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君と、終わりの向こう側へ  作者: 亀


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第145章 鍵を使わない日

翌朝。


月白はいつもより少し早く目を覚ました。


枕元に置いたスマートフォンを見る。


まだ早い。


もう一度眠ろうと思った。


けれど、眠れなかった。


机の上を見る。


青いガラス瓶。


その隣に、昨日の真鍮の鍵。


月白は鍵を手に取った。


冷たかった。


昨日と同じ。


何の鍵なのかは、まだ分からない。


それでも、少しだけ気になっていた。


万事修理店へ行く。


そう決めた。


駅へ向かう途中。


月白は一度立ち止まった。


「……今日は、私から行きたいと思ったから」


誰に聞かせるでもなく呟いた。


そして歩き出した。


店に着く。


シャッターはまだ閉まっていた。


月白は少し驚いた。


林夏が遅い。


珍しい。


しばらく待つ。


五分。


十分。


十五分。


月白はスマートフォンを見た。


連絡はない。


以前なら、不安になっていたかもしれない。


けれど今日は、少し違った。


「来ないなら、先に何かしよう」


月白は近くの喫茶店へ入った。


窓際の席に座る。


温かい紅茶を注文する。


本を開く。


しばらく読む。


それでも、時々時計を見る。


やがてスマートフォンが震えた。


【ごめん。少し遅れる】


月白は返信する。


【分かりました】


少し考えてから。


【私は喫茶店にいます】


と送った。


すぐに返事が来た。


【了解。あとで行く】


月白はスマートフォンを置いた。


そして本を読む。


三十分ほどして。


林夏が店に入ってきた。


「ごめん!」


「大丈夫です」


「寝坊した」


「珍しいですね」


「昨日、遅くまで修理してたから」


「そうだったんですね」


「待った?」


「少し」


「怒ってる?」


月白は首を横に振った。


「少し寂しかったです」


林夏は黙った。


「でも、待つか、別のことをするかは私が決められるので」


「うん」


「今日は本を読んでいました」


「じゃあ、俺の寝坊にも少し意味があったな」


「それは違います」


「ですよね」


二人で笑った。


店へ向かう途中。


林夏が聞いた。


「鍵、持ってる?」


月白はポケットを確認した。


「はい」


「何か見つけた?」


「いいえ」


「そっか」


それ以上、林夏は聞かなかった。


店を開ける。


午前中は静かだった。


月白は机の上に鍵を置いた。


林夏はそれを見ていた。


「今日は調べる?」


「……いいえ」


「どうして?」


「今日は、調べたいと思わないからです」


「分かった」


月白は鍵を箱に戻した。


その時。


店の扉が開いた。


一人の女性が入ってきた。


手には古い手帳を持っている。


「これ、修理できますか?」


林夏が受け取る。


「破れたところを直すだけなら」


「お願いします」


女性は少し迷ってから言った。


「大切なものなので」


林夏は手帳を見る。


表紙の角が擦れている。


中にはたくさんの文字が書かれていた。


「思い出ですか?」


女性は少し笑った。


「日記です」


「なるほど」


林夏は手帳を預かった。


「数日かかります」


「はい」


女性は帰っていった。


月白は手帳を見ていた。


「日記って、未来を予測するものではないですよね」


「普通は過去を書くものだな」


「でも、後から見ると未来の記録にもなるのかもしれません」


林夏は首を傾げる。


「どういうこと?」


「その時には未来だったことが、後から見れば過去になるから」


「難しい」


「林夏には難しいですか?」


「腹が減ってるから」


「関係あります?」


「ある」


月白は笑った。


昼。


二人はいつもの店で食事をした。


林夏は定食。


月白はうどん。


「今日は少ないですね」


「朝に紅茶を飲んだから」


「紅茶でお腹いっぱいになる?」


「気分です」


「なるほど」


午後。


林夏は手帳の修理を始めた。


月白は近くで本を読んでいた。


店内には紙をめくる音と、工具の音だけが響いている。


やがて。


林夏が言った。


「できた」


手帳を閉じる。


破れていた部分はきれいに補修されていた。


「すごいですね」


「これくらいならな」


夕方。


女性が手帳を受け取りに来た。


何度も礼を言う。


店を出る前に、彼女が振り返った。


「これで、続きを書けます」


林夏は笑った。


「はい」


女性が帰った。


月白はその背中を見送った。


「続きを書く、ですか」


「うん」


「過去を直したのではなくて」


「これから書くために直した」


月白は頷いた。


「……いいですね」


帰り際。


月白は鍵をポケットに入れた。


林夏が言う。


「今日は結局、一回も使わなかったな」


「はい」


「それでも持ってた」


「はい」


「じゃあ、それでいいんじゃない?」


月白は笑った。


「そうですね」


駅までの道。


今日は手をつながなかった。


肩も触れなかった。


少し離れて歩く。


それでも。


二人は同じ道を歩いていた。


駅に着く。


月白が言った。


「林夏」


「ん?」


「明日、会えますか?」


「会えるよ」


「では、明日」


「うん」


月白は電車に乗る。


座席に座ってから、鍵を取り出した。


何も起こらない。


端末も光らない。


ただの古い鍵だった。


月白はそれを眺めてから、ポケットに戻した。


今は、それでいい。


夜。


ノートを開く。


――今日は鍵を使わなかった。


――何も分からなかった。


――でも、林夏に会えた。


少し考える。


――分からないことが残っていても、一日は終わる。


最後に。


――明日も、会いたいと思った。


ペンを置く。


端末が光る。


【接触:成立】


【本人による選択:確認】


【予測:不要】


【関係:継続】


月白は画面を見た。


そして。


今度は笑わなかった。


ただ静かに端末を閉じた。


予測されなくても。


記録されなくても。


明日会いたいと思う気持ちは、自分のものだった。

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