第三十三章 離れるということ
月白の端末が、赤く光っていた。
一度。
二度。
それ以上は何も起こらない。
林夏が隣から覗き込む。
「……月白?」
「うん」
月白は端末を手に取った。
画面には、何も表示されていない。
ただ、黒い画面の中央に小さな赤い点だけが残っている。
紅葉が眉をひそめた。
「何か書いてあるのか?」
「ない」
「なら、故障じゃないのか?」
澪が首を横に振った。
「故障ではないと思う」
「どうして?」
「他の端末は反応していないから」
澪は月白の端末を見る。
「この反応は、月白個人に対して出ている」
月白は黙った。
ユウが小さな声で聞く。
「……僕たちから離れるのが、月白さんなんですか?」
月白はすぐには答えなかった。
林夏が言う。
「まだ決まってない」
「でも、端末が……」
「赤く光っただけだろ」
「はい」
「赤く光ったからって、明日どこかへ行くとは限らない」
月白は林夏を見た。
「……そうだね」
その声は、少しだけ静かだった。
五人はその場に立ったまま、しばらく動かなかった。
やがて紅葉が言った。
「このまま立っていても仕方ない」
「そうだな」
林夏が周囲を見る。
「今日はどこへ行く?」
「また決めないのか?」
紅葉が聞く。
「決めたくなったら決める」
「面倒な男だな」
「よく言われる」
ユウが笑った。
その瞬間。
月白の端末が再び光った。
今度は文字が浮かんだ。
【予測対象:月白】
【予測:離脱】
【確率:高】
誰も口を開かなかった。
月白は画面を見つめている。
林夏が静かに聞いた。
「月白」
「うん」
「どこか行きたい?」
月白は少し考えた。
「……今はない」
「じゃあ、行かなくていい」
「でも」
月白は端末を握った。
「私には、昔……」
言葉が止まる。
紅葉が何も言わずに待った。
月白はゆっくり息を吐いた。
「昔、一度だけ、自分の人生を誰かに決めてもらったことがある」
白澤。
その名前を、彼女は口にしなかった。
けれど、林夏には分かった。
月白は続ける。
「そのときは、それでいいと思ってた」
「どうして?」
ユウが聞いた。
「怖かったから」
月白は答えた。
「自分で決めて、間違えることが怖かった」
風が吹いた。
髪が頬にかかる。
月白はそれを手で払った。
「誰かが決めてくれれば、自分は責任を取らなくて済むから」
紅葉が静かに言った。
「……分かる」
月白が彼女を見る。
紅葉は少し目を逸らした。
「私も似たようなものだった」
役割。
命令。
所属。
何をするべきか。
どこにいるべきか。
誰を敵とするべきか。
以前の紅葉には、それを自分で決める必要がなかった。
「だから、選ばなくていい人生が楽だった」
紅葉は言った。
「でも、今は違う」
月白は小さく頷いた。
「うん」
林夏は二人を見ていた。
そして。
「じゃあ、離れるかどうかも、自分で決めればいい」
月白が彼を見る。
「……うん」
「システムが決めても」
林夏は端末を指差した。
「それは月白の決定じゃない」
「そうだね」
「俺たちも決めない」
「……うん」
「月白が残るか、離れるか」
林夏は笑った。
「月白が決めればいい」
月白はしばらく彼を見つめていた。
やがて。
「じゃあ……」
彼女は一歩、前へ出た。
端末の赤い光が強くなる。
【予測:離脱】
【予測継続】
月白は画面を見た。
そして。
端末の電源を切った。
「今日は、みんなと歩く」
画面が消える。
赤い光も消えた。
ユウが少し驚いた顔をする。
「それで大丈夫なんですか?」
月白は笑った。
「分からない」
「……」
「でも、今はそうしたいから」
林夏も笑った。
「それで十分だろ」
五人は歩き始めた。
しばらくして。
澪が端末を見る。
表示が変わっていた。
【予測対象:月白】
【予測:離脱】
【実際:同行】
【予測失敗】
紅葉が画面を覗き込む。
「また外れたな」
「うん」
「でも、変じゃないか?」
「何が?」
紅葉は考えながら言った。
「さっきまで、システムは環境を変えようとしていた」
「そう」
「それでも月白は残った」
澪が頷く。
「そうだね」
「じゃあ、次はどうする?」
澪は答えなかった。
その代わり。
端末の文字が一行ずつ変化した。
【予測対象:共同因果】
【予測:分裂】
【環境調整:開始】
林夏が立ち止まった。
「……分裂?」
澪は画面を見つめている。
「五人のうち誰か一人を離れさせるんじゃない」
「じゃあ?」
「五人が一緒にいること自体を、壊そうとしている」
その瞬間。
前方の道路から、大きな音がした。
工事用の柵が倒れた。
人々が一斉に別の方向へ流れていく。
道が塞がった。
五人の前に、二つの出口ができる。
右側には駅。
左側には商店街。
そして。
その中央に。
一枚の看板が立っていた。
【共同因果を維持するには、一つを選択してください】
その下には二つの選択肢。
【駅へ】
【商店街へ】
ユウが苦笑した。
「またですか」
紅葉が剣に手をかける。
「今度は二つか」
澪が端末を見る。
「違う」
「何が?」
「これは、私たち五人に向けられている」
月白が看板を見る。
林夏はしばらく黙っていた。
やがて。
「だったら、五人で行けばいい」
紅葉が言う。
「どっちへ?」
「どっちでもいい」
「……」
林夏は二つの道を見る。
そして。
その間にある、細い路地を指差した。
「三つ目」
ユウが笑った。
「やっぱり」
五人は細い路地へ向かった。
看板の文字が一瞬、激しく点滅する。
【選択肢:該当なし】
【共同因果:継続】
その直後。
街のどこかで、時計が鳴った。
一回。
二回。
三回。
四回。
五回。
そして。
六回目の音だけが鳴らなかった。
澪が顔を上げる。
「……」
「どうした?」
林夏が聞く。
澪は静かに答えた。
「一つ、抜けた」
「何が?」
「時間の記録」
彼女は端末を見る。
そこには、新しい表示があった。
【予測対象:共同因果】
【予測:分裂】
【結果:継続】
【次回予測:未設定】
澪はしばらく画面を見ていた。
そして、小さく呟いた。
「命軌の終点が消えたときと同じ……」
月白が振り返る。
「何が?」
「決められていたものが、一つずつ空白になっている」
林夏は笑った。
「なら、空白のままでいい」
五人は歩き続けた。
誰も、明日の予定を決めなかった。
誰が離れるのかも。
どこへ行くのかも。
いつまで一緒にいるのかも。
ただ。
今日、一緒に歩くことだけは。
五人自身が決めていた。




