第139章 次も、私から
日曜日の朝。
万事修理店はまだ静かだった。
林夏は昨日買った植物の写真集を机の上に置いていた。
ページを開く。
花。
木。
季節ごとの景色。
そして、植物園の写真。
「来年か……」
林夏は昨日の月白の言葉を思い出した。
その時、扉が開いた。
「おはようございます」
月白だった。
「おはよう」
「昨日の本、読みましたか?」
「少し」
「どうでした?」
「植物の名前がいっぱいだった」
「それだけですか?」
「あと、来年行きたい場所が増えた」
月白は笑った。
「それなら十分ですね」
林夏は本を閉じた。
「昨日、楽しかったな」
月白は少し驚いた。
「はい」
「また行こう」
「……はい」
月白は少しだけ嬉しそうに頷いた。
けれど、その後。
何かを考えているように黙った。
「どうした?」
「次は、私が決めたいです」
「行き先?」
「はい」
「いいよ」
「まだ決めていません」
「じゃあ、決めてから教えて」
「分かりました」
月白は本棚の前へ歩いた。
しばらく本を眺める。
それから、一冊の旅行雑誌を取った。
「これにします」
「何?」
「次に行く場所を探します」
「今日?」
「今日です」
林夏は笑った。
「気が早いな」
「昨日、楽しかったので」
月白は雑誌を開いた。
海。
山。
美術館。
古い町並み。
植物園。
小さな水族館。
月白は一つずつ見ていく。
「ここ」
「どこ?」
「古い商店街です」
「渋いな」
「人が少なそうです」
「そこ重要?」
「はい」
月白は笑った。
「静かな場所が好きなので」
林夏も雑誌を見る。
「ここなら食べ物もありそう」
「そこは重要なんですね」
「重要」
二人は笑った。
昼。
紅葉が店に来た。
「昨日、出かけたんでしょう?」
「はい」
月白が答える。
「どうだった?」
「楽しかったです」
「何したの?」
「本屋に行って、ラーメンを食べました」
「それだけ?」
「雨も降りました」
「それ、デート?」
林夏が言う。
「まだ違います」
紅葉は笑った。
「まだ、ね」
月白は少し顔を赤くした。
「次の予定も考えています」
「もう?」
「はい」
「誰が誘うの?」
「私です」
紅葉は頷いた。
「いいじゃない」
「紅葉さんは?」
「私?」
「七番さんとは」
「昨日は会えなかった」
「そうですか」
「でも、今日会う」
「よかったですね」
紅葉は少し笑った。
「昨日会えなかったからって、全部やめる必要はないから」
月白は頷いた。
「はい」
紅葉は立ち上がる。
「じゃあ、私は行ってくる」
「いってらっしゃい」
「二人も楽しんで」
扉が閉まる。
店の中が静かになる。
月白は旅行雑誌を見た。
「林夏」
「ん?」
「もし次の予定を決めても」
「うん」
「その日に行けなくなったら、どうしますか?」
林夏は少し考えた。
「その時は、別の日にする」
「怒りませんか?」
「少し残念にはなる」
「はい」
「でも、予定が変わることと、気持ちが変わることは別だから」
月白は静かに頷いた。
「覚えておきます」
午後。
月白は一人で雑誌を読み続けた。
林夏は修理をしている。
それぞれ別のことをしている。
けれど。
同じ店にいる。
時々、月白がページをめくる。
林夏が工具を置く。
その音がする。
何も話さなくても、そこにいることが分かる。
夕方。
月白が雑誌を閉じた。
「決めました」
「どこ?」
「古い商店街」
「本当に?」
「はい」
「何をする?」
「歩きます」
「それだけ?」
「それだけです」
林夏は笑った。
「いいな」
「本当に?」
「うん」
「では、次の土曜日」
「了解」
月白はスマートフォンを取り出した。
予定表を開く。
【土曜日】
その下に。
【林夏と出かける】
と入力する。
そして、少し迷ってから。
【場所:古い商店街】
と書いた。
保存する。
端末が光った。
【次回予定:設定】
【設定者:月白】
【同行者:林夏】
【予定変更:可能】
月白はその表示を見た。
「変更できる」
「うん」
「それでも、予定を作る」
「うん」
「不思議ですね」
「何が?」
「変更できるのに、楽しみです」
林夏は少し考えた。
「楽しみにすることまで、未来を固定するわけじゃないからな」
月白は頷いた。
「そうですね」
夜。
月白はノートを開いた。
――昨日、林夏と出かけた。
――今日は、次の場所を自分で決めた。
少し考える。
――古い商店街。
そして。
――まだ先のことなのに、少し楽しみ。
月白はそこでペンを止めた。
以前なら。
未来は、何かが起こる場所だった。
自分ではどうにもできないもの。
避けられないもの。
決められたもの。
でも今は違う。
未来は。
小さな予定を入れることもできる。
行きたい場所を決めることもできる。
途中で変えることもできる。
そして。
行かなかったとしても、また別の日を選べる。
月白は最後に一行書いた。
――未来を決めるのではなく、未来に予定を置いてみる。
ノートを閉じる。
その夜。
林夏も店で一人だった。
机の上に、今日買った雑誌がある。
古い商店街の写真。
「ここか」
林夏は写真を見る。
「食べ物、あるかな」
その時。
スマートフォンが鳴った。
月白からだった。
【今日はありがとうございました】
林夏は返信する。
【こっちこそ】
少しして。
【土曜日、楽しみです】
林夏は少し笑った。
【俺も】
その直後。
端末が光った。
【未来接触:予定】
【予測対象:存在】
【本人による予定設定:確認】
そして、その下。
【予定変更の可能性:あり】
林夏は画面を見て、電源を切った。
未来は決まっていない。
けれど。
土曜日という小さな予定だけは、今ここにある。
それでよかった。
【次回接触:予定】
【本人による提案:成立】
【関係:継続】
【固定:なし】
【未来:未確定】




