第59章 知りたいことを選ぶ
翌日の午後。
万事修理店は珍しく静かだった。
林夏はカウンターに頬杖をついている。
月白は窓際で本を読んでいる。
紅葉は昨日の資料を整理していた。
澪は端末を見ている。
ユウは宿題をしていた。
「暇だな」
林夏が言った。
「昨日まで忙しかったでしょ」
月白が本から目を上げる。
「だから今日は暇なんだよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
そのとき。
扉が開いた。
入ってきたのは。
二十代くらいの女性だった。
手には小さな紙袋を持っている。
「すみません」
「いらっしゃい」
女性はカウンターに紙袋を置いた。
中から出てきたのは。
古い携帯電話だった。
「これ、直せますか?」
林夏が手に取る。
「たぶん」
「電源が入りません」
「少し見てみます」
林夏が裏蓋を外す。
しばらく調べる。
「バッテリーですね」
「交換できますか?」
「できます」
女性は安心したように息を吐いた。
「よかった」
林夏は作業を始める。
その間。
女性は店内を見回していた。
そして。
ふと。
澪の端末に目を止めた。
「……それ」
澪が顔を上げる。
「何ですか?」
「未来が分かるんですか?」
店の空気が少し変わった。
澪は答えなかった。
女性は苦笑する。
「変なことを言ってすみません」
「いや」
林夏が言った。
「まあ、ちょっと変な店なんで」
「そうですよね」
女性は笑った。
「でも……もし分かるなら」
そこで言葉が止まる。
「何を知りたいんですか?」
月白が聞いた。
女性は少し迷った。
「私が、今の仕事を辞めたほうがいいのか」
誰もすぐには答えなかった。
「辞めたいんですか?」
「分かりません」
「続けたい?」
「それも分かりません」
紅葉が資料から顔を上げる。
女性は続けた。
「だから、未来を見たいんです」
「未来を見て、辞めるか決める?」
「はい」
澪が端末を確認する。
すると。
画面に文字が浮かんだ。
【未来情報:取得可能】
【対象:仕事】
【選択肢】
【辞める】
【続ける】
女性は画面を見つめた。
「やっぱり……」
林夏が言った。
「二つしかないのか?」
澪は首を振る。
「表示されているだけ」
「じゃあ、他にもある?」
「分からない」
女性は少し困った顔をした。
「……だったら」
彼女は言った。
「私が選ぶ前に、どっちが幸せになるか教えてください」
林夏の手が止まった。
澪は端末を見る。
【幸福度予測】
【辞める:算出中】
【続ける:算出中】
数字が表示される。
【辞める:72】
【続ける:64】
女性の目が大きくなる。
「……辞めたほうがいいんですね」
林夏は画面を見た。
「待って」
女性が振り向く。
「何ですか?」
「その数字」
林夏は端末を指差した。
「誰が決めたんですか?」
澪が答える。
「システム」
「じゃあ」
林夏は女性を見る。
「あなたは、その数字を信じて辞めたい?」
女性は黙った。
「……分かりません」
「だったら」
林夏は工具を置いた。
「まだ決めなくていいんじゃない?」
女性は少し困った顔をした。
「でも、知りたいです」
「何を?」
「私がどうなるのか」
林夏は考える。
「それなら」
彼は画面を女性の前に向けた。
「『辞めた未来』じゃなくて」
「はい」
「何を知りたいのかを、自分で選んだほうがいい」
女性は画面を見る。
そこには。
新しい項目が増えていた。
【知りたい情報を選択してください】
【収入】
【生活時間】
【人間関係】
【健康】
【新しい仕事】
【家族】
【その他】
女性はしばらく見つめた。
「……全部知りたい」
紅葉が言った。
「欲張りね」
女性は苦笑した。
「そうですよね」
「別に悪いとは言ってない」
紅葉は視線を戻した。
「全部知りたいなら、全部知ればいい」
澪が言った。
「ただし」
「はい」
「情報が増えるほど、選択が簡単になるとは限りません」
女性は少し考えた。
そして。
「じゃあ」
一つだけ選んだ。
【新しい仕事】
画面が変わる。
【未来情報:取得】
【新しい仕事に就いた場合】
【最初の三か月:不安定】
【六か月後:安定傾向】
【ただし】
【現在より収入低下の可能性】
女性は画面を見ている。
「……なるほど」
今度は。
すぐに結論を出さなかった。
「じゃあ、今の仕事を辞めるべきなんですね」
林夏が首を振る。
「違うだろ」
「え?」
「今の情報で分かったのは」
林夏は指を折った。
「新しい仕事は最初、大変かもしれない」
「はい」
「半年後は安定する可能性がある」
「はい」
「でも、給料は下がるかもしれない」
「……はい」
「それだけ」
女性は黙った。
林夏は笑った。
「それで、辞めるかどうかはまだ決まってない」
女性は。
しばらく考えていた。
そして。
「じゃあ……もう一つだけ」
【生活時間】
情報が表示される。
【通勤時間:短縮】
【自由時間:増加】
女性の表情が少し変わった。
「……こっちのほうが」
「大事?」
月白が聞いた。
女性は頷いた。
「たぶん」
それから。
しばらく画面を見ていた。
やがて。
「今日は、決めません」
林夏が笑う。
「それでいいと思います」
女性は携帯電話を受け取った。
電源が入る。
画面には。
古い写真が一枚表示された。
女性はそれを見て。
少し笑った。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
扉が閉まる。
澪は端末を見つめていた。
【情報提示】
【本人選択:成立】
【選択結果:保留】
【幸福度予測:使用されず】
澪が言う。
「……一つ分かった」
紅葉が聞く。
「何?」
「情報を知ることと、結論を知ることは違う」
月白が頷いた。
「うん」
林夏は新しいバッテリーを片付けながら言った。
「そもそも」
全員が見る。
「幸せって数字にできるのか?」
澪は少し考えた。
「少なくとも、今のシステムでは完全にはできない」
「じゃあ」
林夏は笑った。
「それでいいじゃん」
夜。
システムには新しい記録が残った。
【幸福度予測:信頼性低下】
【情報提示:有効】
【結論提示:選択誘導の可能性あり】
【本人による情報選択:有効】
そして。
最後に。
新しい項目が追加された。
【知ることを選ぶ】
その下に。
さらに一行。
【知ったあと、決めないことも可能】
万事修理店では。
林夏がシャッターを下ろしていた。
月白が隣に立つ。
「今日も決めなかったね」
「何を?」
「いろいろ」
林夏は少し笑った。
「明日のことは、明日考えればいい」
月白も笑った。
「そうだったね」
二人は。
そのまま歩き出した。
その先に何があるのか。
まだ。
誰にも分からなかった。




