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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第十六章 存在しない街の朝

 朝。


 林夏は、聞き慣れない音で目を覚ました。


 カン。


 カン。


 遠くで、金属を叩くような音がする。


「……何だ?」


 林夏はゆっくり起き上がった。


 床を見る。


 紅葉が寝ている。


 壁際では、月白と澪がまだ眠っていた。


 昨日の夜。


 老人から借りた小さな部屋。


 狭い。


 古い。


 でも。


 不思議なくらい安心できた。


 林夏は立ち上がり、窓を開けた。


 朝の街が見える。


 昨日と同じ。


 誰もいない。


 信号だけが、律儀に色を変えている。


 赤。


 青。


 赤。


「……誰もいないのに」


 林夏は呟いた。


「ちゃんと信号は動くんだな」


「そういうところが気になるの?」


 背後から声がした。


 紅葉だった。


「おはよう」


「おはよう」


「何を見てるの?」


「街」


「何か見つかった?」


「何も」


「なら、寝てれば?」


「もう目が覚めた」


 紅葉は窓の外を見る。


「ここ、本当に変な場所」


「うん」


「怖くない?」


「怖いよ」


「……」


「でも、昨日よりはマシ」


「なぜ?」


 林夏は少し考える。


「昨日は、どこに逃げればいいか分からなかった」


「今は?」


「ここに逃げてきた」


 紅葉は少し黙った。


「……そう」


 それだけ言って、窓から離れた。


 そのとき。


「おはよう」


 月白が起きた。


「おはよう」


 林夏が振り返る。


 月白はまだ少し眠そうだった。


「澪は?」


「まだ寝てる」


「起こす?」


「もう少し寝かせてあげよう」


 月白は頷いた。


「うん」


 三人は部屋を出た。


 一階の喫茶店には、昨日の老人がいた。


「おはよう」


「おはようございます」


 老人は四人分の朝食を用意していた。


「食事代は?」


 紅葉が聞く。


「いらない」


「どうして?」


「この街では、金に意味がないからね」


 林夏がパンを手に取る。


「じゃあ、何に意味があるの?」


 老人は少し考えた。


「選んだこと」


「選んだこと?」


「ここでは、それだけが残る」


 林夏はパンをかじった。


「難しいな」


「そうかい?」


「うん」


 老人は笑った。


「君は難しいことを、難しいままにしておくのが上手だね」


「褒められてる?」


「そう思っていい」


 月白が老人に聞く。


「第零街区について教えてください」


 老人の手が止まった。


「誰から聞いた?」


「昨日、あなたから」


「そうだったね」


 老人はカウンターの奥から古い地図を取り出した。


 机の上に広げる。


「この街は、昔から存在していたわけじゃない」


「いつできた?」


「分からない」


「誰が作った?」


「それも分からない」


「じゃあ、何が分かる?」


 紅葉が尋ねる。


 老人は地図を指でなぞった。


「この街に来た人間は、みんな何かを失っている」


「何を?」


「人によって違う」


 老人は言った。


「記憶を失った者」


「名前を失った者」


「帰る場所を失った者」


「そして――」


 老人の指が、地図の中央で止まる。


「自分の命軌を失った者」


 月白の表情が変わった。


「命軌を失ったら、どうなるんですか?」


「分からない」


「また……?」


 林夏が呟く。


 老人は頷いた。


「命軌がなくなるというのは、未来がなくなることじゃない」


「じゃあ?」


「未来を決めるものがなくなるということだ」


 四人は黙った。


 澪が口を開く。


「……それなら、自由なの?」


 老人は彼女を見る。


「自由かどうかは、自分で決めるしかない」


 澪は何も言わなかった。


 林夏が地図を見る。


「この街から出ることはできる?」


「できるよ」


「どうやって?」


「出口を見つければいい」


「どこにある?」


「毎日変わる」


「……面倒だな」


 紅葉が呆れた。


「だから、ここに住む人間が少なくなったんだ」


「違う」


 老人は首を横に振った。


「住む人間がいなくなったんじゃない」


 四人を見る。


「帰れる人間がいなくなったんだ」


 その言葉だけが。


 妙に重かった。


 朝食が終わったあと。


 四人は街を歩くことにした。


 老人から借りた地図を持って。


 林夏が先頭。


 月白が隣。


 紅葉と澪が後ろを歩く。


「ここ、何かある」


 林夏が古い建物の前で止まった。


 看板には。


 ――市役所。


「誰もいないのに?」


 月白が言う。


「だから気になる」


 中に入る。


 受付。


 机。


 書類棚。


 すべて埃をかぶっている。


 林夏が一枚の書類を拾った。


「……住民票?」


 月白が覗き込む。


「名前がない」


 紅葉が言う。


「住所だけ書かれてる」


「どうして?」


 澪が聞く。


 林夏は別の書類を拾った。


 そこにも。


 名前がない。


 住所だけ。


 生年月日だけ。


 性別だけ。


 しかし。


 名前だけが空欄になっている。


「この街の人は、名前を持たないの?」


 月白が聞く。


「たぶん」


 林夏は答えた。


 そのとき。


 奥の部屋から音がした。


 ――カタン。


 四人が振り返る。


 紅葉が刀を抜く。


「誰かいる」


 ゆっくり進む。


 奥の部屋。


 そこには。


 一台の古い機械があった。


 中央に小さな画面。


 その画面に。


 四人の名前が表示されている。


 林夏。


 月白。


 紅葉。


 澪。


「……どうして?」


 澪が呟く。


 画面が切り替わった。


 ――林夏。


 命軌:未定義。


 ――月白。


 命軌:不安定。


 ――紅葉。


 命軌:逸脱。


 ――澪。


 命軌:欠損。


 そして。


 その下に。


 見たことのない項目が現れた。


 ――共同因果:発生。


 林夏が眉をひそめる。


「共同因果?」


 月白が機械に触れる。


 その瞬間。


 画面に一つの文章が表示された。


 ――四人の選択が、互いの命軌を変化させています。


「……」


 誰も話さなかった。


 紅葉が静かに言う。


「つまり」


「うん」


 月白が答える。


「私たちは、もう一人ずつの問題じゃない」


 澪が自分の手を見る。


「私が選べば……みんなの命軌も変わる?」


「たぶん」


 林夏は機械を見つめる。


「逆も同じだろ」


 月白が頷く。


 そのとき。


 市役所の外から。


 サイレンが鳴った。


 四人が窓を見る。


 誰もいないはずの街に。


 赤い警告灯が一つずつ点灯していく。


 ――ピッ。


 ――ピッ。


 ――ピッ。


 街全体が、ゆっくり目を覚ます。


 スピーカーから。


 無機質な声が流れた。


『第零街区、外部因子を確認』


『命軌を持つ存在、四名』


『観測開始』


 林夏が窓の外を見る。


「……ここ、命軌がない街じゃなかったのか?」


 老人の言葉が頭をよぎる。


 命軌から外れた街。


 しかし。


 今。


 この街そのものが。


 四人を観測し始めている。


 紅葉が刀を握る。


「来る」


「誰が?」


「分からない」


 月白が林夏の隣に立つ。


 澪も。


 四人が並ぶ。


 そして。


 第零街区の空に。


 巨大な時計が浮かび上がった。


 針は。


 零時を指している。


 時計の下に。


 新しい文字が浮かんだ。


 ――第一回、選択記録を開始します。


 林夏はそれを見上げた。


 そして。


 小さく笑った。


「……また面倒なことになったな」


 月白が聞く。


「怖い?」


「うん」


「逃げる?」


 林夏は少し考えた。


「もちろん」


「え?」


「逃げられるなら逃げよう」


 紅葉が笑った。


「あなたらしい」


 林夏は四人を見る。


「でも」


 一拍。


「逃げる方向くらい、自分たちで決めよう」


 四人は。


 誰にも決められていない道を。


 自分たちで選び始めた。

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