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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第四章 逃げる理由は、まだない

万事修理店の扉が、内側へ吹き飛んだ。


「うわっ!」


 林夏は反射的に頭を抱えた。


 木片が飛び、工具箱が倒れ、壁に掛けてあったレンチが床へ落ちる。


 そして――


 食べかけの豚骨ラーメンが、盛大にひっくり返った。


 林夏は固まった。


「……」


 月白も固まった。


 店内に、妙な沈黙が流れる。


 林夏は床に散らばった麺を見つめた。


「……これは、許せない」


「そこなの?」


「そこだよ」


 林夏の声が低くなった。


「まだ二口しか食べてない」


 月白は思わず口元を押さえた。


 笑ってはいけない。


 そう思った。


 でも、少しだけ笑ってしまった。


「笑ったな」


「笑ってない」


「今、絶対笑った」


「……少しだけ」


「ひどい」


 林夏は本気で傷ついた顔をした。


 その直後。


 店の入口に、一人の男が立った。


 黒い制服。


 胸元には、細い銀色の線が一本。


 その線の中央に、小さな円形の紋章が刻まれている。


 男の後ろには、さらに二人。


 三人とも表情がない。


「異常因子、月白」


 先頭の男が言った。


「および、林夏」


 林夏は自分を指差した。


「俺も?」


「あなたの命軌は、未定義と判定された」


「未定義って、そんなに珍しいの?」


「存在しない」


「じゃあ、今あるじゃん」


 男は黙った。


 林夏も黙った。


 月白が小声で言った。


「あなた、今の状況を理解してる?」


「半分くらい」


「どこまで?」


「俺が面倒なことに巻き込まれた」


「それだけ?」


「あと、ラーメンを失った」


「……」


 月白は頭を抱えた。


「もういい」


「うん。俺もそう思う」


 男が手を上げた。


 後ろの二人が同時に動く。


 青白い光が床を走った。


 それは刃ではなかった。


 細い線だった。


 床、壁、天井。


 空間そのものを切り分けるように、無数の線が伸びていく。


 月白の顔が変わった。


「命軌封鎖!」


「それ、危ないやつ?」


「触れたら動けなくなる」


「先に言ってよ!」


 林夏は月白の手をつかんだ。


「こっち!」


「どこへ?」


「裏口!」


 二人は店の奥へ走った。


 林夏が工具棚を蹴る。


 棚が倒れ、工具が床に散らばった。


「何してるの?」


「片付けは後!」


「壊したの、あなたでしょ!」


「修理するから!」


 裏口を開ける。


 外は細い路地だった。


 第七街区の雨が、二人の頭上に落ちてくる。


「走って!」


 月白が先に走り出した。


 林夏も追う。


 数秒後。


 林夏が叫んだ。


「ちょっと待って!」


「何?」


「速い!」


「あなたが遅いの!」


「俺、怪我人じゃないんだけど!」


「私は怪我人よ!」


「じゃあ、なおさら速すぎる!」


 月白は振り返った。


 林夏は息を切らしながら走っている。


 その顔には、さっきまでの余裕がほとんどなかった。


 月白は速度を落とした。


「……ごめん」


「いいよ」


「怖い?」


「怖い」


「それでも来るの?」


「もう来ちゃったし」


 林夏は笑った。


「それに、君を一人で走らせたら、後で寝覚めが悪そうだ」


「……変な人」


「よく言われる」


 背後から爆発音が響いた。


 二人は同時に振り返る。


 黒い制服の男たちが、路地へ出てきた。


 先頭の男が、二人を見つける。


「停止してください」


「嫌です」


 林夏が答えた。


「あなたに拒否権はありません」


「じゃあ、聞く意味ないじゃん」


 男の表情は変わらない。


 その手に、青い光が集まった。


「走って!」


 月白が叫ぶ。


 二人は再び走った。


 角を曲がる。


 階段を下りる。


 古い商店街を抜ける。


 誰もいない地下道へ入った。


 ようやく、追跡者の気配が遠ざかる。


 林夏は壁にもたれた。


「……疲れた」


「ごめんなさい」


 月白が言った。


「何が?」


「あなたを巻き込んだ」


「それ、今日三回目」


「でも、本当に……」


「月白」


 林夏が遮った。


「俺、自分で来たんだよ」


「……」


「君に命令されたわけじゃない」


 月白は黙っていた。


「だから、俺の選択まで君の責任にしなくていい」


 その言葉に、月白は少しだけ目を伏せた。


 雨の音が、地下道の入口から聞こえている。


「……選択」


「うん」


「あなたは、本当に自分で選んだの?」


「もちろん」


「怖いのに?」


「怖いからって、選べなくなるわけじゃないだろ」


 月白は顔を上げた。


 林夏は笑っていた。


「怖いなら、怖いまま選べばいい」


「……」


「俺はそうしてるだけ」


 しばらく、誰も話さなかった。


 やがて月白が小さく言った。


「あなたは……変な人ね」


「今日二回目」


「褒めてない」


「知ってる」


 林夏は笑った。


 そのとき。


 月白の手が、わずかに震えた。


 林夏は気づいた。


「寒い?」


「違う」


「じゃあ、怖い?」


「……少し」


 林夏は自分の上着を脱いだ。


「着て」


「あなたは?」


「俺は走って暑くなった」


「嘘」


「ばれた?」


 月白は上着を受け取った。


 ほんの少し迷ってから、それを肩に掛ける。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 その瞬間。


 地下道の奥から、かすかな機械音が聞こえた。


 ――カチ。


 二人が同時に振り向く。


 暗闇の中。


 一つの赤い光が灯った。


 続いて、低い機械音声が響く。


『未定義の命軌を確認』


『異常因子、二名』


『修正手順を開始します』


 林夏の表情から、笑顔が消えた。


「……二名?」


 月白も気づいた。


 今度の「修正対象」は、彼女だけではない。


 林夏も含まれている。


 そして地下道の奥から、ゆっくりと何かが歩いてくる。


 雨音の向こうで。


 機械の足音が、一歩。


 また一歩。


 近づいてきた。

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