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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第六章 逃げた先で、まず飯を食う

雨は、まだ降っていた。


 第七街区では、雨が止むこと自体が珍しい。


 林夏は月白を連れて、古い商店街の奥へ進んでいた。


「もう少し」


「どこまで?」


「すぐそこ」


「さっきから三回くらい聞いた」


「じゃあ、四回目も同じ答え」


 月白は少しだけ眉を寄せた。


「あなた、道を分かってる?」


「分かってる」


「本当に?」


「たぶん」


「……」


「大丈夫。迷っても、いつか知ってる場所に出るから」


「それを迷子って言うのよ」


「そうとも言う」


 林夏は笑った。


 やがて、二人は小さな建物の前で立ち止まった。


 古い看板には、かすれた文字でこう書かれている。


 ――『夜灯食堂』


 林夏が扉を開けた。


「いらっしゃい……って、林夏?」


 店の奥から、中年の女性が顔を出した。


「こんな時間に何してるの?」


「ちょっと雨宿り」


「雨宿りに女の子まで連れてくる?」


「今日は特別サービス」


「あなた、また面倒事に巻き込まれたでしょう」


「なんで分かるの?」


「顔に書いてある」


 林夏は自分の顔を触った。


「そんなに?」


「ものすごく」


 女性は月白を見る。


「怪我してるじゃない」


「少しだけ」


 月白が答える。


「少しじゃないわよ。座って」


 彼女は奥から救急箱を持ってきた。


 月白は少し戸惑った。


「大丈夫です。自分で――」


「いいから」


 女性は有無を言わせなかった。


 林夏は隣の椅子に座った。


「ここ、俺が昔からよく来てる店」


「そう」


「飯がうまい」


「あなた、それしか言わないわね」


「重要だから」


 月白は小さく笑った。


 女性はその様子を見て、何も言わずに包帯を巻き直した。


「はい。これでいい」


「ありがとうございます」


「林夏」


「ん?」


「この子、何者?」


 林夏は少し考えた。


「客」


「客?」


「うん」


「怪我した?」


「うん」


「追われてる?」


「うん」


「命運修正機構に?」


「……うん」


 女性は深くため息をついた。


「それ、客じゃなくて事件よ」


「細かいことは気にしない」


「細かくない」


 林夏は笑った。


 しばらくして、料理が運ばれてきた。


 湯気の立つ粥。


 温かいスープ。


 それから、焼いた肉と野菜。


 月白は目の前の料理を見つめた。


「食べて」


 林夏が言った。


「でも……」


「怪我してるなら、なおさら」


「あなたは?」


「俺も食べる」


「逃げてる途中なのに?」


「だから食べる」


 林夏は箸を持った。


「逃げるのも体力がいるから」


 月白は少し迷った。


 そして、ゆっくり箸を取った。


 一口。


 温かい。


 味は濃くない。


 けれど、不思議なくらい安心した。


 月白はしばらく黙って食べていた。


「おいしい?」


 林夏が聞く。


「……うん」


「よかった」


「あなたは?」


「もちろんうまい」


「まだ食べてないでしょう」


「見ただけで分かる」


「そんなことある?」


「ある」


 林夏は真剣な顔をして答えた。


「俺、飯に関しては信用していい」


 月白はまた笑った。


 食事を続けながら、林夏が聞いた。


「月白」


「何?」


「君、本当に自分が死ぬって思ってる?」


 箸が止まった。


「……どうして?」


「さっきから、ずっとそんな顔してるから」


「どんな顔?」


「明日の予定がない人の顔」


 月白は少し考えた。


「私は、自分の命軌を知ってる」


「うん」


「そこには、私の死がある」


「いつ?」


「分からない」


「じゃあ、まだ死んでない」


「……」


「だったら、今日の飯は食べていいだろ」


 月白は顔を上げた。


 林夏は何でもないことのように、スープを飲んでいる。


「あなたって……」


「ん?」


「本当に変な人」


「今日で三回目」


「数えてるの?」


「もちろん」


 月白は少しだけ笑った。


 その笑顔は、今までより自然だった。


 しかし。


 食堂の外。


 雨の向こうに、一人の女が立っていた。


 黒いコート。


 濡れた髪。


 腰には一本の細い刃。


 彼女は食堂の看板を見上げた。


「……万事修理店の店主」


 その声は冷たかった。


「林夏」


 彼女の手には、一枚の命軌記録があった。


 そこには、二つの名前。


 月白。


 林夏。


 そして、その下に一つの指示が記されている。


 ――接触。


 ――監視。


 ――必要に応じて、排除。


 女は紙を折りたたんだ。


「命運修正機構も、ずいぶん面倒な仕事を押しつけてくれる」


 そして、食堂の扉へ向かって歩き始めた。


 店内では。


 林夏が月白に言っていた。


「食べ終わったら、少し休もう」


「でも、追手が……」


「来たら、そのとき考える」


「あなた、本当にそればかりね」


「便利だから」


 外で、鈴が鳴った。


 カラン。


 食堂の扉が開く。


 二人は同時に振り向いた。


 黒いコートの女が、店の中へ入ってきた。


 冷たい目が、まっすぐ月白を見る。


 そして。


 その視線が林夏へ移った。


「……あなたが、林夏?」


 林夏は箸を持ったまま答えた。


「そうだけど」


「そう」


 女は腰の刃に手を置いた。


「なら、話は早い」


 月白が立ち上がった。


「待って」


 女は月白を見た。


「あなたに用がある」


「私を殺すの?」


「必要なら」


 林夏は二人の間に視線を移した。


 そして、まだ半分残っている料理を見た。


「……なあ」


 女が眉をひそめる。


「何?」


「食べ終わってからじゃダメ?」


 食堂の空気が、一瞬で凍った。


 月白は目を閉じた。


「林夏……」


 女の額に、小さな青筋が浮かんだ。


「あなた……」


 彼女はゆっくり刃を抜いた。


「本当に、死にたいみたいね」


 林夏は箸を置いた。


「いや」


 少しだけ笑う。


「まだ飯が残ってるから、死ぬつもりはないよ」

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