第三十四章 同じ道を歩くということ
細い路地を抜けると、古い住宅街に出た。
夕方の光が、低い建物の屋根を照らしている。
車はほとんど走っていない。
人の姿も少ない。
五人の足音だけが、静かな道に響いていた。
林夏が歩きながら言った。
「今日は静かだな」
「そうですね」
ユウが答える。
「さっきまで駅前にいたのが嘘みたいです」
紅葉は周囲を見回した。
「人が少なすぎる」
澪も同じように辺りを見た。
「この辺りは住宅区域みたい」
「みたい?」
「地図上ではそうなっている」
「じゃあ、住んでる人は?」
「……分からない」
紅葉が眉をひそめる。
「またか」
五人はしばらく歩いた。
やがて、一軒の小さな公園を見つけた。
滑り台。
ブランコ。
ベンチ。
古い時計。
ユウが足を止めた。
「休みませんか?」
林夏が頷く。
「賛成」
五人はベンチの周りに座った。
林夏は背もたれに体を預ける。
「こうしてると、普通の散歩みたいだな」
月白が笑う。
「普通じゃないけどね」
「まあ、そうだけど」
「命運修正機構に追われて」
紅葉が数えるように言った。
「命軌を観測されて」
澪が続ける。
「未来を予測されて」
ユウが最後に言った。
「それでも、普通にお腹が空く」
林夏が笑った。
「そこは変わらないな」
月白も笑った。
その瞬間。
公園の時計が鳴った。
一回。
二回。
三回。
四回。
五回。
六回。
今度は、六回目まで鳴った。
五人が時計を見る。
澪だけが端末を確認した。
「……戻ってる」
「何が?」
林夏が聞く。
「時間の記録」
澪は画面を見せた。
【時間記録:正常】
「昨日は一つ抜けていた」
「今日は戻った?」
「うん」
紅葉が考える。
「つまり、昨日の異常は一時的だったのか?」
「分からない」
澪は首を振った。
「ただ……」
「ただ?」
「今度は別のものが変わってる」
画面には。
【共同因果:安定】
その下に。
【選択分岐:発生】
と表示されていた。
林夏が眉を上げる。
「選択分岐?」
「五人が同じ場所にいることは変わらない」
澪が説明する。
「でも、次に何をするかについては、五人それぞれに違う候補が出始めている」
ユウが聞いた。
「それって普通じゃないですか?」
「普通」
澪は頷いた。
「だからこそ、システムにとっては都合がいい」
紅葉が立ち上がった。
「どういう意味だ?」
「共同因果を直接壊す必要がない」
澪は画面を操作した。
五つの名前が並ぶ。
【林夏】
【月白】
【紅葉】
【澪】
【ユウ】
それぞれの下に、一つずつ表示が出た。
【林夏:食事】
【月白:買い物】
【紅葉:移動】
【澪:観測】
【ユウ:帰宅】
紅葉が画面を睨む。
「……全部違う」
「そう」
「これを選ばせるつもりか?」
「おそらく」
林夏が画面を見た。
「でも、別に好きなことをすればいいだろ」
紅葉が振り返る。
「それをやったら、五人が別れるぞ」
「一時的にな」
「それでも同じことだ」
林夏は少し考えた。
「じゃあ、聞いてみよう」
「何を?」
「みんな、本当にそれがしたいのか」
五人は互いの顔を見た。
林夏が最初に言った。
「俺は食事したい」
紅葉がため息をつく。
「お前はいつもだな」
「腹減ってるからな」
月白が笑った。
「私は買い物」
「何を買う?」
「新しいノートが欲しい」
ユウが言った。
「僕も少し買い物したいです」
澪が端末を見ながら言う。
「私は観測を続けたい」
紅葉は少し黙った。
「……私は移動したい」
林夏が聞く。
「どこへ?」
「まだ決めていない」
「じゃあ、みんな本当に違うことをしたいんだな」
月白が頷く。
「そうみたい」
沈黙。
林夏は空を見上げた。
「じゃあ、別にいいんじゃないか?」
紅葉が振り返る。
「何が?」
「別々に行けばいい」
月白の表情が少し変わった。
ユウも黙った。
澪は端末を見る。
「……」
林夏は続けた。
「一緒にいることが目的になったら、それも変だろ」
「でも」
月白が言う。
「今、私たちは共同因果として観測されている」
「うん」
「一度別れたら、戻れないかもしれない」
林夏は少しだけ考えた。
「それは分からない」
「……」
「でも、戻りたいと思ったら戻ればいい」
月白は黙っていた。
林夏は彼女を見る。
「一緒にいることも、離れることも」
「……」
「どっちも、自分で決めればいい」
その言葉を聞いて、月白は小さく笑った。
「そうだね」
紅葉も腕を組み直した。
「……分かった」
ユウが立ち上がる。
「じゃあ、少しだけ別行動しますか?」
澪が聞く。
「怖くない?」
「少し」
ユウは正直に答えた。
「でも、自分で選んだなら」
「……」
「戻ることも自分で決められると思います」
林夏が笑った。
「それでいい」
五人は公園を出た。
交差点の前で、立ち止まる。
右。
左。
正面。
三つの方向。
林夏が言った。
「じゃあ、いったん解散」
月白が彼を見る。
「本当に?」
「うん」
「……分かった」
月白は右へ歩き出した。
ユウは左。
紅葉は正面。
澪は少し遅れて別の道へ向かった。
林夏だけが、その場に残った。
五人が初めて別々に歩いていく。
その瞬間。
すべての端末が同時に光った。
【共同因果:分岐】
【予測開始】
林夏は画面を見た。
「……やっぱり来たか」
そして、一人で歩き始めた。
しばらくすると、彼の端末に新しい表示が出た。
【予測:孤立】
林夏は笑った。
「孤立?」
少し考える。
「一人で歩いてるだけだろ」
その頃。
月白の端末にも表示が出ていた。
【予測:帰還】
月白は画面を見た。
そして、足を止めた。
「……帰還?」
彼女は少し考えた。
今すぐ戻る気はない。
けれど。
林夏たちのいる方向を見る。
「……まだ戻らない」
そのまま歩き続けた。
紅葉の端末には。
【予測:単独行動】
紅葉はそれを見て、鼻で笑った。
「それくらい、自分でも分かっている」
澪の端末には。
【予測:観測継続】
「それも違う」
澪は端末を閉じた。
ユウの端末には。
【予測:帰宅】
ユウは立ち止まった。
「……」
自宅への道を見る。
そして。
反対側を見る。
少し考えたあと。
「今日は帰りません」
そう言って、別の道へ歩いた。
五人がそれぞれ別の方向へ進んでいく。
そして。
誰も予測通りには動かなかった。
【林夏:予測失敗】
【月白:予測失敗】
【紅葉:予測失敗】
【澪:予測失敗】
【ユウ:予測失敗】
五つの画面に、同じ文字が浮かぶ。
【個別予測:失敗】
その直後。
一つの新しい記録が現れた。
【共同因果:継続】
誰も一緒にいない。
誰も同じ道を歩いていない。
それでも。
共同因果だけは、消えなかった。
夕方。
林夏が小さな公園に戻ってきた。
ベンチに座る。
しばらくして。
月白が現れた。
「……早いね」
「月白もな」
さらに少し後。
紅葉。
澪。
そして最後にユウ。
五人は、誰からともなく同じベンチの周りに集まった。
林夏が笑う。
「結局、戻ってきたな」
ユウが頷く。
「はい」
紅葉が言う。
「別に約束していたわけじゃない」
澪も頷いた。
「観測地点も指定していない」
月白が空を見上げる。
「でも、ここに来た」
五人はしばらく何も言わなかった。
やがて。
澪の端末に最後の記録が表示された。
【共同因果:継続】
【維持理由:未定義】
澪はその文字を見つめた。
「……未定義」
林夏が笑った。
「それでいいんじゃないか?」
「何が?」
「理由なんて、後から考えればいい」
月白が笑った。
「明日のことは、明日考えればいい?」
「そう」
林夏は頷いた。
「今日ここにいる理由も、今はそれでいい」
遠くで、時計が鳴った。
今度は。
六回。
七回。
八回。
最後まで、正確に。
五人はその音を聞きながら。
誰にも決められていない時間の中に、静かに座っていた。




