第41章 過去に戻らない人たち
翌朝。
街の様子が少し変わっていた。
昨日まで普通に挨拶していた人が。
今日は林夏を見ると、何も言わずに通り過ぎる。
逆に。
昨日まで知らなかった人が、月白に声をかける。
「お久しぶりです」
月白は足を止めた。
「……どなたですか?」
女性は困ったように笑った。
「覚えていないんですか?」
「すみません」
「以前、一緒に暮らしていたでしょう?」
月白の表情が変わった。
女性はそのまま立ち去った。
紅葉が言う。
「今のは?」
澪が端末を見る。
【過去関係:参照】
【認識補正:実施】
【現在関係:過去記録を基準】
「始まった」
林夏が聞く。
「何が?」
「過去の関係を、現在の人間関係に反映させようとしている」
ユウが言った。
「でも、月白さんはあの人を知らなかった」
「だから問題」
紅葉が周囲を見る。
「俺たち全員に起きる可能性がある」
その直後。
紅葉の前に、一人の男が現れた。
「紅葉」
男は彼女の名前を呼んだ。
紅葉が警戒する。
「誰だ?」
「昔、一緒に任務をしていただろう」
「……」
「お前は命令に従っていた」
紅葉の顔が少し険しくなる。
「それがどうした」
「だから、今もそうすると思っている」
男は当然のように言った。
紅葉はしばらく黙っていた。
そして。
「違う」
「何が?」
「昔は従った」
男が少し驚く。
「でも、今は違う」
紅葉は歩き出した。
「私はもう、お前の知っている私じゃない」
男は何も言わなかった。
澪が端末を見る。
【過去記録:一致】
【現在選択:不一致】
【認識補正:失敗】
林夏が笑った。
「いいじゃん」
紅葉が振り返る。
「何が?」
「今の」
「……何だ?」
「かっこよかった」
「うるさい」
ユウが笑った。
そのとき。
ユウの前にも誰かが現れた。
今度は老人だった。
「君は、二十七歳で死ぬ」
ユウの足が止まる。
老人は静かに言った。
「それが君の記録だ」
ユウは黙っている。
「だから、無理に未来を変えようとしなくていい」
「……」
「君は普通の人間だ。普通の命軌を持っていた」
老人は穏やかだった。
「元に戻ればいい」
ユウはしばらく老人を見た。
そして。
「嫌です」
老人が目を細める。
「なぜ?」
「まだ決めてないから」
「何を?」
「いつ死ぬかも」
ユウは少しだけ笑った。
「いつまで生きるかも」
「……」
「だから、僕の未来を僕の代わりに決めないでください」
老人は何も言わなかった。
ユウが歩き出す。
澪の端末に記録が追加された。
【過去予測:無効】
【現在選択:本人】
【未来:未確定】
最後に。
【二十七歳:参照不能】
林夏がユウの肩を軽く叩いた。
「よく言った」
ユウは笑う。
「ありがとうございます」
「腹減った?」
「……減りました」
「じゃあ飯だな」
「はい」
紅葉が呆れる。
「お前らは何でも飯にするな」
「飯は大事だぞ」
月白が笑った。
「それは否定できないね」
五人は近くの食堂に入った。
店員が五人を見る。
一瞬だけ。
何かを確認するような表情をした。
そして。
「五名様ですね」
澪が顔を上げる。
「はい」
店員は自然に答えた。
「こちらへどうぞ」
五人は席についた。
しかし。
壁に貼られていた小さな紙に。
誰も気づかなかった。
そこには。
【あなたの過去を大切にしてください】
と書かれていた。
その下には。
【過去は、あなたを定義します】
林夏がそれを見つけた。
「……これ、嫌いだな」
月白が見る。
「どうして?」
「過去は過去だから」
「でも、大切なものもあるよ」
「うん」
林夏は頷いた。
「だから捨てる必要もない」
少し間を置く。
「でも、今の自分まで過去にする必要はない」
月白はその言葉を聞いて。
静かに笑った。
「そうだね」
澪が紙を写真に撮る。
「重要な記録になる」
紅葉が聞く。
「破らないのか?」
「破っても意味がない」
「なぜ?」
「誰かがまた貼るから」
林夏が笑った。
「じゃあ、そのままでいい」
「いいの?」
「うん」
林夏はメニューを開いた。
「紙を消すより、自分で違う選択をすればいい」
紅葉が少し黙る。
そして。
「……それも、お前らしいな」
料理が運ばれてきた。
五人は食べ始めた。
特別なことは何もない。
過去を消したわけでもない。
未来を決めたわけでもない。
ただ。
今日の昼飯を、自分たちで選んだ。
その瞬間。
街の記録が更新された。
【過去:保存】
【現在:本人選択】
【未来:未確定】
そして。
これまでになかった一行が現れた。
【過去記録による現在補正:停止】
澪がそれを見つめる。
「……止まった」
林夏が聞く。
「何が?」
「過去が、現在を直接決めることができなくなった」
紅葉が笑った。
「じゃあ、また一つ自由になったな」
月白は窓の外を見る。
街はいつも通りだった。
誰かが過去を覚えている。
誰かが忘れている。
誰かが間違えている。
それでも。
今、目の前にいる人間とどう向き合うかは。
まだ自分で選べる。
その日の夕方。
白澤は一人で歩いていた。
端末には。
【月白――過去:成立】
【現在:未定義】
【未来:未確定】
と表示されている。
白澤は画面を見つめた。
そして。
初めて。
自分からその記録を閉じた。
「……今は、まだいい」
誰に言うでもなく。
そう呟いた。
その直後。
画面に新しい文字が浮かんだ。
【白澤:現在選択】
【選択内容:待つ】
それは。
これまでの記録にはなかった選択だった。




