第三十章 選ぶ前の静けさ
夕方になっていた。
五人は商店街を抜け、駅前の広場まで来ていた。
人が多い。
仕事帰りの会社員。
学校帰りの学生。
買い物袋を抱えた人。
自転車に乗った人。
誰も五人を気に留めない。
ユウは立ち止まった。
「……人、多いですね」
「そうだな」
林夏は周囲を見回した。
「夕方だからな」
「この街の人たちは、僕たちが見えてないんですよね?」
「たぶん」
澪が答えた。
「ただし、ユウは例外」
「どうして?」
「まだ分からない」
澪は端末を見る。
「命軌が正常なのに、僕たちを認識できる。そこだけは変わっていない」
紅葉が駅の時計を見る。
「じゃあ、あの人たちは何も知らないまま生きているのか」
「そう」
「……それが普通なんだろうな」
紅葉は小さく呟いた。
林夏が聞き返す。
「何か言った?」
「何でもない」
そのとき。
駅前の大型画面が一斉に切り替わった。
広告が消える。
ニュースも消える。
白い画面だけになる。
そして。
黒い文字が浮かび上がった。
【本日の選択を確認してください】
人々は誰も反応しない。
五人だけが、その文字を見ることができた。
ユウが顔を上げた。
「……またです」
画面の下に、新しい文字が表示される。
【あなたは、今日どこへ帰りますか?】
その下には三つの選択肢。
【A:自宅】
【B:友人の家】
【C:別の場所】
林夏が眉を上げる。
「なんだこれ」
澪は端末を操作した。
「……街全体に表示されているわけじゃない」
「じゃあ、僕たちにだけ?」
「正確には、ユウに対して表示されている可能性が高い」
ユウは画面を見つめていた。
「帰る場所……」
月白が隣に立つ。
「どうする?」
ユウは少し考えた。
「まだ帰りたくないです」
林夏が笑った。
「じゃあ帰らなければいい」
「でも、選択肢には……」
「選択肢は選ばないといけないものじゃない」
林夏は画面を見上げた。
「ただの表示だろ」
紅葉が腕を組む。
「しかし、さっきまでと違う」
「何が?」
「今回は、選択肢を出す前に状況を作っている」
澪が頷いた。
「そう」
彼女の声が少し低くなる。
「今までのシステムは、ユウが選んだ後に記録していた」
「今回は?」
「選ぶ前に、帰る場所そのものを問題にしている」
林夏は少し黙った。
「つまり……」
「予測するために、選択を誘導しようとしている可能性がある」
ユウは画面を見たまま言った。
「僕が選びそうな状況を作ってる?」
「そうかもしれない」
「それなら……」
ユウは少し考えた。
「逆に、何も選ばなければ?」
澪は端末を確認する。
「それも記録される可能性がある」
「じゃあ、どうすれば?」
誰もすぐには答えなかった。
林夏が駅前の店を指差した。
「腹減ってない?」
全員が林夏を見る。
紅葉がため息をつく。
「今それか」
「今だからだ」
林夏は歩き始めた。
「選択肢について考えすぎると、腹が減る」
「因果関係がよく分からない」
「俺にも分からない」
月白が小さく笑った。
「でも、行こうか」
五人は駅前の小さな食堂に入った。
店内は混んでいた。
空いている席は一つだけ。
五人では座れない。
店員も五人を認識していないため、席を増やすこともできない。
「どうする?」
月白が聞く。
ユウは店内を見た。
「外に出ますか?」
林夏は首を振った。
「いや、もう少し待とう」
「でも……」
「待つのも選択だろ」
その言葉に、澪が端末を見る。
画面が変わった。
【選択:待機】
「……」
「どうした?」
「今、表示が変わった」
澪が画面を見せる。
【選択:待機】
【予測成功率:高】
紅葉が眉をひそめる。
「予測成功率?」
「システムが、ユウの次の行動を予測している」
ユウが画面を見る。
「僕が待つと思ってる?」
「そうみたい」
「じゃあ……」
ユウは立ち上がった。
「出ます」
澪が顔を上げた。
【予測成功率:低下】
ユウは少し笑った。
「やっぱり、見られてますね」
林夏も立ち上がった。
「じゃあ行こう」
店を出る。
その瞬間。
【予測失敗】
表示が消えた。
五人はしばらく無言で歩いた。
やがて、月白が口を開く。
「ユウ」
「はい」
「怖くない?」
ユウは少し考えた。
「少しだけ」
「そう」
「でも……」
ユウは前を向いた。
「自分が何をするかまで、先に決められるほうが怖いです」
月白は何も言わなかった。
林夏が横から言う。
「じゃあ、今まで通りでいい」
「今まで通り?」
「腹が減ったら食べる」
林夏は笑った。
「眠くなったら寝る」
「はい」
「行きたいところがあったら行く」
「はい」
「嫌ならやめる」
「……はい」
「それでいい」
ユウは少しだけ笑った。
「分かりました」
そのとき。
澪の端末が震えた。
一度。
二度。
三度。
彼女は画面を見る。
そして、黙った。
「何?」
紅葉が聞く。
澪は答えなかった。
画面には、新しい記録があった。
【観測対象:ユウ】
【予測:失敗】
【修正:不要】
その下に。
これまで存在しなかった項目が表示されている。
【予測環境:調整開始】
澪の顔から表情が消えた。
「……次は、本人じゃない」
林夏が振り返る。
「何が?」
澪は画面を見せた。
「システムが、ユウを予測するのではなく」
一拍置いて。
「ユウが選ぶ環境を、変えようとしている」
五人の前に、駅前の交差点が見えた。
信号が青になる。
人々が一斉に歩き始める。
その瞬間。
五人の目の前だけ、信号が赤になった。
向こう側には、三つの道。
右。
左。
正面。
そして。
今度は道路脇の小さな看板に、文字が浮かんだ。
【あなたなら、どこへ行きますか?】
ユウはそれを見た。
しばらく黙っていた。
やがて。
看板の横にある細い階段を見つけた。
「……あそこに行きます」
林夏が笑う。
「また四つ目か」
「はい」
ユウは階段を上った。
五人も続いた。
階段を上り切った先には、小さな屋上庭園があった。
夕暮れの空が広がっている。
街の音が少し遠くなる。
ユウは手すりの前に立った。
「……ここ、好きです」
月白が隣に立つ。
「私も」
林夏は二人の少し後ろで空を見上げた。
紅葉は何も言わない。
澪だけが端末を見ていた。
そこには。
【予測環境:調整失敗】
そして、その下に。
【環境選択:本人】
澪はしばらくその文字を見つめた。
「……そういうことか」
林夏が振り返る。
「何が?」
澪は静かに答えた。
「選択を予測するためには、選択する人間だけじゃなくて」
夕暮れの空を見上げる。
「その人がいる場所まで、決めなければならない」
そして。
端末の最後に、一行が表示された。
【観測対象:ユウ】
【予測:継続】
【環境:未確定】
【選択:未確定】
その二つの「未確定」は。
今までとは違う意味を持っていた。
命運修正機構は、まだユウを理解できていない。
けれど。
初めて。
理解するために、自分たちのほうを変え始めていた。




