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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第十八章 選んだあとに残るもの

第零街区には、食堂が三軒あった。


林夏が数えた結果だった。


「三軒しかない」


「十分でしょう」


澪が言った。


「そうかな」


林夏は一軒目の看板を見上げた。


『食事処 朝』


二軒目。


『食事処 昼』


三軒目。


『食事処 夜』


林夏はしばらく黙った。


「……分かりやすいな」


「何が?」


紅葉が聞く。


「店の名前」


「そのままじゃない」


「でも、夜の店が今開いてる」


「それが?」


「朝なのに」


紅葉は少し考えた。


「……第零街区だからじゃない?」


「便利な言葉だな、第零街区」


月白が小さく笑った。


「じゃあ、朝の店に入る?」


「うん」


林夏は即答した。


四人は『食事処 朝』の扉を開けた。


中には誰もいなかった。


店内には四つの机。


壁には時計。


厨房には誰もいない。


それなのに、湯気だけが立っていた。


林夏は厨房を覗き込んだ。


「誰かいる?」


返事はない。


「無人なのに料理がある」


澪が言った。


「食べていいのかな」


「やめておいたほうがいいんじゃない?」


月白が言った。


「どうして?」


「誰が作ったか分からないから」


「でも腹は減ってる」


「それは理由にならないわ」


紅葉が腕を組む。


林夏は机の上に置かれた料理を見つめた。


白いご飯。


味噌汁。


焼いた魚。


そして、卵焼き。


普通の朝食だった。


あまりにも普通だった。


「……逆に怪しいな」


「何が?」


「普通すぎる」


林夏がそう言った瞬間、店の奥から声がした。


「食べてもいいですよ」


四人が一斉に振り向いた。


誰もいない。


声だけだった。


「誰?」


月白が尋ねる。


「この店の人間です」


「どこにいるの?」


「そこにはいません」


「……どういうこと?」


林夏が首を傾げる。


声は答えなかった。


代わりに、壁の時計が動いた。


午前八時。


針が止まる。


そして、壁に文字が浮かんだ。


【注文を選択してください】


林夏は笑った。


「また選択かよ」


紅葉が嫌そうな顔をする。


「この街、選択が好きすぎるでしょう」


「仕方ない」


澪が壁を見る。


「この街は、私たちの選択を記録しています」


「食事まで記録するの?」


「かもしれません」


林夏は少し考えた。


そして、壁に向かって言った。


「じゃあ、四人分」


文字が変わった。


【四人分】


【確認】


【選択者:林夏】


林夏は眉を上げた。


「……俺だけ?」


月白が気づいた。


「他の三人には表示されていない」


紅葉も自分の前の壁を見る。


何もない。


「本当ね」


林夏は笑った。


「じゃあ俺が決めちゃっていい?」


「待って」


月白が言った。


「今度は、私が決めたい」


林夏は彼女を見る。


月白は少し照れたように視線を逸らした。


「……さっき、自分で選ぶって決めたから」


「そっか」


林夏はすぐに頷いた。


「じゃあ、月白に任せる」


「本当に?」


「うん」


月白はメニューを見た。


といっても、紙に書かれているのは三つだけだった。


朝定食。


卵焼き定食。


白米。


月白は少し悩んだ。


「……卵焼き」


「四人とも?」


「うん」


「理由は?」


月白は卵焼きを見た。


「昨日、紅葉が食べていたから」


紅葉が驚いた顔をした。


「私?」


「昨日、食べてたでしょう」


「……よく見てたわね」


「見ていたというか……」


月白は少し言葉を探した。


「美味しそうだったから」


林夏が笑う。


「じゃあ、四人とも卵焼きで」


【注文を確認】


【卵焼き定食 四人】


文字が消える。


厨房から音がした。


包丁。


皿。


鍋。


そして、少し遅れて料理が運ばれてきた。


誰もいないのに。


四人は黙って料理を見た。


「……食べる?」


林夏が言った。


紅葉は少し警戒した。


「先にあなたが」


「いいよ」


林夏は箸を取った。


卵焼きを一口食べる。


「うまい」


その一言で、紅葉も箸を取った。


月白も続いた。


澪は最後だった。


「……美味しい」


「だろ?」


林夏が笑う。


「普通の卵焼きだけど」


「普通がいいんじゃない?」


月白が言った。


林夏は彼女を見る。


月白は卵焼きを小さく切って食べていた。


「普通?」


「うん」


彼女は少し考えてから言った。


「命軌とか、運命とか、世界とか……そういうことを考えないで食べられるものって、今まであまりなかったから」


林夏は何も言わなかった。


紅葉も箸を止めた。


澪だけが静かに食べ続けていた。


しばらくして、月白が顔を上げる。


「どうしたの?」


「いや」


林夏は笑った。


「卵焼き、もう一個頼もうかなって」


「食べすぎじゃない?」


紅葉が呆れる。


「いいじゃん」


「朝から三人前は食べすぎよ」


「三人前じゃない」


林夏は指を折った。


「二人前」


「私の分まで計算に入れないで」


「じゃあ一人前半」


「減っただけでしょう」


月白が笑った。


その笑い声は、昨日までより少し自然だった。


その瞬間。


店の壁に、小さな文字が浮かんだ。


【記録】


【月白】


【幸福反応:観測】


月白の笑顔が止まった。


林夏も文字を見る。


「……幸福反応?」


紅葉が立ち上がった。


「どういう意味?」


返事はない。


澪は壁に近づいた。


「観測者が見ています」


「どこから?」


「分かりません」


「なら、探せる?」


「今は無理です」


紅葉は舌打ちした。


「結局、何も分からないじゃない」


林夏は壁を見たまま言った。


「でも、一つ分かった」


「何?」


「こいつらは俺たちの戦いだけを見てるんじゃない」


月白が振り向く。


林夏は卵焼きを指差した。


「こういう時間まで見てる」


店の空気が少し変わった。


誰も話さなくなった。


しばらくして、月白が静かに言った。


「……嫌だな」


林夏が彼女を見る。


「何が?」


「誰かに見られていること」


月白は手を握った。


「また、私たちの人生を誰かに決められる気がする」


林夏は少し考えた。


そして、壁の文字に向かって言った。


「じゃあ、見てればいい」


紅葉が驚く。


「林夏?」


「見てるだけなら、好きにすればいい」


林夏は立ち上がった。


「俺たちは俺たちで決めるから」


文字は消えなかった。


代わりに、別の文字が浮かんだ。


【了解】


たった二文字だった。


林夏は眉を寄せた。


「……了解って」


紅葉が壁を見る。


「観測者からの返事?」


「たぶん」


澪が言った。


「敵なら、わざわざ返事をする必要はありません」


「敵じゃないとも限らないでしょう」


「はい」


「……あなた、本当に容赦ないわね」


「事実です」


四人は店を出た。


外は相変わらず静かだった。


けれど、昨日までとは少し違う。


通りの端に、人影があった。


黒い服。


長い髪。


顔は見えない。


林夏が足を止める。


「誰?」


人影は答えなかった。


月白が一歩前へ出ようとした。


そのとき、林夏が彼女の腕を軽く止めた。


「待って」


「……うん」


人影は四人を見ていた。


しばらくすると、ゆっくり背を向ける。


そして、角を曲がった。


林夏たちは追わなかった。


「追わないの?」


紅葉が聞いた。


「追う理由がない」


「逃げられるかもしれない」


「別にいい」


「……本当に?」


林夏は笑った。


「自分から近づいてくるまで待てばいいだろ」


月白はその横顔を見た。


少しだけ安心したように。


そして、ほんの少しだけ近くに立った。


二人の肩が触れそうになった。


紅葉はそれに気づいた。


澪も気づいた。


林夏だけが気づいていなかった。


紅葉は何も言わなかった。


澪も何も言わなかった。


ただ、四人は再び歩き始めた。


その頃。


第零街区のどこか。


誰もいない部屋の中で、一人の人物が四人の記録を見ていた。


画面には、四人の名前が並んでいる。


林夏。


月白。


紅葉。


澪。


その横に、新しい項目が追加されていた。


【共同因果】


【安定度:上昇】


【選択干渉:不要】


人物は画面を見ながら、静かに呟いた。


「……干渉しなくても、選べるのか」


その声には、敵意がなかった。


驚きだけがあった。


画面の最後に、一つの記録が表示される。


【観測者:選択を継続】


人物はその文字を見つめる。


そして、画面を閉じた。


「なら、もう少し見ていよう」


第零街区の時計が、また一度だけ鳴った。


カチッ。


誰かの選択を記録する音だった。

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