを分解していた。


「このラジオ、何年前の?」


月白が聞く。


「たぶん三十年くらい」


「まだ使える?」


「直せば」


「じゃあ、直す?」


「もちろん」


「好きだね」


「古いもの」


林夏は笑った。


「壊れてるなら、直したくなる」


そのとき。


扉が開いた。


一人の女性が入ってきた。


五十代くらい。


胸元に小さな封筒を抱えている。


「すみません」


「いらっしゃい」


女性はカウンターに封筒を置いた。


中から出てきたのは。


古い写真だった。


しかし。


写真の右側が。


きれいに切り取られている。


林夏は写真を持ち上げた。


「写真ですか?」


「はい」


「破れた?」


「違います」


女性は少し迷ってから言った。


「自分で切りました」


林夏は何も言わなかった。


写真には。


若い女性が一人。


その隣に。


誰かがいたはずの空白がある。


「この部分を」


女性は空白を指差した。


「元に戻したいんです」


「切った部分は残っていますか?」


「ありません」


「ネガは?」


「ありません」


林夏は写真を光にかざす。


「じゃあ、完全に元通りにはできません」


女性は頷いた。


「分かっています」


「それでもいいなら」


林夏は写真を机に置いた。


「似た感じに補正することはできます」


女性は少し安心したように息を吐いた。


「お願いします」


林夏は作業を始めた。


写真をスキャンする。


欠けた部分の周囲を確認する。


服の柄。


背景。


光の方向。


影。


「ここまでは分かる」


林夏は言った。


「でも、この人の顔は分からない」


女性は黙っていた。


「顔だけじゃない」


林夏は続ける。


「手の位置も、表情も、何を着ていたかも、写真だけじゃ確定できない」


「……はい」


澪が画面を見る。


すると。


端末が反応した。


【欠損情報】


【復元可能性:高】


【候補生成:開始】


画面に。


いくつかの画像が表示された。


切り取られた部分を。


周囲の情報から推測して復元したものだった。


女性が驚く。


「すごい……」


確かに。


自然に見える。


そこに。


本当に誰かが立っていたように見える。


林夏も画面を見る。


「よくできてるな」


澪は首を振った。


「でも」


「うん」


「これは事実じゃない」


女性が黙った。


林夏は画像を見る。


「そうだな」


画面には。


【復元候補A】


【一致可能性:82%】


【復元候補B】


【一致可能性:76%】


【復元候補C】


【一致可能性:69%】


数字が並んでいる。


女性はしばらく画面を見ていた。


「一番高いものを使えば」


「それが本物だとは限りません」


澪が答えた。


「でも、一番可能性が高いんですよね?」


「はい」


「じゃあ……」


女性は言葉を止めた。


林夏は写真を机に置いた。


「本物にしたいんですか?」


女性は答えなかった。


しばらくして。


「この写真」


彼女は写真を指で撫でた。


「昔、母が持っていたものなんです」


月白が静かに聞く。


「お母さんの写真?」


「はい」


女性は頷いた。


「母が亡くなったあと、家から見つかりました」


「隣にいた人は?」


女性は少し黙った。


「……父です」


林夏は何も言わない。


「でも」


女性は写真を見る。


「私は父のことを、あまり好きではありませんでした」


「そうですか」


「だから、昔この写真を見つけたとき」


彼女は苦笑した。


「父が写っている部分だけ切りました」


店の中が静かになった。


「今になって」


女性は言った。


「母が、どんな顔で父の隣に立っていたのか知りたくなったんです」


林夏は写真を見る。


「だから、戻したい?」


「……はい」


澪の端末に。


新しい表示が出た。


【欠損情報】


【推定復元:可能】


【過去情報:不完全】


【本人の記憶:不完全】


【復元結果:未確定】


女性は。


しばらく画面を見ていた。


そして。


「一番可能性が高いものを」


言いかけた。


しかし。


途中で止まった。


「……やっぱり」


林夏を見る。


「やめます」


「いいんですか?」


「はい」


女性は写真を受け取った。


「たぶん」


少し笑う。


「私は写真を直したいんじゃなくて」


「うん」


「自分が知らないものを、知りたかっただけなんだと思います」


林夏は頷いた。


「それなら」


写真を封筒に戻す。


「この写真は、このままでもいいんじゃないですか」


女性は少し考えた。


「……そうですね」


そして。


「ありがとうございました」


店を出ていった。


雨の中。


女性の姿が小さくなる。


澪は端末を見ていた。


【復元候補:存在】


【事実:不明】


【採用:なし】


【欠損:維持】


紅葉が言った。


「復元できるのに、しなかった」


「うん」


「珍しい」


澪は首を振った。


「復元できることと、復元していいことは違う」


月白が写真のあった机を見る。


「分からない部分を」


「うん」


「無理に埋めなくてもいいんだね」


林夏はラジオのネジを締めながら答えた。


「そうだな」


「修理屋なのに?」


「だからこそ」


林夏は笑った。


「壊れたものを直すのと、無かったものを作るのは違うから」


誰も何も言わなかった。


しばらくして。


ラジオから。


小さな音が流れ始めた。


古い音楽だった。


林夏が顔を上げる。


「お」


「直った?」


月白が聞く。


「たぶん」


「たぶん?」


「今、音が出たからな」


林夏は笑った。


「明日また壊れるかもしれない」


「それじゃ修理した意味がないじゃない」


「でも、今日は聴ける」


月白も笑った。


その夜。


システムの記録が更新された。


【欠損情報:復元可能】


【推定情報:生成可能】


【推定情報=事実:成立せず】


【欠損状態:維持可能】


そして。


その下に。


新しい一文が残った。


【分からない部分を、分かったことにしない】


さらに。


もう一行。


【空白には、空白である理由がある】


雨は。


夜になっても止まなかった。


万事修理店の窓から。


街の明かりが見える。


林夏はシャッターを下ろす。


月白が隣に立つ。


「今日は何も決まらなかったね」


「そうだな」


「でも」


月白は少し笑った。


「悪くない一日だった」


林夏も笑った。


「じゃあ、今日はそれでいい」


二人は。


雨の中を歩き始めた。


その背後で。


店の中の古いラジオだけが。


誰も聞いていない音楽を。


静かに流していた。

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