第45章 未定義という名前
翌朝。
万事修理店の入口に。
また一枚の紙が貼られていた。
林夏はそれを見て。
昨日より少しだけ嫌な予感がした。
紙には。
【未定義】
とだけ書かれている。
その下には。
小さく。
【安定状態】
とあった。
「……」
林夏は紙を剥がした。
店の中へ入る。
月白が窓を開けていた。
「また?」
「また」
林夏は紙を机の上に置く。
月白が見る。
「未定義が安定状態になったんだ」
「そうらしい」
「それって、悪いこと?」
林夏は少し考える。
「分からない」
「珍しいね」
「何が?」
「すぐに『まあいいか』って言わなかった」
「俺だって考えることはある」
月白が笑った。
「たまにね」
「またそれか」
そのとき。
店の扉が開いた。
紅葉、澪、ユウが入ってくる。
澪は入るなり端末を確認した。
「全員、同じ表示?」
林夏が聞く。
「何?」
澪は画面を見せた。
【関係:未定義】
【状態:安定】
【変更必要性:なし】
紅葉が眉をひそめる。
「……変更必要性?」
「そう」
「つまり、システムが『未定義のままでいい』と判断した?」
澪は頷いた。
「たぶん」
林夏が言う。
「それなら問題ないだろ」
紅葉が振り返る。
「本当にそう思うか?」
「今度は何だ?」
「昨日まで、俺たちは『決められること』を嫌がっていた」
「うん」
「でも今度は、『決めないこと』そのものを固定されようとしている」
店内が静かになった。
ユウが言う。
「じゃあ……」
少し考えて。
「未定義でいることも、選ばされている?」
澪は答えなかった。
月白が言った。
「もしそうなら」
全員が彼女を見る。
「私は、それも嫌」
林夏が笑った。
「だよな」
月白も笑う。
「うん」
そのとき。
店の奥から音がした。
カチ。
古い時計だった。
針が止まっている。
林夏が近づく。
「また壊れたか」
時計を外す。
裏蓋を開ける。
中には。
小さな紙片が入っていた。
【関係は、名前を持つことで固定される】
その下に。
【名前を持たない関係は、変化できる】
林夏は紙を読んだ。
「……」
紅葉が聞く。
「何て書いてある?」
林夏が渡す。
紅葉も読む。
澪が横から覗く。
「これは、以前の記録と似ている」
「どこが?」
「『未定義』を自由として扱っている」
月白が言った。
「でも」
彼女は紙を見つめる。
「自由だから未定義なんじゃなくて」
一度言葉を止めた。
「まだ名前をつけていないだけかもしれない」
ユウが言った。
「それなら、いつか名前をつけるかもしれない」
「うん」
「つけないかもしれない」
「うん」
林夏が時計を閉じた。
「どっちでもいいんじゃない?」
紅葉が見る。
「またそれか」
「だって」
林夏は時計を元の場所に戻す。
「名前って、必要になったらつければいいだろ」
月白が少し笑った。
「そうだね」
そのとき。
街の鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
そして。
画面が一斉に光った。
【関係定義:開始】
紅葉が舌打ちする。
「やっぱり来たか」
五人の前に。
それぞれ違う文字が浮かぶ。
林夏。
【同行者】
月白。
【同行者】
紅葉。
【協力者】
澪。
【観測者】
ユウ。
【保護対象】
昨日と同じだった。
しかし。
その下に新しい項目がある。
【変更理由】
そして。
【過去記録】
と表示された。
澪が気づく。
「違う」
林夏が見る。
「何が?」
「昨日までは、関係を現在の行動から定義しようとしていた」
「今日は?」
「過去の記録を使って、関係を確定しようとしている」
月白が画面を見る。
そこには。
【林夏――月白】
【同行:複数回】
【共同行動:多数】
【関係推定:同行者】
月白は静かに言った。
「だから、私たちが同行者になる?」
「そう」
「でも」
月白は林夏を見る。
「一緒に歩いたからって、私が何者なのかは決まらない」
林夏が頷く。
「その通り」
紅葉の画面には。
【紅葉――林夏】
【協力:複数回】
【関係推定:協力者】
紅葉は鼻で笑った。
「勝手に分析するな」
澪には。
【澪――五名】
【観測:継続】
【関係推定:観測者】
澪はしばらく見ていた。
そして。
「私は観測することもある」
画面を閉じる。
「でも、それだけじゃない」
ユウには。
【ユウ――林夏】
【同行:継続】
【保護行動:複数】
【関係推定:保護対象】
ユウは画面を見つめる。
「……僕は、林夏さんに守られるだけじゃないです」
林夏が言う。
「知ってる」
「だったら」
ユウは端末を操作した。
【保護対象:拒否】
その瞬間。
画面に警告が出た。
【関係変更には、代替関係が必要です】
ユウが固まる。
「……」
紅葉が言った。
「来たな」
澪が頷く。
「つまり、拒否だけでは認めない」
林夏が聞く。
「代わりを決めろってこと?」
「そう」
ユウはしばらく考えた。
「じゃあ」
端末に触れる。
【代替関係:未定義】
画面が赤くなる。
【入力エラー】
ユウが困った顔をする。
「未定義は駄目みたいです」
林夏が笑った。
「だったら、もう一回」
「何を?」
「未定義って書け」
「でもエラーになります」
「なら、エラーのままでいい」
ユウは少し考え。
もう一度入力した。
【関係:未定義】
【代替関係:未定義】
【理由:本人が決めていない】
画面が点滅する。
【処理不能】
そして。
しばらくして。
【本人選択:確認】
と表示された。
ユウが目を見開く。
「通った」
澪が静かに言った。
「システムが、未定義を拒否できなくなった」
紅葉が笑う。
「また一つ増えたな」
月白が聞く。
「何が?」
「自分で決めないことを、自分で選ぶ方法」
林夏は笑った。
「それ、結構大事だな」
五人の端末が同時に光る。
【関係:未定義】
【状態:本人選択】
【変更:可能】
【固定:不可】
最後の一行だけ。
今までとは違っていた。
【関係は、現在の選択によってのみ変更される】
過去の記録ではない。
システムの推測でもない。
誰かの期待でもない。
今、その人が何を選ぶか。
それだけ。
月白は画面を見つめた。
そして。
小さく笑った。
「これなら」
林夏が聞く。
「何?」
「少し、好きかもしれない」
「何が?」
月白は端末を閉じる。
「未定義でいること」
林夏は笑った。
「じゃあ、しばらくそのままだな」
「うん」
五人は店を出た。
今日はどこへ行くのか。
誰と何をするのか。
まだ決まっていない。
それでも。
五人は歩き始めた。
その背後で。
古い時計の針が。
一つだけ進んだ。
カチ。
そして。
街の記録に新しい文字が残った。
【未定義】
【未完成ではない】
【保留でもない】
【現在選択】
その記録は。
誰にも書き換えられなかった。




