第三十二章 誰の選択を待つのか
翌朝。
林夏は目を覚ますと、しばらく天井を見ていた。
時計を見る。
まだ早い。
隣の部屋から物音がする。
「……もう起きてるのか」
林夏が起き上がる。
廊下に出ると、月白が窓を開けていた。
朝の風が部屋に入っている。
「おはよう」
「おはよう」
月白は振り返った。
「よく眠れた?」
「まあまあ」
林夏は大きく伸びをした。
「朝飯は?」
「まだ」
「じゃあ、食べよう」
「うん」
二人が台所へ向かう。
その途中。
月白がふと足を止めた。
「……林夏」
「ん?」
「今日、どこへ行く?」
林夏は少し考えた。
「決めてない」
「昨日もそうだったね」
「明日のことは、明日考えればいいからな」
月白は笑った。
「それ、便利な言葉ね」
「かなり便利だぞ」
そのとき。
背後から紅葉の声がした。
「お前ら、朝から何を話している」
「今日の予定」
「決めてない」
「……そうか」
紅葉は呆れたように椅子へ座った。
少し遅れて、澪とユウも部屋に入ってきた。
ユウはまだ眠そうだった。
「おはようございます」
「おはよう」
林夏が言う。
「朝飯、何にする?」
ユウが考える。
「パン」
「珍しいな」
「昨日甘いものを食べたので」
「じゃあパンだな」
五人で朝食を取った。
特別なことは何も起こらなかった。
パンを食べて。
お茶を飲んで。
昨日のことを少し話した。
それだけだった。
食事が終わったあと。
澪が端末を確認した。
「……」
紅葉が気づく。
「何かあるのか?」
「表示が変わった」
「ユウ?」
「違う」
澪は画面を見せた。
そこには、見慣れない表示があった。
【観測対象:共同因果】
紅葉が眉を寄せる。
「……共同因果?」
「そう」
「今までユウだけだっただろ」
「昨日まではね」
澪は画面をスクロールした。
【予測対象:共同因果】
【環境:安定】
【選択:複数】
林夏が画面を見る。
「つまり?」
「システムが、ユウ一人を観測するのをやめた」
「じゃあ、誰を見るんだ?」
澪は五人を見た。
「私たち全員」
部屋が静かになった。
ユウが聞く。
「どうして?」
「分からない」
澪は端末を閉じた。
「でも、昨日の環境調整で分かったんだと思う」
「何が?」
「ユウの選択は、ユウだけで決まっていない」
月白が静かに聞いた。
「私たちがいるから?」
「そう」
澪は頷いた。
「誰と歩くか」
「どこで食べるか」
「誰の話を聞くか」
「誰と一緒にいるか」
一つずつ挙げていく。
「そういうものまで含めて、ユウの選択になっている」
林夏が腕を組んだ。
「つまり、俺たちを予測できなければ、ユウも予測できない」
「その可能性が高い」
紅葉が立ち上がった。
「だったら、私たちの選択も全部監視するのか?」
澪は答えなかった。
その代わり、端末が鳴った。
【新規予測】
画面に一行だけ表示される。
【本日、最初にこの部屋を出る人物を予測します】
全員が黙った。
林夏が笑う。
「くだらないな」
紅葉が画面を見る。
「くだらなくても、見ているらしいぞ」
その下に三つの名前が並んだ。
【林夏】
【月白】
【ユウ】
「私と澪と紅葉は?」
月白が聞く。
「候補外だな」
林夏が言った。
澪は画面を見つめた。
「違う」
「何が?」
「三人しか予測対象になっていない」
「じゃあ、どうする?」
林夏は肩をすくめた。
「別に」
そして椅子に座った。
「出なければいい」
紅葉が笑った。
「それはそれで面白いな」
月白も座った。
ユウも座る。
澪も座った。
最後に紅葉も座った。
五人は誰も動かなかった。
一分。
二分。
五分。
十分。
林夏が欠伸をした。
「……眠くなってきた」
「寝るな」
紅葉が言う。
「じゃあ、どうする?」
「知らん」
「俺も知らん」
また静かになった。
やがて。
端末の表示が変わった。
【予測待機】
【対象:林夏】
【行動予定:未確定】
林夏が画面を見る。
「俺?」
「そうみたい」
月白が答えた。
林夏は少し考えた。
そして立ち上がった。
「じゃあ、出るか」
端末が光る。
【予測成功】
澪が目を見開いた。
「……」
林夏は靴を履く。
「どうした?」
「今、予測が成功した」
「へえ」
「でも……」
澪は端末を見る。
「林夏が立ち上がることを予測したんじゃない」
「じゃあ何を?」
「林夏が、予測されていることに気づいた後の行動を予測した」
紅葉が眉をひそめる。
「つまり?」
「反応そのものを予測した」
林夏は少し黙った。
そして笑った。
「それなら簡単だ」
「何が?」
「次は逆にすればいい」
林夏は玄関を開けた。
「予測されたから、出るんじゃない」
一歩外へ出る。
「出たかったから出る」
月白も続いた。
「私も行く」
紅葉が立ち上がる。
「私も」
澪は少し迷った。
ユウを見る。
「……どうする?」
ユウは立ち上がった。
「僕も行きます」
五人が外に出る。
その瞬間。
端末の表示が一斉に変わった。
【共同因果:発生】
【予測対象:五名】
【予測:成功】
【選択理由:本人】
澪が足を止めた。
「……成功?」
林夏が振り返る。
「何が?」
「五人全員が外に出ることを予測していた」
「へえ」
「でも……」
澪は画面を見た。
その下に、小さな文字が追加されている。
【予測成功理由:共同因果】
「……これ、昨日までと違う」
月白が聞く。
「どう違うの?」
「個人の選択ではなく」
澪は五人を見る。
「五人が一緒にいること自体を、選択として扱っている」
紅葉が黙った。
ユウも黙っている。
林夏だけが空を見上げた。
「じゃあ、今日は五人で歩けばいい」
「それだけ?」
月白が笑う。
「それだけ」
林夏は歩き始めた。
五人も続く。
しばらく歩いていると。
道路の向こうに、二つの道が見えてきた。
右。
左。
その中央に、小さな看板がある。
【どちらかを選択してください】
紅葉が看板を見る。
「またか」
林夏は笑った。
「今度は二つだな」
ユウが左右を見る。
「どうします?」
誰も答えなかった。
月白も。
紅葉も。
澪も。
林夏も。
五人はしばらく黙っていた。
そして。
ユウが一歩後ろへ下がった。
「……僕は、選びません」
林夏が笑った。
「俺も」
月白が頷く。
「私も」
紅葉が肩をすくめる。
「同じだ」
澪は最後まで画面を見ていた。
やがて。
表示が変わる。
【選択:保留】
【共同因果:継続】
その下に。
新しい文字が現れた。
【予測対象:次に離れる者】
澪の表情が変わった。
「……今度は、選ぶことじゃない」
林夏が振り返る。
「何?」
澪は画面を見せた。
【誰が、この五人から最初に離れるのか】
五人の間に。
初めて、沈黙が落ちた。
誰も動かなかった。
誰も答えなかった。
けれど。
端末の表示だけが、静かに点滅している。
【予測開始】
そして。
その瞬間。
月白の端末だけが。
一度だけ、赤く光った。




