第39章 同じ出来事、違う記録
翌朝。
万事修理店の前には、すでに四人が集まっていた。
林夏だけがいない。
紅葉が腕を組んでいる。
「遅い」
月白が時計を見る。
「まだ約束の時間じゃないよ」
「そうか?」
「うん」
ユウが笑った。
「林夏さんなら、そのうち来ると思います」
澪は端末を見ていた。
「……来るとは限らない」
紅葉が振り返る。
「どういう意味だ?」
「記録では、今日は林夏の行動予定が空白になっている」
「空白?」
「そう」
澪は画面を見せた。
【林夏:次回選択――未設定】
紅葉が眉をひそめる。
「またか」
月白は黙っていた。
そのとき。
店の裏から林夏が現れた。
片手には紙袋。
「おはよう」
紅葉が呆れる。
「どこに行っていた?」
「朝飯」
「……」
林夏は紙袋を開けた。
「食べる?」
「いらない」
「そう?」
ユウは中を覗き込んだ。
「何ですか?」
「パン」
「じゃあ、一つください」
「どうぞ」
紅葉がため息をつく。
「お前たちは緊張感がないな」
林夏はパンを食べながら言った。
「緊張しても腹は減るからな」
月白が笑った。
「それ、昨日も言ってた」
「大事なことだから」
そのとき。
澪の端末が鳴った。
【共同因果:更新】
五人が画面を見る。
【林夏:参加】
【月白:参加】
【紅葉:参加】
【澪:参加】
【ユウ:参加】
その下に。
【集合理由:食事】
林夏が笑った。
「ほら」
紅葉が言う。
「何が?」
「結局、飯だ」
澪は画面を見たまま動かなかった。
「……おかしい」
「何が?」
「昨日まで、共同因果の理由は『本人選択』だった」
「今日は?」
「『食事』」
ユウが首を傾げる。
「食事したから、一緒になった?」
「そう記録されている」
月白が言った。
「でも、私たちは食事をするためだけに集まったわけじゃないよね」
林夏が頷く。
「うん」
紅葉も言う。
「昨日からの流れで集まった」
澪は少し考えた。
「つまり、システムは理由を単純化している」
「何のために?」
「分からない」
そのとき。
通りの向こうから、一人の男が歩いてきた。
五人を見ると、林夏に声をかけた。
「おはよう」
林夏も手を上げる。
「おはよう」
男はそのまま通り過ぎる。
ユウが聞いた。
「知り合いですか?」
「知らない」
「でも、挨拶しましたよね?」
「向こうがしたから」
紅葉が笑った。
「お前らしい」
男は少し先で立ち止まり、振り返った。
「……あれ?」
林夏を見る。
そして。
「君、一人じゃなかった?」
林夏が振り返る。
「五人ですよ」
男は月白たちを見る。
少し不思議そうな顔をした。
「そうだった?」
「そうです」
「……まあ、いいか」
男は歩いていった。
澪の表情が変わった。
「今の」
「何?」
「彼の認識では、林夏は一人だった」
紅葉が言う。
「でも、目の前に四人いる」
「そう」
月白が少し不安そうに聞く。
「記録が、人の認識を変えているの?」
「それだけじゃない」
澪は端末を操作した。
「人によって、違う記録が適用されている可能性がある」
林夏が首を傾げる。
「どういうこと?」
「同じ五人を見ても」
澪は画面を見せた。
【認識A:五名】
【認識B:四名】
【認識C:林夏一名】
【認識D:未登録】
紅葉が黙る。
「……同じ現実なのに」
「記録が違う」
ユウが言った。
「じゃあ、本当はどれなんですか?」
澪は答えなかった。
林夏が言った。
「全部じゃないか?」
「全部?」
「その人には、その人が見えてるんだろ」
「……」
「だったら、その人にとっては、それが現実なんじゃないか?」
月白が静かに聞く。
「でも、私たちは?」
林夏は月白を見る。
「俺たちは五人だろ」
「……うん」
「それでいい」
その言葉の直後。
澪の端末が更新された。
【共同因果:五名】
【外部認識:不一致】
【内部認識:一致】
【差異:維持】
紅葉が画面を見る。
「内部認識?」
澪は頷いた。
「私たち五人が、お互いを五人として認識している」
「それが共同因果になる?」
「可能性がある」
ユウが言った。
「じゃあ、外の人が何人だと思っても」
「私たち自身が忘れなければいい」
月白が言った。
澪は頷いた。
「たぶん」
紅葉が少し笑った。
「また『たぶん』か」
「確実なことが少ないから」
「それもそうだな」
五人は歩き始めた。
しかし。
しばらくすると。
月白が立ち止まった。
「待って」
全員が振り返る。
月白は向こう側を見ていた。
そこには。
白澤が立っていた。
黒い服。
静かな表情。
以前と変わらない姿。
林夏の表情が少し変わった。
紅葉も警戒する。
ユウは何も言わない。
澪は端末を確認した。
だが。
そこには白澤の名前が表示されていなかった。
【外部人物:未登録】
白澤は五人を見ている。
そして。
月白だけを見た。
「久しぶり」
月白は答えなかった。
白澤は少し笑った。
「やっぱり、ここにいたんだね」
林夏が一歩前に出る。
「何しに来た?」
白澤は林夏を見る。
「君に用はない」
「そう?」
「今日は月白に会いに来た」
月白が言った。
「私は会いたくない」
白澤は黙った。
そして。
「そうか」
意外なほど素直に答えた。
紅葉が眉をひそめる。
「帰るのか?」
「今日はね」
白澤は月白を見る。
「でも、一つだけ伝えたい」
「何?」
「君が選んだものを、僕が変えるつもりはない」
月白の目がわずかに揺れた。
白澤は続けた。
「ただ」
一瞬だけ。
昔のような表情になった。
「僕の記録では、まだ君は僕の隣にいる」
誰も話さなかった。
白澤はそのまま歩いていく。
澪はすぐに端末を確認した。
そこには。
【外部認識:一名】
【関係記録:白澤――月白】
【関係:保留】
そして。
【記録主体:不明】
澪は画面を見つめた。
「……まだ続いてる」
林夏が聞く。
「何が?」
澪は白澤が去っていった方向を見る。
「関係を決めようとしているのは、私たちだけじゃない」
月白は黙っていた。
しばらくして。
小さく言った。
「でも」
林夏が見る。
月白は前を向いた。
「私が誰と歩くかは、私が決める」
林夏は何も言わず。
ただ。
彼女の隣を歩いた。
五人は再び歩き始めた。
その背後で。
誰にも見えない記録が、一つだけ書き換えられた。
【月白――白澤】
【関係:未定義】
そして、その下に。
【選択者:月白】
と記録された。




