第146章 明日、会いたい
翌朝。
林夏は店の前でシャッターを開けながら、欠伸をした。
「眠い……」
「おはようございます」
「うわっ」
林夏が振り返る。
月白が立っていた。
「早いな」
「昨日、明日会いたいと思ったので」
「それだけで早起きしたの?」
「はい」
「すごいな」
「林夏も起きているじゃないですか」
「俺は仕事だから」
「私は仕事ではありません」
「じゃあ、俺より暇だな」
「失礼です」
月白は少し笑った。
店の中に入る。
昨日と同じ場所に、真鍮の鍵が置かれていた。
月白はそれを見る。
「今日も持ってきたんですね」
「はい」
「何か調べる?」
月白は首を横に振った。
「まだです」
「分かった」
二人はそれ以上、鍵について話さなかった。
午前中。
客が少なかった。
林夏は修理を続け、月白は本を読んでいた。
昼前。
月白が突然、本を閉じた。
「林夏」
「ん?」
「今日、どこかへ行きませんか?」
林夏が顔を上げる。
「今日?」
「はい」
「急だな」
「今、行きたいと思いました」
「なるほど」
林夏は時計を見る。
「じゃあ、昼飯を食べに行く?」
「それだけですか?」
「それ以上ある?」
月白は少し考える。
「……ありません」
「じゃあ、それで」
店を閉める。
二人で街へ出る。
今日は目的地を決めなかった。
駅まで歩く。
「どこへ行きます?」
「月白が決めていいよ」
「私が?」
「今、誘ったの月白だから」
月白は周囲を見る。
「では、あちら」
指差した先に、小さな公園があった。
「公園?」
「はい」
「分かった」
公園に入る。
平日の昼間だったので、人は少ない。
ベンチに座る。
風が少し冷たい。
月白は空を見る。
「こういうのも、いいですね」
「何が?」
「何も予定がないこと」
「うん」
「前は、何かしなければいけないと思っていました」
「今は?」
「何もしなくても、一緒にいればいいと思います」
林夏は少し笑った。
「それ、俺も好き」
しばらく二人とも黙っていた。
やがて、林夏が言った。
「でも、俺は今日、月白に会えたから来たんだと思う」
月白が振り向く。
「……どういう意味ですか?」
「昨日、明日会いたいって言ってたから」
「それで?」
「俺も会いたいと思った」
月白は何も言わなかった。
ただ、少しだけ頬が緩んだ。
「そうですか」
「うん」
「それなら、今日は来てよかったです」
「俺も」
二人は公園を出る。
近くの食堂に入る。
月白は親子丼。
林夏はラーメン。
「またラーメンですか」
「今日はまだ一杯目だから」
「一杯目?」
「二杯目もあるかもしれない」
「やめてください」
月白は笑った。
食事を終える。
帰り道。
月白がポケットの中の鍵を触る。
「林夏」
「ん?」
「この鍵」
「うん」
「いつか使える場所が見つかったら」
「うん」
「一人で行ってもいいですか?」
林夏はすぐに答えた。
「もちろん」
「一緒に行ってもいいですか?」
「もちろん」
月白は笑った。
「では、その時に決めます」
「それでいい」
その瞬間。
端末が一度だけ光った。
【選択肢:複数】
【本人による選択:継続】
月白は画面を見た。
以前なら、その表示の意味を考え続けていただろう。
けれど今日は、画面を閉じた。
林夏が聞く。
「気にならない?」
「少しは」
「でも?」
「今は、林夏と歩いているので」
「なるほど」
二人はそのまま歩いた。
夕方。
店に戻る。
林夏はシャッターを開ける。
月白は店の椅子に座る。
「今日は何もしていませんね」
「しただろ」
「何を?」
「飯を食べた」
「それはしました」
「公園にも行った」
「はい」
「じゃあ、十分」
月白は笑った。
夜。
月白が帰る時間になった。
店の前で立ち止まる。
「また明日」
林夏が言う。
月白は少し考えた。
「明日も会えますか?」
「会えるよ」
「では、また明日」
月白は歩き出す。
数歩進んでから振り返る。
林夏はまだ店の前に立っていた。
月白は小さく手を振った。
林夏も手を振る。
駅へ向かう。
その夜。
月白はノートを開いた。
――今日は、私から誘った。
――何も予定はなかった。
――公園に行った。
――林夏とご飯を食べた。
少し考える。
そして。
――何も決めていない時間も、嫌いではない。
最後に一行。
――明日も会いたい。
端末が光る。
【今日の接触:本人による選択】
【目的:未設定】
【関係:継続】
【次回接触:本人による希望】
【未来:未確定】
月白は端末を伏せた。
未来が分からなくてもいい。
明日の予定が決まっていなくてもいい。
それでも。
明日会いたいと思うことだけは、自分で決められる。
その夜。
林夏も店の明かりを消しながら、ふと思った。
「明日、何食べようかな」
少し考える。
「……月白に聞いてみるか」
明日は、まだ来ていない。
けれど。
二人とも、明日を少しだけ楽しみにしていた。




