第十七章 誰と歩くかを決める
時計の針が止まった。
第零街区の中心にある巨大な時計は、長い沈黙のあと、ゆっくりと一度だけ動いた。
カチッ。
その音が街全体に響いた。
誰もいないはずの通りに、薄い光が走る。
建物の壁。
道路。
閉じられた窓。
そして、四人の足元。
白い線が一本ずつ伸びていった。
林夏は自分の足元を見た。
「……何これ?」
「選択を記録する、と言っていました」
澪が答えた。
「それは聞いた。でも、何を選ぶんだ?」
「さあ」
「さあ、なんだ」
「私にも分かりません」
「じゃあ、聞いても意味ないじゃん」
「そうですね」
澪は真顔で答えた。
林夏は少しだけ考えた。
「……なんか、君って意外と冷たいよね」
「よく言われます」
「誰に?」
「誰にも」
「それ、言われてないじゃん」
澪は少し考えてから、
「では、今が初めてです」
「記念すべき一回目だな」
そのやり取りを聞いて、紅葉が小さくため息をついた。
「こんな状況でよくくだらない話ができるわね」
「こんな状況だからだろ」
林夏はそう言って、空を見上げた。
第零街区の空には雲がなかった。
それなのに、空はどこか薄暗い。
まるで朝なのに、夜の続きを見ているようだった。
月白は少し離れた場所に立っていた。
彼女の足元にも、白い線が伸びている。
けれど、その線だけは途中で何度も揺れていた。
まっすぐ進むこともあれば、突然別の方向へ曲がることもある。
林夏はそれを見た。
「月白」
「……何?」
「その線、変じゃない?」
月白は自分の足元を見た。
「私の命軌と似ている」
「やっぱり?」
「でも、前とは違う」
「どう違う?」
「分からない」
月白は少し黙った。
「ただ……」
「ただ?」
「以前は、私の未来には最初から道があった」
彼女は白い線を見つめた。
「今は、道そのものが決まっていないみたい」
林夏は笑った。
「それなら、悪くないじゃん」
月白は彼を見る。
「どうして?」
「だって、道が決まってないなら、自分で決められるだろ」
月白は答えなかった。
紅葉が腕を組んだ。
「簡単に言うわね」
「簡単じゃない?」
「私はそう思わない」
紅葉の足元にも白い線がある。
しかし、その線は彼女の前で三つに分かれていた。
一つは北。
一つは南。
もう一つは、林夏たちのいる方向。
紅葉はそれを見て、少しだけ眉を寄せた。
「……これ、私に選べってこと?」
「たぶん」
「何を?」
「さあ」
林夏が答えた。
「お前まで分からないのか!」
「いや、俺は最初から分かってない」
「威張るな!」
紅葉が怒鳴る。
その声が街に響いた。
すると、遠くから機械音が聞こえてきた。
カチ。
カチ。
カチ。
建物の壁に、黒い文字が浮かび上がる。
【選択対象を確認】
【対象:紅葉】
紅葉の表情が変わった。
続いて、二行目が表示された。
【選択肢】
【帰還】
【同行】
【離脱】
紅葉は黙った。
林夏も黙った。
月白が彼女を見る。
「紅葉……」
「何も言わないで」
紅葉は静かに言った。
「これは私の選択なんでしょう?」
「そうだな」
林夏は頷いた。
「じゃあ、俺は何も言わない」
紅葉は少し驚いたように彼を見た。
「……本当に?」
「うん」
「帰れって言わないの?」
「言わない」
「一緒に来いとも?」
「言わない」
「私が敵に戻るかもしれないのよ」
「そうかもしれない」
「あなたを殺すかもしれない」
「それもあるかもな」
「それでも?」
「それでも、お前が決めることだろ」
紅葉はしばらく林夏を見つめた。
そして、小さく笑った。
「……本当に変な男」
「よく言われる」
「誰に?」
「月白」
「私は言ってない」
月白がすぐに否定した。
「え?」
「まだ一度も」
「……そうだっけ?」
「うん」
紅葉は思わず笑った。
ほんの一瞬だった。
けれど、その瞬間、彼女の足元にあった三本の線のうち、一本が消えた。
【選択肢変更】
【帰還】
【同行】
紅葉はその表示を見た。
「……減った?」
澪が答えた。
「あなたが笑ったからかもしれません」
「そんなわけないでしょう」
「可能性はあります」
「適当ね」
「観測できた事実を言っただけです」
紅葉はしばらく考えた。
そして、前へ一歩進んだ。
「同行」
白い文字が消える。
次の瞬間、紅葉の足元から伸びていた線が、林夏たちのいる方向へつながった。
街が静かになった。
林夏笑った。
「決めたな」
「勘違いしないで」
紅葉はそっぽを向いた。
「あなたについていくと決めたわけじゃない」
「じゃあ?」
「月白についていくのよ」
月白が少し驚く。
「私?」
「あなたがここにいるから」
紅葉は少しだけ間を置いた。
「……それだけ」
林夏は何も言わなかった。
月白も何も言わなかった。
ただ、二人の間に流れる空気が少しだけ変わった。
そのときだった。
街の中央から、また機械音が響いた。
【次の選択対象】
【月白】
月白の表情が固まった。
彼女の足元に、新しい文字が浮かび上がる。
【選択肢】
【帰還】
【林夏と同行】
【単独行動】
月白は動かなかった。
林夏も何も言わなかった。
けれど、紅葉が林夏を見る。
「……何も言わないの?」
「言わない」
「本当に?」
「うん」
「あなた、こういうときだけ妙に真面目ね」
「俺だって真面目なときはある」
「少ないけどね」
「ひどいな」
月白は二人の会話を聞いていた。
そして、自分の足元を見る。
【帰還】
その文字を見た瞬間、彼女の胸の奥に、古い記憶が浮かんだ。
雨。
白い傘。
幼い自分。
そして、白澤の声。
――大丈夫。
――僕がいる。
月白は目を閉じた。
その言葉は、昔の彼女にとって確かなものだった。
守ってくれる人がいる。
帰る場所がある。
決めてくれる人がいる。
それは、安心だった。
けれど今は違う。
安心と、自分で決めることは、同じではない。
月白は目を開いた。
そして、林夏を見た。
彼は何も言わずに立っている。
助けようともしていない。
引き止めようともしていない。
ただ、待っている。
そのことが、なぜか少し嬉しかった。
月白はゆっくり口を開いた。
「林夏」
「ん?」
「もし私が、一人で行くと言ったら?」
「そうするんじゃない?」
「止めないの?」
「止めてほしいの?」
月白は一瞬、言葉を失った。
紅葉が小さく笑った。
「……それはずるいわね」
「何が?」
「それを本人に聞くの」
「だって本人のことだろ」
月白は俯いた。
そして、少しだけ笑った。
「……そうね」
彼女は一歩前へ進んだ。
【選択】
【林夏と同行】
文字が静かに消えた。
林夏は目を丸くした。
「本当に俺と?」
「うん」
「理由は?」
月白は少し考えた。
「分からない」
「分からない?」
「でも……」
彼女は林夏を見る。
「あなたと一緒にいることを、自分で選びたかった」
林夏はしばらく黙っていた。
そして、いつものように笑った。
「そっか」
それ以上は言わなかった。
月白も、それ以上は求めなかった。
ただ、二人の足元にあった白い線が、一本につながった。
澪はその光景を見ていた。
「……不思議ですね」
「何が?」
林夏が振り向く。
「あなたたちは、お互いの選択を邪魔しない」
「それが普通じゃない?」
「普通、ですか」
澪はその言葉を小さく繰り返した。
そして、自分の足元を見る。
そこには何もなかった。
選択肢もない。
線もない。
文字すらない。
澪は少しだけ首を傾げた。
「私には、選択肢が表示されません」
「じゃあ、俺たちと一緒にいればいい」
林夏が言った。
「……それは選択では?」
「そうなの?」
「たぶん」
「じゃあ、選べばいいじゃん」
澪は林夏を見た。
月白を見る。
紅葉を見る。
そして、誰もいない街を見る。
しばらく考えてから、彼女は言った。
「では、今は一緒にいます」
その瞬間。
澪の足元に、初めて一本の線が現れた。
【選択済み】
林夏はそれを見て笑った。
「ほら」
「何が?」
「ちゃんと選べたじゃん」
澪は自分の足元を見た。
「……そうですね」
そのとき、街の中央にある巨大な時計が再び動いた。
カチ。
長い針が一つ進む。
そして、時計の下に新しい文字が浮かんだ。
【第一回選択記録】
【結果】
【四名、共同行動を選択】
林夏は首を傾げた。
「四名?」
紅葉も眉を寄せる。
「私たち四人だけでしょう」
月白は時計を見上げた。
「違う」
「え?」
「記録されているのは、私たち四人だけじゃない」
彼女の視線の先。
巨大な時計の文字盤に、五つ目の小さな光が灯っていた。
誰の名前もない。
誰の姿もない。
ただ一つだけ。
【観測者】
と表示されていた。
林夏はそれを見て、少し考えた。
「……腹減った」
紅葉が振り返る。
「今?」
「今」
「あなた、緊張感というものがないの?」
「あるよ」
「どこに?」
「腹の中」
「それは空腹でしょうが!」
月白忍不住笑了。
澪也看着他们。
然后,第一次主动说:
「那就去吃饭吧。」
三个人同时看向她。
澪面无表情地补充。
「林夏说的。」
林夏愣了一下。
「……你学会了啊。」
第零街区的清晨里,四个人朝着没有地图的街道走去。
没有人知道前面有什么。
也没有人知道所谓的“观测者”是谁。
但至少这一次,他们不是被命运推着走。
他们自己选择了方向。




