第二十五章 選ばされること
翌朝。
ユウは、端末の画面を見つめていた。
【未来:未確定】
昨日と同じ文字。
何度見ても消えない。
「……本当に変わったんだ」
呟いた。
昨日まで、自分の未来には一つの線しかなかった。
二十七歳。
そこで終わる。
それが当たり前だった。
だから、怖かった。
でも今は。
何が起きるのか分からない。
それも、少し怖い。
「おはよう」
背後から声がした。
月白だった。
「おはようございます」
「眠れた?」
「まあまあです」
「そう」
月白は窓を開けた。
朝の風が入ってくる。
「いい天気」
「昨日まで雨だったのに」
「この街は天気まで普通なのね」
「普通って便利ですよね」
ユウが言った。
月白は笑った。
「そうだね」
そのとき。
部屋の扉が開いた。
林夏が顔を出す。
「朝飯」
「早い」
「腹が減った」
「それだけ?」
「それが一番大事」
紅葉が後ろから言った。
「あなたは本当に変わらないわね」
「変わる必要ある?」
「……ないかもしれないけど」
五人は食堂へ向かった。
昨日と同じ店。
青空食堂。
店員はいつものように笑った。
「いらっしゃいませ」
「五人です」
林夏が言う。
店員は少し驚いた。
昨日は四人だった。
「増えましたね」
「はい」
ユウが答える。
「今日から一緒です」
「そうですか」
店員は笑った。
「では、こちらへ」
五人は席についた。
林夏がメニューを見る。
「今日は何にするかな」
「昨日と同じでいいんじゃない?」
月白が言う。
「いや、今日は違うものにする」
「どうして?」
「昨日は昨日だから」
紅葉が笑った。
「意味が分からない」
「今日の選択は今日のもの」
ユウが小さく笑った。
「じゃあ、俺も違うものにします」
「何にする?」
「まだ決めてません」
「じゃあ、ゆっくり決めればいい」
林夏はメニューを渡した。
「誰にも急かされないから」
その瞬間。
店内の時計が止まった。
カチッ。
針が動かない。
誰も気づかなかった。
ただ。
澪だけが顔を上げた。
「……止まりました」
「何が?」
「時間」
紅葉が窓の外を見る。
車が止まっている。
通行人も止まっている。
鳥も空中で止まっている。
店員も。
五人以外、すべてが止まっていた。
「……何これ」
ユウの声が震える。
林夏が立ち上がる。
「澪」
「はい」
「これ、命軌?」
「違います」
「じゃあ何?」
澪は端末を見る。
画面に一行だけ表示されていた。
【選択干渉開始】
月白の表情が変わった。
「……来た」
紅葉が武器に手をかける。
「誰が?」
澪は答えた。
「命運修正機構です」
林夏は店の外を見る。
誰も動かない。
しかし。
道路の向こうに、一人だけ立っていた。
黒い服。
白い手袋。
そして、無表情な男。
男はゆっくり歩いてくる。
店の扉を開けた。
鈴が鳴る。
「こんにちは」
誰も答えない。
男は五人を見る。
「ユウ」
ユウの肩が震えた。
「……誰?」
「あなたの命軌管理を担当しています」
「俺の?」
「はい」
男は端末を取り出した。
「昨日、命軌に変動が確認されました」
ユウは黙った。
「そのため、確認に来ました」
「何を?」
「あなたが、何を選んだのか」
ユウは答えなかった。
男は続ける。
「あなたの命軌は正常でした」
「はい」
「二十七歳で終了する」
「……はい」
「それが正常です」
月白が立ち上がった。
「正常?」
男は彼女を見る。
「はい」
「死ぬことが?」
「命軌に定められていることが正常です」
紅葉が笑った。
「相変わらずね」
男は紅葉を見る。
「あなたの命軌も正常ではありません」
「知ってる」
「なら、干渉しないでください」
「嫌よ」
男は林夏を見る。
「あなたは?」
「俺?」
「彼に干渉しましたね」
林夏は首を振った。
「してない」
「では、何をした?」
「何も」
「何も?」
「自分で決めろって言っただけ」
男は少し黙った。
「それが干渉です」
林夏の表情から笑みが消えた。
「違う」
「何が?」
「決めたのは俺じゃない」
林夏はユウを見る。
「ユウだ」
男はユウを見る。
「あなたは、彼の言葉を聞いた」
「はい」
「そして選択した」
「はい」
「ならば、彼の影響によって命軌が変動した」
林夏は言った。
「それを言うなら」
少し間を置く。
「誰かの言葉を聞いたら、全部その人の選択になるのか?」
男は答えなかった。
林夏が続ける。
「だったら、人間は誰も自分で選べないだろ」
店内が静まり返る。
男はユウを見る。
「では、質問します」
「……はい」
「あなたは、二十七歳で死ぬことを受け入れますか?」
ユウは固まった。
「……」
男は続ける。
「受け入れるなら、命軌は元に戻ります」
「元に?」
「はい」
「戻らなかったら?」
「不安定になります」
「どうなる?」
「あなた自身が、あなたの命軌から外れます」
ユウは息を呑んだ。
紅葉が男を睨む。
「脅しているの?」
「事実を説明しています」
「同じことでしょう」
男は反応しない。
「ユウ」
男がもう一度呼ぶ。
「選んでください」
店の中に。
静かな声が落ちた。
「二十七歳で終わる人生を受け入れるか」
「それとも」
男の端末に新しい表示が出る。
【命軌から離脱する】
「自分の未来を失うか」
ユウは画面を見た。
二つの選択肢。
受け入れる。
離れる。
どちらも簡単ではない。
林夏は何も言わない。
月白も。
紅葉も。
澪も。
誰も助け舟を出さなかった。
ユウは拳を握った。
「……それ」
男を見る。
「本当に二つしかないんですか?」
男は答えなかった。
ユウは続ける。
「受け入れるか、捨てるか」
「はい」
「だったら」
ユウは少し笑った。
「どっちも選びません」
男の表情が初めて変わった。
「……何?」
「俺は、まだ決めてない」
「選択してください」
「嫌です」
「命軌は不安定になります」
「それでも」
ユウは顔を上げた。
「今ここで、誰かに決められるのは嫌です」
その瞬間。
端末が激しく点滅した。
【選択:拒否】
【既存選択肢:該当なし】
【新規選択:発生】
男が一歩下がる。
「……あり得ない」
林夏が笑った。
「五つ目だな」
澪が画面を見る。
「いえ」
「違う?」
「これは……」
澪は言葉を失った。
画面には。
【選択肢:自分で決める】
と表示されていた。
誰かに用意された選択肢ではない。
ユウ自身が作った選択だった。
その瞬間。
止まっていた時計が動き始める。
カチッ。
街の音が戻る。
車が走る。
人々が歩く。
鳥が飛ぶ。
店員が厨房から出てくる。
「お待たせしました」
何も起きなかったかのように。
普通の街が戻ってきた。
男だけが、その場に立っていた。
ユウを見る。
そして、初めて少しだけ困った顔をした。
「……あなたは」
言葉が続かない。
ユウは聞いた。
「何?」
男は答えなかった。
ただ、端末を閉じる。
「観測を継続します」
「それだけ?」
「はい」
「また来る?」
男は扉へ向かった。
「必要になれば」
扉が開く。
外へ出る。
そして。
一度だけ振り返る。
「次は、選択肢を三つ用意します」
林夏が笑う。
「それなら四つ目を作ればいい」
男は何も言わず、去っていった。
ユウはしばらく黙っていた。
月白が隣に立つ。
「怖かった?」
「はい」
「私も」
「え?」
月白は少し笑った。
「怖くない人なんて、たぶんいないよ」
ユウは頷いた。
そして、メニューを見る。
「……じゃあ」
「うん?」
「何を食べよう」
林夏が笑う。
「それは自分で決めろ」
ユウも笑った。
「はい」
五人の前には、まだメニューがある。
選択肢はたくさんある。
けれど。
その中に書かれていないものを選ぶこともできる。
それを。
五人は少しずつ理解し始めていた。




