第44章 何もしないことまで決められない
翌朝。
万事修理店の前に、一枚の紙が貼られていた。
林夏がシャッターを開ける前に、それに気づいた。
紙には大きく。
【本日の推奨行動】
と書かれている。
その下には。
【何もしない】
とだけあった。
林夏はしばらく見つめた。
「……」
そして。
紙を剥がした。
店の中に入る。
月白がいた。
「何だったの?」
「これ」
林夏は紙を見せた。
月白は読んだ。
「何もしない?」
「うん」
「昨日の続きかな」
「たぶんな」
林夏は紙を机の上に置いた。
その瞬間。
端末が光った。
【本日の推奨行動:受諾】
林夏は画面を見る。
「なるほど」
月白が聞く。
「どうしたの?」
「何もしないことまで、勧めてくるらしい」
月白は少し笑った。
「それって、結局何もしないことを選ばされてる?」
「そうなるな」
しばらくして。
紅葉、澪、ユウが店に来た。
紅葉は入口の紙を見て。
「……またか」
澪が紙を確認する。
「昨日の記録を利用している」
ユウが言った。
「でも、何もしないなら問題ないんじゃないですか?」
澪は首を横に振った。
「違う」
「どうして?」
「昨日、私たちは自分で何もしないことを選んだ」
澪は紙を指差した。
「今日は、最初から『何もしない』という選択肢を置かれている」
紅葉が言った。
「つまり」
「選択した結果を、次の選択肢に変えている」
林夏が笑った。
「それ、結構ずるいな」
紅葉が頷く。
「そうだな」
ユウは紙を見つめる。
「じゃあ、今日はどうするんですか?」
林夏は考えた。
そして。
「仕事する」
全員が林夏を見る。
「仕事?」
「うん」
林夏は工具箱を開いた。
「店なんだから」
月白が笑った。
「昨日は何もしなかったのに」
「昨日は休み」
「今日は?」
「営業日」
紅葉が言う。
「それだけ?」
「それだけ」
林夏は椅子に座った。
「何もしないことを勧められたからって、わざわざ何かをする必要もない」
「でも今日は仕事をしたい」
「そういうこと」
端末が光った。
【推奨行動:拒否】
【現在行動:営業】
【理由:本人選択】
澪が画面を見る。
「推奨行動が成立しなかった」
紅葉が笑った。
「当然だな」
その日の午前。
店には一人の客が来た。
壊れたラジオを持っている。
「直せますか?」
林夏は受け取った。
「見てみます」
客は月白を見る。
「店員さん?」
月白が少し困った顔をする。
「……そういうわけでは」
林夏が言った。
「手伝ってくれてます」
客は笑った。
「じゃあ、二人でやってるんですね」
月白は何も言わなかった。
端末にも。
【関係:未定義】
とだけ表示されている。
林夏はラジオを分解する。
「これなら直せそう」
月白が覗き込む。
「壊れた理由は?」
「古くなっただけだと思う」
「直したらまた使える?」
「たぶん」
「たぶん?」
「絶対とは言えない」
月白が笑う。
「林夏らしいね」
その会話を。
紅葉とユウが少し離れた場所から見ていた。
ユウが小声で言う。
「二人、仲いいですね」
紅葉は答えない。
「紅葉さん?」
「……知らない」
「でも」
「知らないと言ってるだろ」
澪だけが端末を見ていた。
そこに。
新しい記録が出る。
【林夏――月白】
【関係:未定義】
【共同作業:発生】
【関係定義:不要】
澪が目を細めた。
「……」
紅葉が気づく。
「どうした?」
「システムが少し変わった」
「また?」
「うん」
澪は画面を見せる。
「以前は、共同作業から関係を推測しようとしていた」
「今は?」
「関係を定義しなくても、共同作業だけを記録している」
林夏が振り返る。
「それならいいじゃん」
「うん」
澪は頷いた。
「そのほうが自然」
昼になった。
ラジオは直った。
客は代金を払って帰っていく。
「ありがとう」
林夏は笑う。
「また壊れたら持ってきてください」
客が帰ったあと。
店内が静かになる。
ユウが言った。
「今日、普通ですね」
紅葉が答える。
「普通が一番いい」
林夏が昼飯を買いに行こうと立ち上がる。
「何食べる?」
月白が答える。
「私は何でもいいよ」
「それが一番困る」
「じゃあ、林夏が決めて」
「じゃあラーメン」
「うん」
紅葉が言った。
「またラーメンか」
「嫌なら別の店にすればいい」
「……別にいい」
ユウも笑う。
「僕もラーメンで」
澪も頷いた。
「私も」
五人で店を出る。
入口の紙は。
もうなくなっていた。
しかし。
少し離れた電柱に。
別の紙が貼られていた。
【あなたは、今日何をしないことにしましたか?】
林夏が立ち止まる。
「……」
月白が見る。
紅葉が言う。
「無視しろ」
「そうだな」
林夏はそのまま歩いた。
誰も紙を剥がさなかった。
誰も答えなかった。
ただ。
ラーメン屋へ向かった。
その途中。
ユウが突然言った。
「僕、今日は何もしないことを選ばなかったです」
林夏が振り返る。
「何?」
「朝、起きてから、自分で今日やることを決めました」
紅葉が聞く。
「何を?」
ユウは少し考えた。
「まだ決めてません」
紅葉が呆れた。
「それじゃ答えになってないだろ」
ユウは笑った。
「でも、それでいい気がします」
澪が言った。
「次の行動が未定でも、現在の選択は成立する」
ユウが頷く。
「そういうことです」
林夏が笑った。
「じゃあ、飯食ったあと考えよう」
月白も笑った。
「うん」
五人は歩く。
その背後で。
電柱の紙が風に揺れている。
しばらくして。
紙の文字が変わった。
【本日の選択】
【未定】
さらに。
【選択理由:本人】
そして最後に。
【未定であること:許可】
その表示を。
どこかで誰かが見ていた。
白澤だった。
彼は画面を見たまま。
しばらく動かなかった。
そして。
小さく笑った。
「……許可されるものじゃないだろ」
端末を閉じる。
自分が何をするか。
まだ決めていない。
それでいい。
少なくとも。
今は。
そう思った。
その日の記録は。
珍しく短かった。
【五名:行動中】
【関係:未定義】
【未来:未確定】
【選択:本人】
そして。
最後の一行だけが残った。
【未定義は、未完成ではない】




