第54章 分かっても、決めない
翌朝。
万事修理店の郵便受けに。
一通の封筒が入っていた。
差出人の名前はない。
林夏が拾い上げる。
「誰からだ?」
紅葉が横から見る。
「開けるのか?」
「俺宛てなら」
林夏は裏返す。
宛名もない。
「……誰宛てでもないな」
澪が近づいてきた。
「それなら、開けない方がいい」
「どうして?」
「自分宛てではない可能性があるから」
林夏は少し考えた。
「じゃあ、置いとく」
机の端に封筒を置く。
その日の昼。
月白が店に来た。
封筒を見る。
一瞬。
足を止めた。
林夏は何も言わない。
月白も何も言わない。
ただ。
視線だけが封筒に向いた。
紅葉が気づく。
「知ってるのか?」
月白は少し迷った。
「……たぶん」
澪が聞く。
「開けたい?」
月白は封筒を見る。
「分からない」
林夏が言った。
「じゃあ、今は開けなくていい」
月白は頷いた。
「うん」
その日の夕方。
封筒はまだ机の上にあった。
誰も触れていない。
夜。
月白が一人になったとき。
彼女は封筒を手に取った。
裏返す。
やはり。
名前はない。
ゆっくり開ける。
中には。
一枚の紙だけ。
【君がどうしたいのか、もう一度聞きたい】
月白は黙って読んだ。
差出人は書かれていない。
けれど。
誰の言葉なのかは分かった。
白澤。
月白は紙を折った。
以前なら。
すぐに答えを考えたかもしれない。
会うか。
会わないか。
許すか。
許さないか。
戻るか。
戻らないか。
けれど。
今は。
すぐに決めなかった。
紙を机の上に置く。
そのまま店の外へ出る。
林夏が店先にいた。
「どうした?」
「少し歩きたい」
「行ってらっしゃい」
「一緒に来る?」
林夏は少し驚いた。
「いいの?」
「うん」
二人は並んで歩いた。
しばらく。
何も話さなかった。
やがて。
月白が言った。
「手紙が来た」
林夏は前を見たまま。
「うん」
「白澤から」
「そっか」
「何も聞かないの?」
「聞いてほしいなら、話すだろ」
月白は少し笑った。
「そういうところ」
「何?」
「聞かないところ」
「聞いてほしい?」
月白は首を横に振った。
「今は、まだ」
「じゃあ、聞かない」
二人は歩き続ける。
やがて。
月白が言った。
「昔は、白澤に全部分かってほしいと思ってた」
「うん」
「私が怖いことも」
「うん」
「何を選べばいいのか分からないことも」
林夏は黙って聞いている。
「でも」
月白は立ち止まった。
「全部分かってもらうことが、幸せとは限らないんだね」
林夏も止まった。
「そうかもな」
「林夏は?」
「俺?」
「私のこと、分かる?」
林夏は少し考えた。
「分からない」
月白は笑った。
「即答だね」
「でも」
林夏は続ける。
「分からないから、聞くことはできる」
月白は彼を見る。
「それって」
「ん?」
「結構、大事なことかもしれない」
林夏は笑った。
「じゃあ、覚えとく」
その夜。
月白は店に戻った。
机の上の手紙をもう一度開く。
そして。
紙の裏に。
一行だけ書いた。
【今は、まだ答えを決めたくない】
封筒に戻す。
明日、返すかもしれない。
返さないかもしれない。
会うかもしれない。
会わないかもしれない。
それは。
まだ決めなかった。
翌朝。
澪の端末に表示が出た。
【予測対象:月白】
【次回行動:白澤との接触】
【推定:高】
澪は画面を見る。
そして。
すぐに眉をひそめた。
「……違う」
紅葉が聞く。
「何が?」
「システムが、また勘違いしている」
「どういう意味だ?」
澪は画面を見せた。
【過去関係:成立】
【現在関係:未定義】
【過去から推定される次回行動:接触】
月白が静かに言った。
「私が昔、白澤と会っていたから?」
「たぶん」
「じゃあ」
月白は端末を見た。
「今の私が何を選ぶかは、分からないんだね」
「そう」
林夏が横から言った。
「それなら、また外れそうだな」
その瞬間。
表示が変わった。
【予測:変更】
【対象:月白】
【行動:未確定】
澪は目を見開いた。
「変わった」
紅葉が言う。
「どうして?」
「分からない」
林夏が笑う。
「また分からないな」
月白は端末を見ていた。
そして。
少しだけ笑った。
「でも」
「ん?」
「今の私は、自分が何をするかを自分でも決めてないから」
林夏が頷く。
「じゃあ、予測できなくて当然だ」
月白は窓の外を見る。
朝の街。
人々が歩いている。
それぞれが。
自分の予定を持っている。
誰かと会う人。
誰にも会わない人。
戻る人。
離れる人。
まだ決めていない人。
月白は手紙をポケットに入れた。
「今日は、店にいる」
紅葉が聞く。
「白澤には会わないのか?」
「今日は」
月白は答えた。
「会わない」
「明日は?」
「分からない」
林夏が笑った。
「それでいい」
そのとき。
端末に新しい記録が残った。
【過去:参考】
【現在:本人選択】
【未来:本人にも未確定】
そして。
もう一行。
【理解したとしても、決めてはいけない】
誰が書いたのか。
今度は。
誰にも分からなかった。
けれど。
その記録を見た月白は。
消そうとはしなかった。
ただ。
自分のポケットに入れた手紙を。
もう一度、確かめるように握った。
まだ答えは出ていない。
だからこそ。
その答えは。
まだ彼女自身のものだった。




