第147章 聞いてみたいこと
翌朝。
林夏は店の前で、二つのパンを眺めていた。
一つはあんパン。
もう一つはクリームパン。
「どっちにするかな」
「両方では?」
「……それもありだな」
月白が店の前に立っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
林夏は二つのパンを見せる。
「どっちがいい?」
月白は少し考える。
「クリームパン」
「じゃあ、俺はあんパン」
「二つとも買うんですか?」
「月白が選んだから」
「それは理由になっていますか?」
「なってる」
月白は笑った。
店に入る。
朝食を食べながら、二人は昨日のことを話した。
「昨日、公園に行きましたね」
「うん」
「何もしませんでした」
「うん」
「でも、楽しかったです」
「俺も」
少し沈黙する。
月白が言った。
「林夏」
「ん?」
「聞きたいことがあります」
「何?」
「林夏は、私と一緒にいる時」
「うん」
「何を考えていますか?」
林夏はパンを食べながら考えた。
「飯」
「……それだけですか?」
「あと、次はどこに行こうかな、とか」
「それだけ?」
「月白は?」
月白は少し困った顔をした。
「私は……」
言葉を探す。
「明日は何をしようかな、とか」
「同じじゃん」
「そうですね」
二人は笑った。
けれど、月白はまだ何か考えていた。
「もう一つあります」
「どうぞ」
「林夏は、私との関係をどう思っていますか?」
店の中が静かになった。
林夏はすぐには答えなかった。
窓の外を見る。
通りを人が歩いている。
しばらくして。
「大事だと思ってる」
月白が顔を上げる。
「……大事」
「うん」
「それは」
月白は言葉を選ぶ。
「友達?」
林夏は首を傾げた。
「友達でもあると思う」
「恋人?」
「まだ違うと思う」
月白は少しだけ目を伏せた。
「そうですか」
「嫌だった?」
「少し」
林夏は驚いた。
「少し?」
「はい」
「じゃあ、恋人になりたい?」
月白は黙った。
長い沈黙。
「……分かりません」
林夏は頷いた。
「俺も」
「林夏も?」
「うん」
「では」
月白は顔を上げた。
「今のままでいいですか?」
林夏は笑った。
「俺はいいよ」
月白も笑う。
「私も」
二人は、それ以上名前をつけなかった。
昼前。
客が一人来た。
若い男性だった。
手には古い写真立て。
「これ、直せますか?」
林夏が受け取る。
「枠は直せます」
男性は写真を見る。
そこには、数年前の恋人らしい女性が写っていた。
「写真は?」
「そのまま残せます」
「……彼女とは、もう別れました」
林夏は何も言わない。
「写真を残しておくのは、変ですかね」
月白が静かに言った。
「残すことと、戻ることは違うと思います」
男性は少し驚いた。
「そうですね」
「大切だった時間まで、消さなくてもいいと思います」
男性は写真を見つめた。
「お願いします」
写真立てを置いて帰る。
林夏は修理を始めた。
月白はその横で静かに見ていた。
午後。
修理を終える。
男性が取りに来る。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
男性は写真立てを受け取る。
一度だけ写真を見る。
そして、鞄に入れた。
帰っていく。
月白が言った。
「過去を残しても、今を選べるんですね」
「そうだな」
「私も」
「うん」
月白はポケットの中の鍵に触れた。
「過去も、今も、全部消さなくていいのかもしれません」
林夏は笑った。
「無理に捨てなくてもいいよ」
「はい」
夕方。
月白は帰る準備をしていた。
「林夏」
「ん?」
「今日、聞けてよかったです」
「何を?」
「私たちのこと」
「答えは出なかったけどな」
「はい」
月白は笑う。
「でも、分からないという答えもありますから」
「そうだな」
「それなら、また明日会えますね」
「会おう」
月白は少しだけ驚いた。
林夏が先に言ったからだった。
「……はい」
駅まで歩く。
今日は少しだけ距離が近い。
手はつながない。
けれど、歩く速度は同じだった。
駅の前で。
月白が言う。
「おやすみなさい」
「まだ夕方だけど」
「そうでした」
二人で笑った。
「また明日」
「はい。また明日」
月白は電車に乗った。
席に座る。
スマートフォンを開く。
ノートに書く。
――今日、林夏に聞いた。
――私たちの関係について。
――答えは、まだない。
少し考える。
――でも、答えがないことを嫌だとは思わなかった。
さらに一行。
――明日も会いたい。
端末が光る。
【関係:未定義】
【感情:相互確認】
【本人による継続:確認】
【固定:なし】
【未来:未確定】
月白は画面を閉じる。
そして、ポケットの中の鍵を握った。
まだ何の鍵か分からない。
二人の関係も、まだ名前がない。
けれど。
分からないものを、分からないまま大切にすることもできる。
そのことを。
少しだけ、好きになっていた。




