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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第二十一章 普通の街、普通の人

街は、驚くほど普通だった。


朝の通りには人が歩いている。


店の前には商品が並び、道路には車が走っている。


パン屋からは焼きたての匂いが流れてくる。


学生らしい少年たちが笑いながら通りを走り、年配の女性が買い物袋を抱えて歩いている。


誰も、林夏たちを見ていなかった。


「……普通だな」


林夏が言った。


「だから?」


紅葉が聞く。


「いや」


林夏は周囲を見回した。


「普通って、いいなと思って」


月白も街を見る。


「本当に普通」


「昨日までいた場所とは全然違うね」


「うん」


澪は歩きながら、建物を一つずつ見ていた。


「でも、不自然です」


紅葉が振り返る。


「どこが?」


「人が多すぎる」


「それの何が不自然なの?」


「第零街区には、人がほとんどいませんでした」


「ここは普通の街だからでしょう」


「そうかもしれません」


澪は頷いた。


「でも、全員が私たちを一度も見ていません」


四人は立ち止まった。


確かにそうだった。


道を歩いている人。


店員。


子供。


車を運転している人。


誰一人として、四人を気にしていない。


林夏は手を振った。


「こんにちは」


通り過ぎた男性は、何も反応しない。


「こんにちは」


今度は若い女性。


やはり反応がない。


紅葉が少し不機嫌になる。


「無視されてる?」


「そうかもしれない」


「気分が悪いわね」


「でも、敵意はない」


澪が言った。


「敵意がないのと、認識されていないのは違います」


月白が周囲を見る。


「私たちが見えていない?」


「可能性があります」


林夏は少し考えた。


そして、道端に落ちていた小さな石を拾った。


「じゃあ、これは?」


「何をするつもり?」


紅葉が聞く。


林夏は石を道路に転がした。


コロコロと転がった石は、歩いてきた男の足元に当たった。


男が止まる。


「……?」


男は足元を見る。


石を拾う。


そして、道端に戻した。


それだけだった。


林夏は首を傾げる。


「石は見える」


「私たちは見えない」


月白が言った。


「そうみたい」


林夏は少し考えた。


「透明人間みたいだな」


「笑ってる場合?」


「便利じゃん」


「何が?」


「買い物するとき、並ばなくていい」


「最低ね」


紅葉が呆れた。


そのとき、林夏の腹が鳴った。


グゥ。


四人が同時に林夏を見る。


「……」


「……」


林夏は咳払いをした。


「朝飯食べたけど」


紅葉がため息をつく。


「まだ食べるの?」


「食べる」


「さっきまで食べてたでしょう」


「朝は朝」


「今も朝よ」


「じゃあ朝飯その二」


月白が笑った。


「この街に食堂があるか探してみようか」


「月白は優しいな」


「そういうつもりじゃ……」


「私は賛成です」


澪が言った。


「この街に食事を提供する施設が存在するか確認できます」


紅葉は三人を見る。


「……分かったわよ」


四人は再び歩き始めた。


しばらくして、一軒の小さな食堂を見つけた。


店の名前は、


『青空食堂』


だった。


林夏が扉を開ける。


「いらっしゃいませ!」


今度は声が返ってきた。


四人が同時に止まった。


店員の女性が笑っている。


「四名様ですか?」


林夏は目を丸くした。


「……俺たちが見える?」


「はい?」


女性は不思議そうな顔をした。


「どうかされました?」


「いや……」


林夏は月白たちを見る。


月白も驚いている。


紅葉は警戒している。


澪は店員をじっと観察していた。


「四人です」


林夏が答えた。


「では、こちらへどうぞ」


四人は席に座った。


店員が水を置く。


四つのコップ。


普通だった。


あまりにも普通だった。


「何にしますか?」


林夏がメニューを見る。


「ラーメンある?」


「ありますよ」


「じゃあ、それ」


「私は定食」


月白が言った。


「私は魚」


紅葉。


「私は同じものを」


澪。


注文を終える。


店員は厨房へ戻っていった。


林夏は小声で言った。


「……この人、俺たちが見えてるよな?」


「見えていると思います」


澪が答える。


「なぜ?」


「分かりません」


「またそれか」


「でも、一つだけ分かります」


澪は店内を見回した。


「この店の人間だけ、私たちを認識しています」


紅葉が眉を寄せた。


「つまり、条件がある?」


「おそらく」


月白が窓の外を見る。


「この街の人全員が私たちを見えないわけじゃない」


「そういうこと」


林夏はメニューを閉じた。


「じゃあ、この店に何かあるのかな」


そのとき、厨房から店員の女性が出てきた。


料理を持っている。


「お待たせしました」


ラーメン。


定食。


焼き魚。


そして、澪の定食。


四人の前に料理が並んだ。


林夏はすぐに箸を取った。


「いただきます」


「いただきます」


月白たちも続いた。


普通の味だった。


特別に美味しいわけではない。


けれど、林夏は満足そうだった。


「うまい」


月白が笑う。


「普通なのに?」


「普通だからいいんだよ」


店員の女性が少し笑った。


「変わったお客さんですね」


林夏は顔を上げる。


「そうですか?」


「ええ」


「どこが?」


女性は少し考えた。


「四人とも、どこか不思議な感じがします」


紅葉が箸を止めた。


「……私たちのこと、何か知ってる?」


女性は首を傾げた。


「いいえ」


「じゃあ、どうして?」


「分かりません」


その言葉に、澪が顔を上げた。


「分からない?」


「はい」


女性は笑った。


「でも、分からないことって、そんなに珍しくないでしょう?」


誰も答えなかった。


女性は厨房へ戻っていった。


林夏はラーメンを食べながら言った。


「この人、普通だな」


「普通すぎる」


紅葉が言う。


月白は女性の背中を見ていた。


「でも、嫌な感じはしない」


「うん」


林夏も頷いた。


そのとき。


店の壁に小さな時計があることに気づいた。


普通の時計だった。


しかし、その時計の横に、小さな紙が貼られていた。


『今日のおすすめ』


林夏が見る。


そこには、


『自分で選んだもの』


と書かれていた。


「……」


林夏は黙った。


月白も気づいた。


「また、選択」


「この街は本当に好きだな」


紅葉が呟く。


しかし、今回は違った。


文字の下には、何もない。


選択肢もない。


説明もない。


ただ、


『自分で選んだもの』


それだけだった。


林夏はラーメンを見た。


「俺、これ自分で選んだ」


月白は定食を見る。


「私も」


紅葉も自分の魚を見る。


「私も」


澪は箸を持ったまま、


「私もです」


四人は顔を見合わせた。


そして、同時に笑った。


その瞬間。


店の外を歩いていた一人の少年が、突然立ち止まった。


少年は店の中を見る。


四人の姿を見た。


そして、目を見開いた。


「……見える」


小さな声だった。


林夏は振り返った。


少年と目が合う。


今度は、確かに。


見えていた。


少年は驚いたように後ずさった。


そして、走って逃げていった。


「……」


四人は黙っていた。


紅葉が立ち上がる。


「追う?」


林夏は首を横に振った。


「いや」


「どうして?」


「怖がってたから」


月白が彼を見る。


「追わないの?」


「追われるの、嫌だろ」


「……うん」


林夏は残ったラーメンを食べた。


「そのうち、また会うかもしれない」


その言葉を聞いた瞬間。


店の奥で、時計が一度だけ鳴った。


カチッ。


誰も気づかなかった。


ただ、壁に貼られていた紙の裏側。


そこに新しい文字が浮かんでいた。


【認識者:一名】


【接触:未成立】


【選択:保留】


そして、その下に小さく。


【観測者:継続】


第零街区の外。


誰も知らない場所で。


一冊の記録簿が静かに閉じられた。


そのページには、四人ではなく。


五人目の名前が記されていた。


少年の名前。


そして、その横には一つの言葉。


【命軌:正常】


その記録を見た人物は、しばらく黙っていた。


やがて、静かに呟く。


「正常な命軌を持つ人間が、彼らを認識した……」


誰も答えない。


人物は記録簿を閉じる。


「なら、問題は彼らではない」


窓の外を見る。


普通の街。


普通の人々。


普通の朝。


「この街そのものだ」


その言葉だけが、静かな部屋に残った。

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