第二十七章 決めないまま歩く
公園を出たあと。
五人はしばらく何も話さなかった。
誰かが沈黙を嫌っているわけではない。
ただ、それぞれが考えていた。
掲示板に残された文字。
【第四の選択:保留】
【第五の選択:未定義】
そして。
その文字を記録したユウ。
林夏が歩きながら聞いた。
「ユウ」
「はい」
「さっき、何を記録したの?」
「……自分でもよく分かりません」
「どうやって?」
「端末を触っていたら、勝手に出てきました」
澪が隣から言った。
「勝手に、ではありません」
「え?」
「あなたが入力しています」
ユウは端末を見る。
確かに。
記録者の欄には、
【ユウ】
と表示されていた。
「……俺が?」
「はい」
「でも、あんな記録、今まで作ったことない」
「だから、発生したのでしょう」
紅葉が聞く。
「何が?」
澪は画面を見つめた。
「新しい記録方式です」
「新しい?」
「これまで、この街の記録は」
澪は指で画面をなぞる。
「誰かが観測し、誰かが判断し、その結果を記録していました」
「うん」
「でも、今回は違います」
「誰も観測していない?」
「ユウ自身が、自分の選択を記録しました」
月白が言った。
「つまり、自分で自分の人生を記録した?」
「その可能性があります」
林夏が笑う。
「じゃあ、いいじゃん」
「何が?」
「他人に書かれるより」
ユウは端末を見る。
「……そうですね」
少しだけ嬉しそうだった。
⸻
昼を過ぎた。
五人は街を歩き続けていた。
特に目的はない。
目的がないこと自体が、今の彼らには少し新鮮だった。
「どこ行く?」
林夏が聞く。
月白が答える。
「分からない」
「じゃあ、まっすぐ」
「理由は?」
「分からないから」
紅葉が笑った。
「あなたたち、似てきたわね」
「誰と誰?」
「林夏と月白」
月白が少し驚く。
「私?」
「うん」
「どこが?」
「二人とも、最近『分からない』ってよく言う」
林夏が頷く。
「確かに」
「あなたは昔からでしょう」
「そうだった?」
「そうよ」
ユウが笑った。
「でも、分からないって言えるのは、悪いことじゃないと思います」
紅葉が見る。
「どうして?」
「分からないのに、分かったふりをしなくて済むから」
澪が頷いた。
「合理的です」
紅葉は少し黙った。
「……そうね」
その一言だけだった。
⸻
午後。
五人は川沿いに出た。
川には小さな橋がかかっている。
橋の向こうには、古い住宅街。
こちら側には商店街。
どちらへ行くか。
また二つに分かれていた。
林夏が立ち止まる。
「どっち?」
ユウは左右を見る。
「……どちらでも」
「じゃあ、どうする?」
月白が言った。
「今日は決めなくてもいいんじゃない?」
林夏が月白を見る。
「そうだな」
五人は橋の手前にあるベンチに座った。
誰も急がなかった。
紅葉が空を見る。
「こんなところで時間を潰していていいの?」
「いいんじゃない?」
林夏が答える。
「何かしなきゃいけない理由もないし」
「でも、敵が来るかもしれない」
「来たら、そのとき考える」
「……本当にそればかりね」
月白が笑った。
「でも、私は嫌いじゃない」
林夏が振り返る。
「何が?」
「その考え方」
「そう?」
「うん」
月白は川を見る。
「私、ずっと先のことを考えていたから」
「命軌?」
「それもある」
少し間を置く。
「どう生きるか。
誰といるか。
いつ離れるか。
いつ死ぬか」
月白は静かに言った。
「全部、先に決まっていると思ってた」
林夏は何も言わない。
「でも最近」
月白は笑った。
「今日何を食べるかとか」
「うん」
「どこへ行くかとか」
「うん」
「そういう小さなことを考えるのが、少し楽しい」
林夏はしばらく彼女を見ていた。
そして。
「じゃあ、今日は何食べたい?」
月白は考える。
「……甘いもの」
「珍しい」
「そう?」
「うん」
「じゃあ、甘いものを探そう」
「今から?」
「今から」
二人が立ち上がる。
紅葉が言った。
「ちょっと待って」
「何?」
「私たちは?」
林夏が振り返る。
「もちろん一緒」
「最初からそう言いなさい」
ユウが笑う。
「五人で行きましょう」
澪も立ち上がる。
「賛成です」
結局。
五人は橋を渡った。
どちらへ行くか決めないまま。
ただ。
そのとき最初に動いたのは月白だった。
そして、林夏がそれについていった。
誰かに命じられたわけではない。
命軌に書かれていたわけでもない。
ただ、その瞬間。
そうしたかった。
それだけだった。
⸻
住宅街の奥に、小さな菓子店があった。
看板には、
『月見堂』
と書かれている。
林夏が店を覗く。
「ここでいい?」
月白が頷く。
「うん」
店に入る。
小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
店員は年配の女性だった。
「五人?」
「はい」
女性は少し笑う。
「珍しい組み合わせね」
紅葉が眉を上げる。
「どういう意味?」
「なんとなく」
また。
なんとなく。
林夏が笑った。
「この街の人、それ好きですね」
「何が?」
「なんとなく」
女性は笑う。
「分からないことを、無理に説明する必要はないでしょう?」
月白が少し驚いた。
その言葉は。
どこかで聞いたことがある。
「……」
月白は店内を見回した。
壁には古い写真が飾られている。
写真には。
この店の前に立つ、若い女性が写っていた。
今の店員と、よく似ている。
「この写真」
月白が指差す。
「ああ」
店員が笑う。
「若い頃の私」
「同じ場所?」
「ええ」
「ずっとここに?」
「はい」
「どうして?」
店員は少し考えた。
「好きだったから」
「店が?」
「この場所が」
月白は写真を見る。
「……それだけ?」
「それだけ」
店員は笑った。
「人生なんて、案外そんなものですよ」
ユウがその言葉を聞いていた。
そして。
自分の端末を見る。
何も変わっていない。
【未来:未確定】
そのまま。
ユウは少し安心した。
何かを選ばなくても。
何かを変えなくても。
未来が消えない。
未来はまだ、そこにある。
⸻
帰り道。
夕方になっていた。
空が少し赤い。
五人は川沿いを歩いていた。
ユウが林夏に聞く。
「林夏さん」
「ん?」
「林夏さんは、将来どうしたいですか?」
林夏は少し考えた。
「修理屋」
「ずっと?」
「分からない」
「……」
「でも、今は好きだから」
ユウは頷いた。
「月白さんは?」
月白は少し考えた。
「分からない」
「紅葉さんは?」
「分からない」
「澪さんは?」
「分かりません」
ユウは笑った。
「みんな分からないんですね」
林夏が笑う。
「そういう日もある」
「じゃあ、俺も分からなくていい?」
「いいよ」
「本当に?」
「うん」
林夏は川を見る。
「決めたくなったら決めればいい」
ユウは頷いた。
「はい」
そのとき。
澪が突然立ち止まった。
「待ってください」
四人が振り返る。
澪は端末を見ていた。
「どうした?」
「ユウの命軌が、また変わりました」
ユウが驚く。
「何が?」
澪は画面を見せた。
【未来:未確定】
その下に。
新しい文字。
【次回選択:未設定】
紅葉が眉を寄せる。
「選択しなかったのに?」
「はい」
「じゃあ、何が変わったの?」
澪はしばらく画面を見ていた。
そして。
「何もしていないことが、記録されたようです」
林夏が笑った。
「それでいいじゃん」
ユウも笑った。
「はい」
夕方の川は静かだった。
五人はそのまま歩いた。
決めないまま。
急がないまま。
けれど。
その後ろでは。
誰にも見えない場所で。
一つの記録が消えていた。
【ユウ:二十七歳】
その文字が。
静かに消える。
代わりに。
新しい一行だけが残る。
【終点:未設定】
そして。
その記録を見た誰かが、初めて口にした。
「……終点そのものが消えた」
静かな部屋に。
その声だけが残った。




